2006年12月18日

日本国憲法とユダヤ人

日本国憲法は、ワイマール憲法の丸写し

 モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」という本があります。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
 1941年米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画したという方の本です。
写真は日本国憲法作成の中心人物ケーディスkades.jpg

引用開始
 ユダヤ人の一人として将来の日猶関係のためにも、是非とも日本人の皆様の前に白日の下にさらしておかなければならない日本国憲法の本質についてご説明申し上げたいと思う。・・・・
 日本国憲法はワイマール憲法の丸写し、しかもかなりずさんであるといった方が正確であろう。
 ワイマール体制の支柱となったワイマール憲法は、ご存知の通り、ユダヤ人で内相も務めたヒューゴ・プロイス以下三名のユダヤ人によって作られたものである。また日本国憲法はこれもご存知の通り、ユダヤ人ケーディスを中心としたGHQのニューディーラーによって僅か二週間という短日時に作られたものである。・・・・

※民主主義とは何ら実体のない虚構概念
 われわれが日本の戦後改革の支柱としたのは、「自由」「平等」であり、それのコーディネーターとしての「民主主義」という言葉であった。
 ここで大切なことは、「自由」「平等」はそれぞれ一つの確たる概念であるが、「民主主義」という言葉は単なる言葉にすぎず、何ら具体的概念ではないということである。

 われわれのいう「民主主義」は古代ギリシャ時代にいわれた「デモクラシー」とは何の関係もないものであることをご説明申し上げねばならない。われわれのいう「民主主義」とは、「自由」と「平等」の非両立性をカバーするための結節語にすぎず、なんら実体のないものなのである。

 日本人の皆様はお気づきだろうか。日本国憲法に「自由」「平等」ということばは、というより概念は、ふんだんに盛り込まれているが、「民主主義」という言葉は一語も発見できないのである。・・・
 「自由」と「平等」が互いに両立し得ない概念であるという事実、それは真理というべきものであろうが、案外一般には理解されていない。もし「民主主義」という言葉が巧妙に両者をコーディネートして結合させていなかったら、この「自由」「平等」の非両立性はもっと早く見やぶられていたであろうと思われる。・・・・

 戦後三十年このかた、「民主主義」というものを批判した論調は皆無といえよう。ただ部分否定的に批判したものはあるかも知れないが、その場合でも大抵「民主主義」そのものを批判するというよりも、むしろ日本人の「民主主義」に対する受け取り方、対応の仕方に誤りがあるかの如き論調が多く、やはりここでも「民主主義」は聖域に祭られているといえまいか。日本国憲法に憤懣をぶっつけるが、「民主主義」は聖域に祭り上げておくといった態度にタブーの存在を許す半分の責任があると思うが如何。

 この「民主主義」を絶対的な無謬性を誇る善玉の神と考えている戦後の日本人は、この考えにどんな論理的根拠を添えているというのであろうか。
 はっきりいえることは、なんらの論理的根拠を伴っていないということではないか。これはやはり、一種の信仰ではないだろうか。この辺でもう一度ふり返ってみる必要がありはしないだろうか。憲法のタブー性を考える前に「民主主義」のタブー性を考えてみる必要はないであろうか。
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2006年12月16日

東京裁判の本質

何故満洲事変以後が侵略戦争なのか

 モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」という本があります。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
1941年米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画したという方の本です。
写真はミズリー艦上の降伏文書調印式Missouri.jpg

引用開始
 さて、この東京裁判の結論で非常に奇妙なことが一つある。裁判の本質にメスを入れる前にこの点を明確にしておくことは重要である。
 この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。
 その理由はハッキリしている。これら満洲事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致していたのである。
 ・・・・一方、満洲事変、支那事変、大東亜戦争は議論の余地なく、米英仏等と利害関係が対立するものである。これを徹底的にとっちめない法はない、ということである。・・・・・

 この東京裁判は日本の戦後史の始まりというにふさわしく、非常に深い意味をもっている。戦後日本の価値感覚その他が戦前と180度の転換をみせたといわれるが、その原点はこの東京裁判にある。・・・・
 東京裁判によって持ち込まれたマルクス主義の階級闘争史観は、この裁判に続く日本国憲法の持ち込みによって日本国民の価値観を180度転換させるまでの大きな影響を及ぼすことになった。
 東京裁判の本質はマルクス主義の唯物史観における階級闘争論の持ち込みにこそある。この二元論の持ち込みにより、以後、日本の内部は収拾のつかないような内戦状態に陥ることになったのである。

 もともとこれを持ち込んだ勢力の目的とするところは、唯物史観にある如く国家を内部闘争により破壊、覆えさせることにあるのであるから、当然の帰結であるといえよう。東京裁判は先ずそのような思考パターンを植えつける目的に利用されたものであり、それに続く日本国憲法の持ち込みにより階級闘争史観という二値論理に市民権を与えてしまったということができるであろう。・・・・・

 その方法は、日本国民を二極分化させることから始まる。即ち、マルクス主義の階級闘争史観は、すべての歴史は支配階級と被支配階級の間における階級闘争の歴史であると主張するものであるのはご承知の通りであるが、この論法を持ち込むのである。
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posted by 小楠 at 08:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年12月15日

A級戦犯は犯罪者ではない

大掛かりな歴史の偽造

モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」という本があります。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
1941年米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画したという方の本です。
try.jpg

引用開始
・・・ 従来なら一方的にこれら「A級戦犯」にすべての戦争責任を負わせて当然とするものが圧倒的であった。戦後三十数年、ようやく日本国民もこのまことに大掛かりな歴史の偽造について疑問をもち始めた。
 元来、ここに言う十四人の「A級戦犯」は国内法による裁きを受けた結果ではなく、単に戦勝国が裁判という名のもとに恣意的に演出したものにすぎず、したがって日本国民としてはこれら十四人を犯罪者扱いするものではない。

 国内法は、明らかにこのような戦争処理のための勝者の恣意的な復習儀式に優先するものである。この復習儀式が国際法により認められたものであればともかく、明らかにそのような国際法は存在しないそうであれば、国内法と国際法の優先順位の問題も全く出て来ない。

