2006年06月12日

尾崎秀実の手記

 「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫著の中にある資料集から、ゾルゲ事件で有名な尾崎秀実の手記の一部を掲載してみます。
 この本は昭和25年初刷ですが、当時は『戦争と共産主義』という題でした。勿論当初は発禁であったようです。

 引用開始
 コミンテルン即ち国際共産党はロシア革命の成功に伴い誕生したもので、・・・略・・・世界各国の共産主義者の参加を得て1919年3月モスコーにおいて第三インターナショナルを結成しこれが現在のコミンテルンであり、その本部をモスコーに置き、各国の共産党を支部として傘下に収めております。
 コミンテルンは世界革命を遂行して世界共産主義社会の実現を目的とする共産主義者の国際的組織であります。・・・略・・・
 現にその日本支部たる日本共産党に対しても昭和二年のいわゆる二十七年「テーゼ」、昭和七年のいわゆる三十二年「テーゼ」などその他をもって日本に到来すべき革命の性質を規定し日本に来るべき革命はブルジョア民主主義革命でその革命は急速にプロレタリア革命に転化するものとしあるいは革命の性質は急速にプロレタリア革命に成長するブルジョア民主主義革命なりとして、天皇制の打倒をスローガンとすることを規定しております。従ってコミンテルンは世界革命の一環として我が国においても共産主義革命を遂行してわが国体を変革し、私有財産制度を廃止しプロレタリア独裁を樹立しこの過程を通じて共産主義社会を実現せんとするものであることは勿論であります。・・・略・・・
 コミンテルンの政策はソ連政府の国際政策に強く支配されているばかりでなく自主的にもその世界革命完成の目的のためにその中心をなす唯一の現有勢力たるソ連国家を守りその存在を維持するための政策をとらざるを得ないのであります・・・略・・・
 吾々のグループの目的任務は特にゾルゲから聞いた訳ではありませぬが私の理解する所では広義にコミンテルンの目指す世界共産主義革命遂行のため日本における革命情勢の進展とこれに対する反革命の勢力関係の現実を正確に把握し得る種類の情報ならびにこれに関する正確なる意見をモスコーに諜報することにあり、狭義には世界共産主義革命遂行上最も重要にしてその支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛するため日本の国内情勢特に政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道し且つ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるにあるのであります従ってこの目的のためにはあらゆる国家の秘密をも探知しなければならないのでありまして、政治外交等に関する国家の重大な秘密を探り出すことは最も重要な任務として課せられているのであります。
・・・略・・・
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2006年05月29日

第二次大戦に勝者なし2

「第二次大戦に勝者なし」ウェデマイヤー回想録より。
 ウェデマイヤー回想録では、欧州戦線も詳細に記述されており、第二次世界大戦の全体像がよくわかります。やはりアメリカ、イギリスの主眼はヒトラーとドイツの抹殺であり、世界の平和実現というのは結果から見ても全く偽善としか思えません。
wedemeyer2.jpg
引用は(上)巻からです。
真珠湾攻撃の真相2
 ルーズベルトはアメリカ国民が参戦反対であるのに、なんとかしてアメリカ国民を戦争に介入させよう、と決心していた。
 武器貸与法(1941年3月成立)から1941年8月の大西洋会談にいたる間、ルーズベルトは戦時国際法の中立違反や、アメリカの議会、国民の意志とは反対の行動をとって、あるときは堂々と正面からやるかと思えば、あるいは裏面工作を行った。
 たとえば、イギリスを援助するためにアメリカがとった<戦争一歩手前>の行動につづいて、「独伊の適性軍を攻撃撃破すべし」と、アメリカ大西洋艦隊あての1941年8月25日付け秘密命令が発せられた。この秘密命令は、大西洋会談の二週間後に出されたものである。この会談において、ルーズベルトは「余は宣戦しないかも知れないが、戦争はするかも知れない。もし、議会に宣戦するようにと要請すれば、彼らはそれについて三ヶ月も議論するかもしれない」と述べている。
 アメリカ駆逐艦がドイツ潜水艦を攻撃したグリア号事件ののち、ルーズベルトは9月11日、「ドイツ潜水艦は見つけ次第攻撃せよ」という演説を行った。彼はこの演説で、ドイツ潜水艦と通商破壊艦を<ガラガラヘビ>ときめつけ「ガラガラヘビがカマ首を持ち上げるのを見つけたら、飛び掛るのを待つまでもなく、直ちにたたきつぶせ」と述べ「今後、独伊の艦船でアメリカの設定した防衛水域に立ち入るものは、それによってこうむる損害は彼ら自身の責任である」と言明している。
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2006年05月27日

