彼は1937年11月から日記を書き始めましたが、この本は上巻の1938年3月12日から始まり、下巻の1945年6月11日までが掲載されています。
この日記は結果として、第二次大戦史を日単位で、時系列で示すことになっている点でも興味があります。
初回引用にあたり、リンドバーグがおよそどのような考えの持ち主であったかを端的にあらわしている、まえがきの部分から始めたいと思います。
チャールズ・リンドバーグ著「孤高の鷲」上から引用します。

引用開始
【まえがき】
私が第二次大戦日記を公刊するのに25年間も待たねばならなかった理由ですが、まず第一に、この日記をしたためていた頃、自分にはこれを公にする気がまったくなかった。内容もプライベートな記録であったからです。第二に、書いてあるデータの一部があまりにも微妙であり過ぎるため、時間的な経過がその鎮静効果を発揮しないうちに公開するのが憚れた。第三の要因としては歳月と共に訪れる客観性や、新しい世代の物の見方に関連するものです。現在に立ち至っても、第二次大戦の苦渋とプロパガンダとはいまだに完全に消え失せていません。
・・・略・・・
私はイギリスで1937年の年末ごろから、この日記を書き始めた。その主たる理由は、私が世界史上の大きな危機の一つにかかわりあいを持ちつつあるという自覚でした。ヨーロッパは戦争の前夜にあった。われわれの文明にとって破局的なものになりかねないが、しかし今ならばまだ阻止できると私が感じていた戦争です。
・・・略・・・
私はゲーリング元帥の招待を受けてドイツ空軍を視察し、その結果はヒトラーの途方もない意図に穏やかならぬ不安感を抱いたのでした。
・・・略・・・
私の結論はどうかというお尋ねですが、われわれは確かに軍事的な意味での勝利を得た。しかしもっと広い意味から考えれば、われわれは戦争に敗北したように思われてならぬ。なぜなら、われわれの西欧文化はもはや昔日のように尊敬されてもいなければ、確固としたものでもなくなっているからです。
ドイツと日本とを敗北させるために、われわれはそれよりも脅威の大きいロシアと中国とを支援した――両国はいまや、核兵器の時代にあってわれわれと対決する関係にあります。われわれはおかげで、多くの人間が生きてきた悠久を通じて形成される根源的な遺産を失ってしまった。その間、ソヴィエトは鉄のカーテンを引いて東ヨーロッパを覆い隠し、何事にも反対する中国政府はアジアでわれわれを脅かしつつある。
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