※人間獣化計画
・・・ ここで戦後史の跛行性というのは、経済面の高度成長と精神衛生面の虚無性との共存のことである。
 経済面の高度成長の要因は技術革新が一方の雄であることは異論がないであろう。しかし、この技術革新による経済の高度成長を側面からバックアップしたものが、逆説的かも知れないが、精神衛生面の虚無性であることは否定できない事実である。・・・・・
 精神衛生面での虚無性が何故経済成長にプラスするのかということは、にわかに理解できないかも知れない。では一体精神衛生面の虚無性とは具体的にどういうことなのか、考えてみたいと思う。
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posted by 小楠 at 07:40| Comment(17) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年11月28日

逆東京模擬裁判

東京裁判の立場を逆にしてみると

「昭和の戦争記念館」第五巻 大東亜戦争と被占領時代の中に、考えさせられる著述があります。
 それは東京裁判の立場を逆にして、日本が米ソ両国を断罪する「ワシントン・モスクワ裁判」を想定してみると、東京裁判で作られた「A級戦犯」とはどんなものなのかがよく判るというものです。
植民地化された国々から判事を出し、日本が主導してワシントン裁判(アメリカ対象)、モスクワ裁判(ソ連対象)を想定しています。
メイン号の爆発事件をスペインの仕業だと宣伝して、一挙に太平洋諸島からフィリピンまで占領してしまった米西戦争以来を対象にしています。 
では掲載してみましょう。写真は清瀬弁護人とキーナン検事です。
kiyose.jpg

引用開始
 東京裁判では、満洲事変以後の歴史を裁いたから、ワシントン裁判では米西戦争以来のアメリカの侵略を裁くことになる。
 1921年のワシントン会議では、日本に対し保有艦船を5:5:3に割り当て、日本を押さえにかかった。支那事変が起きると陰に陽に蒋政権を支援した。
 アジア撹乱の張本人はアメリカだった。やがてABCD包囲陣を作り、日本に対して石油その他の重要資源を封鎖した。

 日米戦争では、捕虜となった日本兵を各地で大量殺害した。さらに、日本本土の無差別爆撃を連続して行い、婦女子を含む民間人を大量虐殺した。さらにあろうことか、広島・長崎に原子爆弾まで投下した。
 彼らの戦争犯罪を東京裁判の方式で洗い出せば、次のとおりである。

@ 自らの権益を保持し拡大せんがため、アジアの平和を撹乱しようと共同謀議した「平和に対する罪」

A 戦争法規に違反した「通常の戦争犯罪」

B 非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待等の「人道に対する罪」
 となる。これらをABC級の戦争犯罪人に分類することは容易である。
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posted by 小楠 at 07:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年08月17日

東京裁判の正体最終回

 今回10回に分けて掲載しました東京裁判の正体の最後に、東條大将に関する部分を、同じく菅原裕著「東京裁判の正体」の中の「解脱した東條被告」の章から引用してみます。東條遺言についてはできるだけ省かずに掲載しましたので、少し長くなりました。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
 今の日本の精神的惨状は、先の戦争に負けたことが原因ではなく、GHQのニューディーラーたちが、アメリカ本国でもやらないような政策を違法にも日本に押し付けことと、このデタラメな東京裁判の実施そして、真相箱などによる日本文化の破壊が原因だと考えます。今もこれに毒された政治家や、この思想を利用する反日、左翼、朝日などのマスコミが真実を伝えないことが、大いに日本人に悪影響しています。
 しかし、最近は各国で当時の秘密文書などの資料がどんどん公開され、日本では反日や左翼、マスコミの言ってきたことの嘘が、益々暴かれることでしょう。

引用開始
【判決言い渡しの光景】
 1948年11月12日午後3時55分から全被告に対する刑の宣告が行われた。法廷は平素とちがい、弁護人席の第二列目を取り払い、各被告を一人ずつ呼出して被告席の上段の中央に立たせたのである。・・・・
満廷の全視線と全カメラとが、ただこの一人の被告人に集中したのであった。
 著者はちょうど被告と裁判長席との中間に位する弁護人席を与えられたので、無礼とは思ったが、被告諸氏の最後の態度を見とどけようと、うしろ向きになって至近の距離から注視した。・・・見ようによっては、(被告たちは)試験官の前に立たされた受験生のような感じがしないでもなかった。ところが東條被告においてはこれが全然反対で、東條試験官がウェッブという受験生の答えをきいてやるような態度で、顔は微笑しているようでもあり、していないようでもあった。・・・・ウェッブ裁判長の絞首刑の宣告を聞き終わるや、二度軽くうなずき「死刑か、よしよしわかった、わかった」というような表情をした。

【東條遺言『世界人に告ぐ』】
 開戦当初の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。今回の死刑は、個人的には慰められておるが国内的の自らの責任は死を以って贖えるものではない。しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。
 自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。・・・略・・・ この度の戦争に従軍して斃れた人およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。
 今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。もしこれが遠久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならないのではないか。
 この裁判は結局政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。天皇陛下の御地位および陛下の御存在は動かすべからざるものである。天皇存在の形式については敢えて言わぬ。存在そのものが絶対に必要なのである。それは私だけでなく多くのものは同感と思う。空気や地面の如き大きな恩は忘れられるものである。
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posted by 小楠 at 07:59| Comment(6) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年08月16日

東京裁判の正体9

 同じく菅原裕著「東京裁判の正体」の中の「東京裁判の反省と将来への希望」の章から引用してみます。
 私としては、この東京裁判を“裁判”と言う名で呼ぶこと自体が馬鹿げていて、違和感を持っています。今のマスコミなどで東京裁判史観に冒された軽薄な評論家たちは、こんなものを裁判であると認識しているようですが、人権や自由などを人一倍振りかざすこの種の者たちが、これを躊躇なく“裁判”と呼んでいる姿は滑稽以外の何物でもありません。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
【失敗の自認】
 東京裁判が失敗であったことはアメリカの占領統治の失敗とともに世界の知識人のひとしく認めるところである。インド代表パール判事によって指摘されたあらゆる矛盾が、いまや覆い隠すことができなくなっている。全被告無罪のパール判決はたんなる反米的感情の表現ではなくして、真に国際法を守らんとする学者的良心の発露である。この真摯な博士の態度が理解されて、いまや各国国際法学者において尊敬の念をもって真剣なる再検討がなされつつある。
 米英仏等連合国の首脳は、表面的には東京裁判の失敗や、パール判決を是認するほどの良心と勇気とを持ち合わせていないようであるが、学者や実務家は、次第に反省の色を示しつつある。次にその一端を摘記して見よう。