第二次大戦に勝者なし1

「第二次大戦に勝者なし」ウェデマイヤー回想録(上)より。
 ウェデマイヤー将軍は、1940年初めから43年の秋までアメリカ陸軍参謀本部戦争計画部の政戦略班に勤務し、米国の第二次大戦戦略動員計画である<勝利の計画>をみずから作成し、またマーシャル参謀総長の懐刀として数次の米英首脳会談にも列席し、その裏面史を親しく目撃してきた。それから彼は、中国戦線で米軍総司令官兼蒋介石付参謀長を務めており、終戦時、中国大陸にいた390万の日本軍将兵と在留邦人の早期内地送還について、大いに尽力された。
wedemeyer1.jpg
★引用開始
真珠湾攻撃の真相1
 日本の真珠湾攻撃は、アメリカによって計画的に挑発されたものであるという事実は、真珠湾の惨敗と、それにひきつづきフィリピンを失陥したことにより、おおいかくされてしまった。
 アメリカ国民をヨーロッパ戦争に裏口から参戦させようとしていた当時のアメリカ政府は、フィリピンのアメリカ守備隊を日本軍の犠牲に供するもやむをえない、と考えていた。アメリカ国内の反戦派の人たちは、ルーズベルトがドイツに対しては明らかに戦時中立を犯す行動をとり、また日本に対しては最後通告をつきつけて、なんとかしてアメリカを参戦させようとしていたことは、じゅうぶんに承知していた。
・・・略・・・
 この二十世紀のもっとも悲惨な時代に、主要な役割を演じた人々の伝記や覚え書きが出版され、また米・英・独の公式文書が発表されたりしたので、日本軍の真珠湾攻撃以前の反戦派の人達によってわずかに想像されていた事柄が、いまや、これを知ろうとする者にはだれにでも、はっきりと知ることができるようになった。
・・・略・・・
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2006年05月20日

満州国の合理性

 日本では特に反日や左翼、朝日新聞などは、未だに当時の日本がやってきたことは「侵略」で欧米、ソ連のやったことは「進出」などと、全くお人よしと言うより、馬鹿の見本のような表現をしていますが、海外の良識人のほうが歴史を歴史として客観的に見ていたのでしょう。
「世界から見た大東亜戦争」より
引用開始
 ジョージ・ブロンソン・レーの著した「満州国出現の合理性」(1935年)と言う本が紹介されていました。G.B.レーは中国在住三十二年のアメリカ人ジャーナリストです。

引用開始
 戦後日本では、満州事変後の歴史を否定的に見ることが、過剰と思われるばかりにあふれています。欧米がアジアを侵略したことは「進出」と言い、日本の戦争に対しては「侵略」のレッテルを貼るようなアンバランスぶりです。
 歴史書や百科事典あたりでも、満州国には「傀儡国家」とか「偽国」と書いていますが、ソ連の衛星国やその他傀儡と思われる国家には、この言葉は使いません。・・略・・・
 G.B.レーは満州を「傀儡国家」と呼ぶことを批判して、
 〈世界は満州国を呼んで、“傀儡国家”であるという。満州国人自ら政治の術に長けていないために、立国当初日本人専門家の友好的援助を受けて新国家を組織したのである。それを傀儡というなら、世界には無数の傀儡国家が存在することになる。〉・・・略・・・
 それは欧米流の植民地ではなく、それ以前にソ連がモンゴルに対して行った共産主義に基づく衛星国家化でもなかった、必然性も合理性もあった、その点を指摘しています。

