江藤淳氏の著「忘れたことと忘れさせられたこと」の末尾付録1に、昭和20年12月8日大東亜戦争開始四周年を期して発表された、米軍司令部当局提供特別記事「太平洋戦争史」がいかに米国に都合よく、日本=悪の思想を日本国民に浸透しようとする意図のものであるかを批判する、総務局資料課の富枡嘱託の論が掲載されていますので、ご紹介しようと思います。なお、文中同文とあるのは米軍司令部当局発表の「太平洋戦争史」のことです。(旧漢字やカタカナの原文を読み易くしておきました)
写真は国務長官コーデル・ハル

引用開始
12、米国政府の戦意決定
同文は米国の対日最後要求を講評して、「十一月二十六日、日本側代表に手渡された回答には米国政府が将来の会談を通じて実現可能と思われる案の唯一の例であることも明示していた」となし、暗にむしろ明白に自己弁護を主張し且つ自発的ならびに継続的に日本が挑戦的なりしを指摘するに努めたれども、翻って委細に検討すれば事実は右発言と正反対なりしは次の三史実によりて例証せらるる所なり。即ち
1)十一月二十六日午後四時半「ハル」は野村、来栖両大使を招致し国務省に於いて該提案を交付したる直後、ホワイトハウスにて開催せられ大統領の参加せし重要会議に於いて「先刻米国通牒を日本大使に交付したるが、日本政府はこの提議を拒絶すべく、而して日本軍部はその伝説的開戦戦術により「パール・ハーバー」を奇襲すべきにより、陸海軍両長官(同席の「スティムソン」ならびに「ノックス」)は同地に於ける各自所轄司令官(ハワイ防備司令官「ショート」陸軍中将ならびに太平洋艦隊司令長官「キンメル」海軍中将)に右の旨通報警告せられたし。この警告は「戦時警告」なりと厳命せり。
2)その後十一月二十九日「ハル」は駐米英国大使「ハリファックス」と対日政策熟慮の際「日米関係中の外交的部面に関するものは事実終了を告げ、今後の事態は米国陸海軍官憲の掌中にて解決せらるるに至らん」と述べ、尚「太平洋情勢に関心を有する米国ならびに他の諸国に取り重大なる誤謬は日本が驚駭の有する要素を以て俄然出動し来るべきを予想せずしてこれを防御せん事を考量するに在り」と付言したり。
これ何たる日米危機洞察の至言ぞ。同時に戦争誘導外交家の胸中を吐露し得て寸毫の疑問を許さず。更に翌三十日「ハル」は米国新聞記者との会見談に於いて再び同様なる自己の確信を披瀝し居りたり。
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