 アメリカ陸軍法務官プライス氏はすでに1945年12月、ニューヨーク・タイムスにつぎの論文をのせた。
「東京裁判は、日本が侵略戦争でやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを協同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりをして懲罰しても精神的効果はない」。

 チャールズ・ベアード博士は、歴史学、政治学の泰斗として有名で、日本にも二回ほど来朝したことのある人であるが、『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』なる著書を発表し、公式記録だけから資料をとって「日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月以前にルーズベルト大統領はアメリカをして海外に秘密なる軍事行動をなさしめた」ことを指摘した。
 これにはアメリカの要人たちも、博士が学会の権威だけに弁解の余地なく「もしそうなら戦犯も追放もあったものではない。アメリカから日本に謝罪使を送らねばなるまい」という者や「いまさら謝罪もできないから、この上は一日も早く日本を復興させて以前に戻してやらねばならぬ」という者もあったそうだ。
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posted by 小楠 at 00:27| Comment(3) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年08月12日

東京裁判の正体8

 引き続き菅原裕著「東京裁判の正体」の中の判決批判の章から引用してみます。ここは判決宣告の内容についても、この裁判がいかに異常であったかを明らかにしています。当時の関係者は、いかに正当な主張をしても、すべて連合国の都合と当初の目的の前には、戦敗国の無力さ無念さを思い知らされただけのものであったのでしょう。日本が可哀想に感じます。
菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
引用開始
【ずさん極まる判決】
・・・詳細に検討すれば実に奇奇怪々な判決文である。広田弘毅は軍事参議官(現役の陸海軍大中将に限る)になっており、荒木貞夫は国家総動員審議会総裁(総理大臣の兼任職)になっている。広田被告が文官でありながら、死刑になったのは軍閥の巨頭と誤解された結果とすれば大変な問題である。
 国家総動員審議会総裁は総理大臣の当然兼任すべきもので、初代の総裁は東條総理であった事を証拠調べの際とくに注意し、検事もそれは荒木が文部大臣時代の国民精神総動員委員長の誤りであることを認め、裁判長もこれを了承したところであった。しかるに肝心の判決文には依然として国家総動員審議会総裁になっているのである
 ここにおいて著者は多数派判事によって下された判決なるものは、公判審理に関係なく、あらかじめ別途に起草され、用意されていたものでないかを疑うのである。多数派判事はこの用意された判決原案を検討したり修正することもなく、広田軍事参議官や、荒木総理大臣のままいい渡したのではあるまいか。もし連合国においてこれを否定するならば、法廷において訂正され、記録にのっている事項が依然としてそのまま判決にのっている奇怪な事情を釈明すべき義務があると信ずる。
 フランス代表アンリ・ベルナール判事は多数派判決に反対して単独意見を発表したが、その中につぎの如く記載している。
 「判決文中の事実の調査結果に関する部分全部は起草委員によって起草され、その草案が進捗するにつれて起草委員会によってまず「多数」と称せられる七判事の委員会に提出された。この草案の複写は他の四判事にも配布された。この四判事は自分たちの議論内容に鑑みて自分らの見解を多数判事に提出することを要求された。そしてもし必要なら草案の修正のために。
 しかし法廷を構成する十一判事は判決文の一部または全部を論議するために召集されたことはなかった。ただ判決文の個人の場合に関する部分だけが口頭の討論の対象となった」
 果たして然らば、本件判決として多数派意見が宣告されたけれども、それは全判事の自由かつ隔意なき論議の結果作成されたものでない。これは司法裁判所の判決とはいいがたいのである。いわんや文明の名における国際裁判所の判決とは断じていい得ないものである。
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2006年08月11日

東京裁判の正体7

 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 今回はアメリカ人弁護人の正論の章から引用してみます。再度言いますが、検察側の反駁等は、マッカーサーが既にこの裁判が誤りであったこと、日本の戦争は自衛のためであったことを証言していますので、この裁判の前提となっていた日本の戦争が侵略であるという論自体が成立しないことから、予断に満ちた検事側や裁判長の発言は掲載の必要なしと考えるためです。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
引用開始
【ローガン弁護人】
 木戸被告担当のウイリアム・ローガン弁護人はアメリカ弁護団中最も活躍した一人であるが、彼は太平洋戦争部門の冒頭陳述で「日本に対する連合国側の圧迫」と題して、
「・・・欧米諸国は日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行ったこと、また真珠湾に先立つ数年間、故意かつ計画的に、しかして共謀的に、日本に対して経済的、軍事的圧力を加え、しかもその結果が戦争になることは十分に承知しており、そう言明しながら、彼らが右の行動をとったという事実があります。また肯定的弁護としてつぎの事実が証明される。即ち情勢はいよいよ切迫し、ますます耐え難くなったので遂に日本は、欧米諸国の思う壺にはまり、日本からまず手を出すようにと彼らが予期し、希望したとおり、自己の生存そのもののために、戦争の決意をせざるを得なくなった」。と痛烈にかつ詳細に、連合国の仮面を剥いだのである。
 そして彼は最終弁論を終わるや、判決を待たずに急遽帰国したが、東京を去るに臨んで全被告に対してつぎの趣旨の挨拶を述べた。
「私は最初日本に着いた時には、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。しかるにその後種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には二十年間一貫した世界侵略の協同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。したがって起訴事実は、当然全部無罪である。しかしこれは弁護人である私が二年半を費やし、あらゆる検討を加えてようやくここに到達し得た結論である。したがって裁判官や検事はまだなかなかこの段階に到達していないだろうと想像される。これが判決を聞かずして帰国する私の心残りである」。
【ブルックス弁護人】
 小磯被告担当のブルックス弁護人は連合国の対中国経済援助の不当を衝いて次のように述べている。
 「私の質問は或る特定の国と云うのではなくて、欧米に於ける勢力が、と云うことを申しておるのであります。結局この時期に於きまして、中国は他国から軍需品、武器等を受け取っていたのでありまして、しこうして日本はその結果としてこの騒擾に因る損害を被った国であるのであります。私としてはこの弁護のため、参考として中国に於きまして誰が武器を供給し、誰が軍事資材を供給し、これに依って日本の人たちが殺されたかと云う事情に付いて知りたいのであります。この武器が輸入され、そしてそのことに依りまして日本中国の間にいろいろな問題が起こり、日本がこれによって非常な損害を被っている、しかもそれは十五年に亙る長い期間であります。こう云うことは大事なことだと思います。弁護人と致しましては斯かる各種の不安それから恐怖感その他商業上のいろいろの錯綜する利害関係と云うものを調べまして、それが結局この両国に於けるところの敵対行為を開始する導因となったと云うことを発見致しますことが、本件と重大なる関係を持っておるものだと思考するものであります」。・・・
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2006年08月10日