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2006年05月19日

満州事変の調停

 日本では満州事変を「侵略」と教えているようですが、これも全くの誤りです。反日、日教組は嘘をついてまでも、よほど日本と日本人を「悪」にしたいようで、彼らこそ日本人の心への侵略者でしょう。日本人の敵は彼等です。
「世界から見た大東亜戦争」より
リットン報告書 満州事変は侵略ではない
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引用開始
満州事変が起こると、支那はこれを国際連盟に提訴しました。国際連盟は、イギリスの代表リットン卿を団長とする調査団を満州に派遣しました。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、イタリアの五カ国、二十人からなる調査団は、昭和七年二月末日東京に到着、次いで大陸各地を視察し、昭和七年八月三十日に報告書を完成させました。調停案には。

一、柳条湖事件以前への「原状回復」も「満州国の承認」もいずれも問題の解決にならない。

一,外国人顧問(国際連盟理事会が派遣)の指導のもと、広範な行政権を持った自治政府を支那の主権下に樹立する。

一、満州を非武装地帯とし、国際連盟の助言を得た特別警察が治安維持に当たる。

一、日支両国は相互不可侵・相互援助の条約を締結し、もしソ連がこれに参加を求めなければ、別途三国協定を結ぶ。

 これは満州の中立化であり、国際管理です。支那からも日本からも満州を取り上げ、国際管理を提案したわけです。国際管理といえば体裁はよいのですが、実質は国際間の実力者アメリカの管理下に置こうと言うものでした。
 アメリカは、この案が成立すれば労せずして満州を手に入れることになります。

 アメリカの野心を見抜いている日本としては、この調停案を承諾するわけにはいきませんでした。
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2006年05月18日

秘密裡のハルノート

 日本に対する最後通牒ハルノートは、ソ連のスパイと言われている、ホワイトが起草し、議会にも知らせずに日本につきつけたと指摘しています。当時ルーズベルトの側近、近衛内閣の側近、蒋介石の軍事顧問中にスターリンの工作員が潜り込み、中国国民党には毛沢東の共産党員が入り込んでいました。彼らはスターリンの後方安全保障のため及び中国の共産化のために、日米開戦と支那事変の長期化を煽動する役目を忠実に果たしたのでしょう。これは大戦の結果に現出した世界を見れば歴然としているのではないでしょうか。

『日米開戦の悲劇』ハミルトン・フィッシュ著より
 ハミルトン・フィッシュは1888年ニューヨーク生まれで、1919年から1945年まで12回にわたり米国下院議員に選出されました。
引用開始
 1941年11月26日、ルーズベルト大統領は、日本に対し最後通牒を送り、日本軍のインドシナおよび中国(満州)からの全面撤退を要求した。この最後通牒により、日本を開戦に追い込んだ責任がルーズベルトにあるというのは、歴史的事実である。
 対日懐柔策に徹底していたイギリス政府は、ヒットラーのロシア侵攻後、またたく間にその政策を変更したが、これは、チャーチルがルーズベルトから、極東における英国の権益を擁護するとの約束をとりつけたことによる
 かくして、チャーチル、スターリン、オーエン・ラティモア、スティムソン、およびロックリン・カリーは、いわば“裏口”から米国を第二次大戦に参戦させることを促す役割を果たした。
 日本に対し秘密裡に最後通牒を送ることに関与した人物の行動は、情け容赦なく調査され、暴露のもとにさらされるべきである。
 キンメル提督およびショート将軍は、職務怠慢または、誤った判断を行ったというようないかなる責にも問われるべきではなかった。ハルゼー提督がいみじくも述べたように、彼らは、上層部のために「スケープ・ゴートとなった殉教者」であり、この上層部こそが、パールハーバーの悲劇における三千名の米水兵およびその他の米軍人の死の責任を負っている。
 何年か後になって、キンメル提督は、歯に衣を着せることなく、次のように述べている。
 「ルーズベルトなどの指導者たちは、パールハーバーにおける米軍を故意に裏切った」(『ニューズ・ウイーク』1966年12月12日号)
 「ルーズベルトがすべての計画の責任者であった。彼はおそらく“マーシャル以外の者は日本艦隊の動きに関しパールハーバーへ一言も連絡してはならない”旨指令したと考えられる。その後マーシャルに対しては、いかなる連絡もしないよう命令した」(『ニューヨーク・タイムズ』1966年12月7日号)
・・・略・・・
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2006年05月17日