東京裁判の正体6

 裁判長のウェッブは、ひたすら裁判長に選んでくれたマッカーサーの恩に酬いるべく占領軍の意図通りの成果をあげようと裁判を進めました。この本にもありますが、著者は本裁判の長には日本を知悉し、世界情勢や国際法に明るい世界的な権威者、例えばアメリカのグルー氏かイギリスのクレーギー氏の如き人物を選任されんことを要望したのですが、結果は豪州の一判事が任命されたのであるとしています。
 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 今回は審理状況の章からポイントとなる部分を引用してみます。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
引用開始
【ウェッブ裁判】
 ・・・・本裁判の手続き法としては・・・・大体において英米法に拠る場合が多かったが、特殊な点においては裁判長は独特な方法によって、自ら裁定を下して審理を進めた。故にアメリカ弁護人諸君は常にこの裁判は英米法による裁判ではなく、ウェッブ裁判だと憤慨していた。
・・・略・・・
 ウェッブ氏は公平なる裁判官として、日本が侵略したかどうかを審理するのではなくして、日本が侵略戦争を行ったということを大前提として、この事実に対する、もっともらしい理屈付けと、証拠固めをすることが、その使命であったようだ、彼はそれを明確な自分の義務だと公言した。
 支那事変関係の冒頭陳述において、ラザラス弁護人が中国共産党が蔓延し、やがてそれが日本自身に蔓延することは、日本の破滅になるであろうと日本が恐れていたことを陳述し、さらにトルーマン大統領が今日防共声明を出しているが、被告らは1937年(昭和12年)当時すでに予見していたことを主張せんとするや、ウェッブ裁判長は「アメリカ弁護人として、この連合国の法廷が、敵側の宣伝と称せらるべきことに対して、(この法廷が)示しておるところの寛容と忍耐力を、あまり利用しないで下さい」と抑えた。そして、「私はイギリスの判事、オーストラリアの判事であります。したがって不必要に自分の国家、またはここにおる十一カ国の判事の代表する国家を侮辱されるような言葉はこらえることはできません。私にとり自分の国に対する忠誠心というものは、この上もないものであります。これ以上のものはなんらありません」と述べた。この敵対的な憎悪の一言!戦勝国の利益代表!これがどうして、世界平和のための公平な文明の名による国際裁判の裁判長の態度であろうか
・・・略・・・
 裁判長の右隣はアメリカ代表のクレーマー少将、左隣が中国代表の梅判事であり、その隣がソ連代表のザリヤノフ判事であった。クレーマー氏は謹厳な軍人であり、ほとんど裁判長と私語することなく、裁判長は常に梅判事と相談して審理を進めていたが、この梅判事こそは、国民政府と行動を共にせず、現在中共に残って司法部で活躍している人であることを知れば、ウェッブ裁定がどんなものであったか、想像に難くないであろう。
・・・略・・・
 本裁判の記録を読む人は誰でも、本裁判の審理が弁護側提出の証拠をいかに制限せんかとの苦慮に終始していることに気づかれるであろう。ウェッブ裁判長の職務は日本の侵略否定に関する被告らの主張なり立証なりを、いかに抑えんかの努力に尽きている。
・・・略・・・
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2006年08月09日

東京裁判の正体5

 既にマッカーサーは「東京裁判は間違いであった」こと、そして「日本が戦争に踏み切ったのは自衛のためであった」と証言していますから、ここでは検事側の申し立ては省略して、正論である弁護側の申し立ての引用から、この裁判のデタラメさを曝してみたいと思います。
 特にこのブレークにー弁護人の申し立ては非常に筋の通ったものであると思いますので、少し詳しく引用します。
 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です
引用開始
【ブレイクニー弁護人の申し立て】
 まず最初に申し上げたいことは「戦争は犯罪ではない」ということである。そもそも戦争とは“力”を合法的に使用する権利を指示する観念であるが、現に戦争に関する国際法規の存在すること自体が戦争の合法性を説明するなによりの証拠である。・・・略・・・
 戦争は特殊な観点から眺めた場合でも、純然たる客観的様相から判断しても、決して正しいとか正しくないとか、合法とか非合法とか断定を下し得る性質のものでない。・・・・・
 また事実上戦争を計画したり開始したりすることが犯罪行為として裁かれた例は、文明史上未だかつてない。・・・略・・・
 しかるに首席検察官はつぎのように述べた。「これらの諸国家すなわち今度戦争犯罪人を裁く側にある諸国家が、世界的災害を醸した人たちを処罰する“力”がないという法があり得るであろうか」
 然り、連合国側はやろうとさえ思えばこの被告たちを絶海の孤島に流すことも裁判せずに投獄することも、即座に銃殺してしまうことも不可能ではなかった。事実それだけの“力”と“権力”を持っていた。しかるに連合国政府はその一致した意見に基づく幾多の理由により戦争犯罪人を処分するに、前掲の略式、野蛮な方法をえらばず、最も厳粛なる裁判を行うべきことを決議し、これを世界に表明したのである。その結果連合国は自発的にしかも良心的にその権利に一定の制限を付するにいたったのである。換言すれば連合国側は敗戦国およびその人民に対する専断的処罰権を放棄したのである。したがってたんに可能性があるというだけの理由で本件起訴状に現れているような法を無視した専権行使を認容、弁解することは全く言語道断である。いやしくも法に遵って行動すべきことを言明した以上、その行動が厳正なる法の規制を受けるのは当然のことであって、かかる方針の下に設けられた当裁判所の管轄権が、法に遵って決定され、その活動がこうして決定せられた管轄権の範囲内に限定されるべきこと当然である。
 つぎに「戦争の違法性」に関し論じたい。・・・略・・・
 本起訴状に犯罪事実として挙げられたるものには国際連盟規約にその根拠を置くものが非常に多いが、今回戦争犯罪人を裁く側にある国家群、ことに当法廷にその代表者を派遣している国家群の中には、本件起訴状の指示する期間内にアジアおよびヨーロッパで侵略戦争を始め、国際連盟もこれを違法と認めたが、たんに聯盟放逐だけでべつだん刑罰は科せられなかったものもいる。検察当局はこの事実を前にして果たして侵略戦争を犯罪視することは世界的公論だといいきることができるか。
・・・略・・・
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2006年08月08日

東京裁判の正体4

 ここでは連合国の言うA級戦犯を裁判し得るかどうかに関する、「平和に対する罪」の管轄問題についての論争を掲載してみます。
 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です
引用開始
【論争の意義】
 連合国は本裁判設置の根拠を日本のポツダム宣言受諾(ならびに降伏文書の調印)に置いている。そしてポツダム宣言にはその第十項につぎのような規定がある。「・・・吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては峻厳なる正義に基き処罰を加ふべし・・・」このいわゆる「俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人」の中に、通例の戦争犯罪以外に「平和に対する罪」の如き広義の戦争犯罪が含まれているかどうかによって、連合国がA級戦犯を裁判し得るか否かの根本問題がわかれるのである
この問題に関しては1946年5月13日清瀬弁護人(東條被告担当)が大部分の被告を代表して「当裁判所の管轄に関する動議」を陳述したのであった。この日の論争は本裁判中の白眉で息づまる思いがした。これは本裁判所の管轄権の当否に関する根本問題であるばかりでなく、「日本軍隊」の無条件降伏をもって「日本国」の無条件降伏となす連合国側の詭弁を衝いたもので、まさに歴史的文献と信ずるから、次に要旨を摘録して大方の参考に供する。
[第一点 本裁判所は平和に対する罪ないし人道に対する罪につき裁判する権限はない]
 最高司令官によって定められた法廷憲章は平和に対する罪ないし人道に対する罪という規定を設けているが、連合国においてかくの如き罪に対し起訴をなす権限もなければ最高司令官もまたこの権限がないわけである。・・・・その当時まで世界各国において知られていた戦争犯罪ということの意味は、戦争の法規、慣例を犯した罪という意味で、その実例として常に挙げられているものは、1、非交戦者の戦争行為、2、掠奪、3、間諜、4、戦時反逆の四つであって、戦争自体を計画、準備、開始、実行した事を罪とするということは1945年7月当時の文明各国の共通の観念ではなかった。
 とくにわが国とドイツとの降伏の仕方のちがう特殊事情については十分にこれを考慮せねばならぬ。ドイツは最後まで抵抗して、ヒトラーは戦死し、ゲーリングも戦列をを離れ、遂に崩壊して文字どおり無条件降伏した。それ故にドイツの戦争犯罪人にたいしては、連合国は極端にいえば裁判をしないで処刑することもできたかも知れぬ。しかるにわが国は連合国が日本本土に上陸しない間に発せられたポツダム宣言を受諾した。このポツダム宣言の第五項には連合国自身も、以下の条件はこれを守るといっているのである。すなわち民事的用語をかりれば、わが国は一つの条件付申し込みに対して受諾したのである。故にニュルンベルグ裁判で平和に対する罪、人道に対する罪を起訴しているからといって、それを直ちに東京裁判に持って来ることはできないのである。
 連合国は今回の戦争の目的の一つが国際法の尊守であるといっている以上、国際公法の上から見てもウォア・クライムスの範囲を超越せらるることはまさかなかろうと、われわれは確く信じていた。日本国民もさように信じ、ポ宣言受諾を決した当時の鈴木貫太郎内閣においても、その条件の一つである戦争犯罪人の処罰も、世界共通の用例によるものと信じていたのである。受諾してしまうと当時とは違う他の罪を持ち出して起訴するということは、いかがなものであろうか。
・・・略・・・
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2006年08月07日

東京裁判の正体3

 もし普通に適法に貴方がやって来たことに対して、貴方を破滅に追いやるため、従前の貴方の行為が犯罪になるような臨時の法律が作られ、それによって告発され裁かれて有罪とされたら、貴方はどうしますか?しかもあなたの正当な反論が無視され、弁護のほとんどが却下されたとしたら。東京裁判はまさにこのようなことが平気で行われたのです。
 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です
引用開始
【チャーターの越権】
 マッカーサー最高司令官によって制定された裁判所条例(チャーター)は戦犯とはなんであるかを確定し、平和に対する罪、人道に対する罪を勝手に定めて、これで裁判官を縛りつけて、裁判を行わせた。それが国際法とどんな関係に立つか、自然法や慣習法とどんな矛盾があるか等は、いっさいおかまいなしに、至上命令として裁判官を拘束したのである。
・・・略・・・
 日本がポツダム宣言を受諾したことにより戦争裁判に付されることを承諾したと解釈しても、その結果容認されるものは、裁判の開始、遂行に関するいわゆる裁判手続の規定にすぎずして、戦争犯罪を定義するが如きいわゆる実質的規定まで随意に定めることを容認したものではないことはまことに明瞭である。
 果たしてしからば、この「チャーター」の内容が、国際法に照らして適法であるか否かの審理権は、裁判所にあったはずである。しかるに本裁判においては、インド代表パール判事を除く十判事は、検事団と同様、このチャーターを至上命令として受け取り、なんらの検討も試みなかった。これがすなわち本裁判がまじめな国際法学者の批判の対象となり、後世史家のものわらいの種となった所以である。
 パール判決はこの点を次の如く論じている。
「本官はここで降伏要求の条件ならびに最後の降伏条件に関する限り、それらの条件中には、日本国または日本国民に関する絶対的主権を戦勝国ないし最高司令官に付与するものは全然ないということを指摘すれば十分である。さらにこれらの諸条件の中には、明示的にも黙示的にも、戦勝諸国もしくは最高司令官に対し、日本国および日本国民のために法律を制定し、あるいは戦争犯罪に関して立法することを許可するというようなものは存しないのである。・・・略・・・」
 なおパール判事は四年ぶりに再来日し、1952年11月2日、大阪弁護士会でつぎの如く演説した。
「国際軍事裁判と称して、ニュルンベルグと東京で行った彼らの二つの裁判、これに適用した二つの法律が実は二つの裁判所に限った法律であった」ということを、今になっていい出すのは、法律を侮辱するも甚だしいといわなければならない。法律という名に値しない法律である。いいかえれば一部の者に対する法律は、法律ではなくして、リンチ(私刑)にすぎない。彼らはニュルンベルグと東京裁判はチャーターによって定められた法律で裁いたという。このように勝手にチャーターを作って、勝手に人を裁いたというなら、裁いた判事自身こそ、本当の犯罪―法を曲げた違反者として裁かれなければならぬ。・・・略・・・」
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2006年08月06日