ルーズベルトの嘘と偽善

 ルーズベルトは対独戦参戦のためには、米国民を騙してでも自分が大統領になる必要があったのでしょう。国民には以下のようなアピールをしながら、裏では参戦の口実を作るために、ドイツの潜水艦に対する挑発を発令したりしていますが、これには失敗し、結果的にドイツの同盟国である日本に対米攻撃をさせることで、待望の対独戦に参戦できたということです。
『日米開戦の悲劇』ハミルトン・フィッシュ著より
ハミルトン・フィッシュは1888年ニューヨーク生まれで、1919年から1945年まで12回にわたり米国下院議員に選出されました。
引用開始
 1940年の大統領選挙の終盤になって、民主党首脳は、平和支持者の票が強力であることを恐れて、ルーズベルトに平和への強いアピールを行うことでこれに対処するよう進言した。これがルーズベルトに歴代大統領の中で他に類を見ない、最もショッキングで、卑劣かつ真実に反する国民向けの発言を行わせるもととなった。
 それは、大統領選挙投票の一週間前の1940年10月30日、ボストンにおいて行われた。「私は、母であり、あるいは父であるあなた方に話すにあたって、いま一つの保証を与える。私は以前にもこれを述べたことがあるが、今後何度でも繰り返して言うつもりである。“あなた方の子供たちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない”」とルーズベルトは発言した。さらに、ウェンデル・ウィルキーを破り、三期目の大統領に選出される数日前の11月3日、ルーズベルトは次のように付け加えた。
 「われわれの外交政策の第一の目的は、米国を戦争に参加させないことである」
 米国津々浦々の市町村の選挙民は、合衆国大統領によってなされたこれらの公然たる和平の約束と保証を信じ、これに拍手喝采を送った。
・・・略・・・
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2006年05月16日

日米開戦の企て

 今回からは、日米開戦に至る経緯を、先ず当時の米国下院議員であり不介入主義者であった、ハミルトン・フィッシュの著作で見てみたいと思います。ルーズベルトにとって、対独戦への参加は規定のことであったにも拘わらず、参戦反対の大多数の米国民をいかにうまく戦争に導くかを企んでいたことがわかります。
『日米開戦の悲劇』ハミルトン・フィッシュ著より
ハミルトン・フィッシュは1888年ニューヨーク生まれで、1919年から1945年まで12回にわたり米国下院議員に選出されました。
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引用開始
 フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるというルーズベルトの最終目的を達成させることであった・・・
 ルーズベルトはわれわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである
 米国民の85%は、第二次世界大戦はもとより、いかなる外国における戦争に対しても米軍を派遣することに反対していたという現実にもかかわらず、ルーズベルトは、欧州戦争の開始当初から、米国は同戦争に参戦すべきであると確信していた。この大戦は、結果として、30万人の死亡者と70万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらしたのである。
 今われわれが教科書で教わっているところによれば、われわれが第二次大戦に参戦した理由は、日本によるパールハーバーへの攻撃である。しかし、その後明らかになった諸事実によれば、これは現実的ではない。
 ルーズベルト大統領およびコーデル・ハル国務長官は、パールハーバーの10日前に、日本に対し、意図的に最後通牒を送っている。そのメッセージは、「日本の陸・海・空軍および警察を、インドシナ(ベトナム)と満州(中国)から引き揚げよ」というものであった。これによって日本には、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されなかった
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2006年03月28日

大東亜戦争の正論最終

 1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」の中で、私が特に印象的に思った部分を合計8回にわたって引用してきました。
 ヘレン・ミアーズの考察は、公平、公正、戦勝国の立場でも日本の立場でもなく、理路整然とあの戦争を分析しています。今回で最終の引用とします。
引用開始

 今日私たちがいっているように、ソ連が「世界の脅威」であり、日本を支援(日露戦争時代)した、かつての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満州を緩衝国家にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に無能だったことになる。そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。
 わたしたちの政策担当者は、パールハーバー以前の政策と現在の政策をどう整合させようとしているのか。何百万の生命と何十億ドルに相当する物量と人力をかけて、わたしたち自身の民主主義をぶち壊してしまう前に、政策担当者は「脅威」の実体について、もっと透徹した思索をめぐらし、揺るぎない決断を下すべきなのだ。
引用終わり。