東京裁判の正体2

 菅原裕著「東京裁判の正体」の中から特に私がこの掲載の主旨に必要と考える部分だけを引用し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 東京裁判はポツダム宣言に従って行われたもので、その当時の国際法に従って審理されると考えるのは当たり前のことですが、この裁判だけに適用するマッカーサーのチャーターで拘束されたと言うことが、復讐のためのリンチでしかなかったと批判される所以でしょう。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
引用開始
【侵略決定の困難】
 相互に対等の独立主権を持っている国家間の紛争の解決方法は、互譲か戦争のほかにはない。一国が他国の政策を批判、干渉することは独立国間においてはあるまじきことで、同様に戦争についても、一国の開戦行動を、他国において「侵略」の烙印を押すことは、独立国の本質を無視することになる。
 これが従来国際間において侵略なりや否やは、その国自体が決定するほかはないとされてきた所以である。本裁判所において検事側が金科玉条とした不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)の締結にしても、ケロッグ氏自らつぎの声明をしているのである。
 「自衛権は関係国の主権下にある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する・・・」
 すなわち防衛の範囲、方法の制限ができないのが、従来の国際社会の通念であり、実情である。いまもし、不戦条約によって、戦勝国が勝手に敗戦国に「侵略」の烙印を押すことができるとすれば、自衛とか防衛戦争とかは、たんなる戦勝国の戦利品にすぎないことになりはせぬか。窮鼠に対する猫の詰問が、どうして文明世界の平和建設の鍵となり得るであろうか。

【戦勝国の処罰権】
 普通、国際法上の犯罪といわれる海賊行為や奴隷問題等は、同時に各国内刑法の対象となり得るもので、純粋な国際法の犯罪ではない。これに反して、侵略戦争に関する罪は、純然たる国際法違反でなければならぬ。
・・・略・・・
 平和に対する罪を裁く裁判である以上は、戦争の結果たる勝敗とは関係なしに考えられなければならぬ。戦争の結果は必ずしも、正しき者が勝つことにきまってはいない。侵略戦争をしかけた者が勝つこともあれば、正しい者が負ける場合もある。戦争に負ければ、敗戦による種々の制裁があるが、戦勝の場合はない。
 世界正義の見地からは、不正な戦争をやって勝った者に対してこそ、国際裁判による制裁が加えられるべきである。いずれにせよ、戦争の原因や方法の当、不当を審判することは、戦争の結果と関係のあるはずがない。したがって被告は敗戦国民だけに限るべきでなく、また審判する者も、戦争に関係のない第三国民が理想であるが、もし当事国も入れるとすれば戦勝国民だけではなく、敗戦国民も加えなければならぬ。・・・略・・・
この点についてパール判決書にはつぎの如く記載されている。
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posted by 小楠 at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判

2006年08月05日

東京裁判の正体1

 今回から10回に分けて、菅原裕著「東京裁判の正体」の中から主要部分を引用して掲載し、東京裁判史観からの脱却を奨めたいと思います。
 菅原氏は東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人として法廷に立たれた方です。
 本文からの引用前に、この本の最初に「復刊にあたって」という説明と、清瀬一郎氏の「菅原学兄の労を感謝し、本書の序に代える」というのがありますが、ここも重要な部分と思いますので、まず引用してみます。
 清瀬一郎氏は、東條英機大将の弁護をされた方です。
 初回の最後には菅原氏本人の序も少しご紹介しました。
shotai.jpg
【「復刊にあたって」からの引用】
引用開始
 今日ほど、日本人の心が空虚になった時はない。国の尊厳も、やまと心のゆかしさも消え、国政に携わる政治家や官僚の正しい日本の歴史への無知さ加減には驚かされるばかりである。
 近隣諸国の不法な内政干渉や恫喝に脅え、卑屈な土下座外交と巨額なODAを外国に送り続ける姿に接する度に、忸怩たる思いをしてきた。どうして、日本は近隣諸国に対し毅然たる態度を取りえないのか、疑問でならない。
 その起因するものが、大東亜戦争の終結の仕方にあった。日本に乗り込んできたマッカーサー占領軍最高司令官は、休戦協定とした「ポツダム宣言」の内容を実質的に日本国の「無条件降伏文書」にすり替え、悪名高い「東京裁判」を強行した
 当時、国家の戦争権は、国際法で容認されている主権国家の権利であって、戦争を「犯罪」として裁くことは、明らかな国際法違反であった。
 この裁判に臨んだ日本の弁護人たちは、しだいに露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公職追放等の圧政下に悶々と過ごした。
・・・略・・・
 東京裁判の正体を知ることは、正常な日本の姿をしっかりと掴むこととなる。・・・・日本人のアイデンティティを、一人一人がしっかりと確保すべき時が来ている。
平成十四年八月 国際倫理調査会会長 矢崎好夫
引用終わり。

【清瀬一郎氏の序からの引用】
引用開始
 ・・・・われわれ東京裁判に関係した者は、東京裁判の正確なる事実と、透徹した批判を、後世に伝える重大責任を負担しておるのであります。なぜかというに、この裁判最中に毎日、流されて行った法廷記事なるものは、半分ほどは嘘でありました。 司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界のすみずみまでにゆきわたらしめんとしました。しかもわが方としてはこれに対抗する手段が封ぜられておりました
 昭和二十三年十一月、判決が下されてからも、判決批判はいっさい禁ぜられました。こんな状態が昭和二十七年四月二十八日まで、ちょうど六年間継続したのであります。それゆえ、世間では、日本の旧軍人は戦時中敵国俘虜の虐待や、婦女の凌辱ばかりしておったのかしら、日本の政府は強盗やギャングのような侵略戦争の協同謀議ばかりしておったらしい、マッカーサーは偉い、マッカーサーのおかげで天皇陛下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、というような感想を国内に生みつけてしまった。
 本当はかかる感想は、大いに誤っておるのであります。しかしこれが誤解だとばかりいっても、それだけでは、今では世間は信用せぬ。正確な事実をとらえ来たって、現実にその誤りであることを証明せねばならぬ。また根拠ある法理を闡明(せんめい)して法律適用の過誤を論定せねばならぬ。それが、この事件の弁護の任を引き受けた者に、なお残った責任であります。
 この任務を尽くし終わるまでは、われわれは免責せられておるものではない。もっとも一昨年四月二十八日、わが国が独立するまでは、そんなことを目的とする著述は禁ぜられておったから、
・・・略・・・
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posted by 小楠 at 07:47| Comment(10) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判

2006年07月31日

東條英機宣誓供述書

 日経新聞が騒がせた「富田メモ」に関連して、反日や左翼がいうA級戦犯の代表格として、当時の首相東条英機氏の裁判での宣誓供述書から当時の日本の立場を見てみましょう。
 この内容は、1951(昭和26)年3月の米国上院軍事外交合同委員会に於けるマッカーサー証言を一読の上ご覧頂ければ、マッカーサーの認識とこの供述書の内容の一致していることが判ります。
tojyo.jpg
「大東亜戦争の真実」(東條英機宣誓供述書)から、最後の部分を引用して掲載してみます。

引用開始
【対ソ外交と共産主義】
 日本はいまだかつて検察側の主張するがごとき、ソ連邦にたいし、侵略をなせることはもちろん、これを意図したこともありません。わが国はむしろソ連邦の東亜侵略にたいし戦々兢々その防衛に腐心し続けて来たのでありました。
 ことに昭和7年(1932年)満洲国の成立以後においては、日本はその防衛の必要と、日満共同防衛の盟約とに基き同国と協力し、隣邦ソ連にたいし、満洲国の治安確保とその防衛に専念し来たのであります。しかして日本陸軍としては、この目的を達するための軍事整備の目標を主としてソ連極東軍においていたのであります。したがって、日本陸軍の対ソ作戦計画の本質は対ソ防衛であります。その計画の内容に攻撃の手段を含んでおりますが、これは国家が万一開戦を強いられた場合において採るべき戦闘手段を準備計画せるものであり、わが方より進んで戦争することを意味するものではありません。
 また、決して侵略を目的としたものでないことはもちろんであります。なお大東亜共栄圏に西比利亜(シベリア)地域を国家の意思として考えたこともありません。
 本法廷において検察側よりいわゆる「関特演(関東軍特種演習)」計画に関することが証拠として提示せられておりますが、これとてもこの範囲を出づるものでなく、かつこれは一に資材、人員の補充を計ったものであります。
 他面日本の対ソ外交は常にソ連邦との間に「静謐保持」を以って一貫した政策としておったのであります。支那事変ついで太平洋戦争発生後においては、日本は北辺に事無からんことに常に細心の注意を払いことに1940年(昭和15年)4月、ソ連邦との間に、日ソ中立条約の締結を見たる以後においては、これが堅持を基本として対ソ平和政策を律して来たのでありまして、1945年(昭和20年)8月同条約の有効期間にこれを破って侵略を行ったのは日本ではありませんでした
 他面帝国は第三インターナショナルの勢力が東亜に進出来ることに関しては深き関心を払って来ました。けだし、共産主義政策の東亜への浸透を防衛するにあらざれば、国内の治安は破壊せられ、東亜の安定を撹乱し、ひいて世界平和を脅威するに至るべきことをつとに恐れたからであります。
 これがため、国内政策としては1925年(大正14年)治安維持法を制定し(若槻内閣時代)1941年(昭和16年)更にこれを改定し、以って国体変革を戒め、私有財産の保護を目的として共産主義による破壊に備え、また対外政策としては、支那事変において、中国共産党の活動が、日支和平の成立を阻害する重要なる原因の一たるにかんがみ、共同防共を事変解決の一条件とせることも、また東亜各独立国家間において「防共」を以って共通の重要政策の一としたることも、これはいずれも東亜各国協同して東亜を赤化の危険より救い、かつ自ら世界赤化の障壁たらんとしたのであります。これら障壁が世界平和のためにいかに重要であったかは、第二次世界大戦終了後この障壁が崩壊せし二年後の今日の現状が雄弁にこれを物語っております。
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2006年04月24日

東京裁判史観の克服5

 「アメリカが日本を戦争せざるを得ない地点まで追い込んだのだ」。この指摘は決してローガン弁護人ひとりの認識ではありません。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

 アメリカ人のカーチス・B・ドール大佐は、ルーズベルトの長女の元夫でありながら、1968年重い口を開いて、その真相を次のように暴露した。
「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父、ルーズベルトおよび彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保証することではなく、事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと、私は悟ったのです。それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。これは「裏口」からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした」

 英国の軍需生産大臣オリバー・リットルトンは戦時中の1944年6月20日、ロンドンの商工会議所で、「日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは歴史の狂言である。真実はその逆である。アメリカが日本を真珠湾に誘い込んだと見るのが正しいのだ」とスピーチして物議を醸した。しかし、歴史の真実を知る立場からすれば、「日本に騙まし討ちされた」というアメリカ政府の宣伝はよほど腹に据えかねたのだろう。

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2006年04月23日

東京裁判史観の克服4

 アメリカの国内世論は、真珠湾までは大多数が参戦反対であり、ルーズベルトも大統領選挙では「絶対にアメリカ国民の子弟を戦場には送らない」と訴えていたのですが、本心は、いかにして対独戦に参加するかを考えていたと言うことです。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

アメリカの戦争責任
「開戦責任」

 日本は「挑発を受けない先制攻撃」を行った国だと、法廷で連合国から批判された。・・・・
 ルーズベルトは対独参戦のためにしきりにドイツに挑発行動を仕掛けていたが、日本に対してはもっと露骨であった。
 アメリカは1937年に支那事変が始まると、中国国民党の蒋介石政権に借款を与え、武器を売却するなどして、日本に対する非友好的行動を続けた。更に1940年初めには一個の義勇航空隊を対日交戦中の重慶政権に派遣し日本軍と交戦させた。この義勇航空隊はフライイング・タイガーと命名され、指揮官はクレア・シェンノート少将であった。彼らは撃墜する日本機一機につき、500ドルの契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」であった。ことにアメリカ参戦前の二年間はインド・重慶の空路を受け持ち、軍需兵器を輸送したり、日本の海軍航空隊と交戦したりしていた。これらの行為が局外国としては国際法違反であることは明らかであり、アメリカは1940年初頭には既に実質的に対日開戦をしていたといわれても仕方がないだろう。

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2006年04月22日

東京裁判史観の克服3

 戦後になって、当時の様々な記録文書が公開されるに従って、日米開戦以前のアメリカが参戦するために、ドイツへの挑発や中国に対する軍事援助が明らかにされてきました。中でもルーズベルト政権に潜り込んだソ連共産党のスパイによる工作が、この大戦に大きな影響を与えてきたことは、当時、共産党、共産主義に対する認識がいかに甘かったかを知らされます。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

W・O・ダグラス判事
 東京裁判の判決が下された昭和23年(1948年)11月、被告たちがアメリカ連邦最高裁判所に再審請求を申し立てた。ともかくこの請求は一旦受理され、結局却下された。この却下理由について同裁判所のW・O・ダグラス判事は、1949年6月27日の意見書の中で、「極東国際軍事裁判所は、裁判所の設立者から法を与えられたのであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁判所ではなかった。それ故に、パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなかった。それは、政治権力の道具に過ぎなかった」
東京裁判が「司法的な法廷」でない、つまり正式な裁判でない以上、再審請求も成立しないという理屈から再審請求は却下されたのである。

チャールズ・ビアード博士の指摘
アメリカにおける東京裁判批判の決定打となったのは、歴史学の権威であったチャールズ・ビアード博士が1948年、アメリカの公式資料に基づいて「ルーズベルト大統領と第二次世界大戦」なる著書を発表したことであった。博士はその中で、「日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前にルーズベルト大統領はアメリカをして海外に秘密なる軍事行動をなさしめた」と指摘し、戦争責任を問われるべきは日本ではなく、ルーズベルト大統領だと訴えたのである。

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2006年04月21日

東京裁判史観の克服2

 ここでは、東京裁判自体が成立する根拠が無かったことを指摘しています。1907年10月18日のハーグでの「陸戦の法規慣例に関する条約」中の条約付属書、規則、第四十三条には「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及び生活を回復確保するため施し得べき一切の手段を尽くすべし」とあります。
 占領軍はこれを全く無視して、しかも事後法で裁くという暴挙を平然と行った訳です。
関連記事星空の下でさんもご参照下さい。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

ロバート・A・タフト上院議員の講演
 アメリカの生んだ偉大な上院議員としてキャピトル・ヒルに壮麗な記念碑が建てられているタフト議員は、裁判開始からわずか半年後の1946年10月5日、オハイオ州ケニヨン法科大学で開催された学会で、「アングロサクソンの伝統たる正義と自由」について講演した。この講演の最後の部分で、彼はドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判に言及し、事後法による裁判は将来の侵略戦争の発生をくいとめる役に立たないこと、また、この裁判は正義の実現ではなくして復讐心の発現であることを力説し、次のように述べた。
「勝者による敗者の裁判は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、決して公正なものではありえない」。
そして、「ドイツ戦犯12名の処刑はアメリカの歴史の汚点となるであろう」と断言し、同じ過ちが日本において繰り返されないことを切に祈る、なぜならば「日本に対してはドイツと異なり、復讐と言う名目が立ちにくいから」と説いた。

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2006年04月20日

東京裁判史観の克服1

 現在の日本における靖国問題や教育問題、外交問題など、様々な問題の根源となっている「東京裁判史観」について、世界の著名人がどのようにあの裁判を見てきたかを、この本からご紹介したいと思います。そしてこの忌まわしい呪縛の克服こそが、今の日本に先ず必要ではないかと考えます。
trial.jpg
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

レーリンク博士の見解
 東京裁判に十一人の判事のうちの一人として参加したオランダのレーリンク博士は、日本に在任中、GU(占領軍総司令部・参謀第二部)の長であったウィロビー将軍と、テニス仲間として親交を結んだ。・・・任務終了して帰国にあたって、ウィロビーを訪ねた時、ウィロビーは「この裁判(東京裁判)は、有史このかた最悪の偽善であった」と語り、さらに、この種の裁判が行われる以上、自分の息子には軍務に就くことを許さないと述べた。ウィロビーが言わんとしたのは、日本が開戦直前に置かれたような状況にもしアメリカが置かれたなら、アメリカとても日本と同様に戦争を遂行したであろうし、その結果敗戦したら重要な責任ある地位にあった軍人が戦争犯罪人として裁かれるというのは、許しがたいということであった。・・・略・・・
 そして博士は、開戦前の日本への連合国側による石油輸出禁止措置に言及し、日本にはその石油事情からして二つの選択肢しかなかったこと、すなわち、戦争を回避し、自国の石油ストックが底をついて、自国の運命を他国の手に委ねるか、あるいは、戦争に打って出るかの二者択一を迫られていたことを指摘し、その結果遂に日本は開戦に踏み切ったのだが、ウィロビーが語ったのは「自国の死活的利益がこのようなかたちで脅かされた場合には、どこの国でも戦うだろう」(つまり自存自衛のため)ということだったと結んでいる。・・・略・・・

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posted by 小楠 at 08:27| Comment(4) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判