この本は名著だと思います。日米戦争をこのように冷静な目で見た彼女には本当に頭が下がる思いをしました。

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2006年03月27日

大東亜戦争の正論7

1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。
引用開始
もう一つの逆戻り

 渤海湾への入り口と天津、北平(北京)への道を制する遼東半島先端の戦略的港湾、旅順港をめぐる状況はどうだったろうか。
1895年
 日清戦争。日本が勝つ。中国は旅順港と遼東半島の先端部を割譲することになったが、フランス、ドイツが後押しするロシアが抗議。日本は極東平和のために要求を撤回した。
1898年
 ロシアが旅順と遼東半島約1300平方マイルについて25年間の租借権を得る。
1945年
 再びヤルタ。ルーズベルト米大統領、チャーチル英大統領、スターリン・ソ連首相が会談。旅順は再度ソ連に移譲されることになった。このほか、ヤルタは次の諸事項をソ連に保証している。
(1)外モンゴルの現状維持。
(2)・・・南樺太の割譲。大連港の国際化。「同港におけるソ連の最大発言権・・・」を保証する。
(3)千島列島(どう見ても日本列島の一部である小島郡)のソ連への割譲。

 ヤルタ協定には次のような文章が入っている。
「三大国首脳は、ソ連の主張は日本の降伏後異論なく完全に達成されることで合意した」、「外モンゴル、港湾、鉄道に関する合意には・・・蒋介石総統の承諾を求めるものとする。米大統領はスターリン元帥の勧告を入れ、この承諾を得るための措置を講じる
 アメリカの政治家たちはいまだにこうしたことを「合法的に」やっている。
 国際問題を正しく理解するには、ヤルタ協定をもっと詳細に見る必要がある。ヤルタ協定を考える場合、@満州の歴史、A私たちがパワーポリティクスと、「暴力と貪欲」を否定するに際して、イギリスとアメリカの政策立案者が発した高邁な宣言、Bヤルタの取り決めにおける中国の立場、C国際関係における「合法性」の概念、の諸点から見ると、西洋列強が「後れた」地域を「指導」する場合の教育システムの間違いが、実に鮮やかに浮かび上がってくる。
 たとえば、「合法性」についての考え方である。在満鉄道の移譲を要求するソ連の法的根拠は何であろうか。彼らは中国東部を二回にわたって「法的に」手放したのだ。一回目は、中国のために要求を放棄した。これは見事だった。二回目は、満州国に売却した。したがって、ソ連への割譲は、対日戦争に協力する見返りであったことは、一目瞭然である。・・・略・・・

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2006年03月26日

大東亜戦争の正論6

1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。
引用開始

 私たちの現在の韓国政策は、実は日本軍国主義を免罪しているのだ。アメリカの「安全保障」のために秩序を維持し、ソ連を押さえ込み「共産主義の脅威と戦う」ために、韓国に軍隊を駐留させる必要があるなら、日本が韓国だけでなく、満州と中国に軍隊を駐留させることのほうが重要だった。私たちは自分たちの行為なら犯罪と思わないことで日本を有罪にしている。これは正義ではない、明らかにリンチだ。
 韓国国民の幸福と言う点でいえば、私たちの政策の方が日本より悪い。日本の韓国統治が、自由と民主主義の原則からみて悪であったにしても、平均的国民の生活と自由という点では、状況は今よりはるかにましだった。今日、韓国国民は一人の主人に代わって二人の主人をもっている。韓国経済の安定は完全にくつがえった。そして国は経済的に二つの地域に引き裂かれている。朝鮮民族はソ連とアメリカに率いられる二つの陣営に分けられようとしている。朝鮮民族は解放されるどころか、事実上、敵対するブロックの傭兵部隊にされている。・・・略・・・

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2006年03月25日

大東亜戦争の正論5

1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。

引用開始
 私たちの占領はどう見ても日本の軍事力に対する防衛的軍事行動とはいえない。もし対日戦争の目的が日本の戦争機関、軍事生産、軍事生産能力を破壊し、その台頭を許した国民を罰することであったなら、占領は必要なかった。なぜなら、私たちが日本に上陸する前に、その目的は達成されていたからだ。戦争それ自体の結果として、日本は「二度と侵略戦争が出来ない状態に置かれていた」。
 軍事的にいえば、占領は単に警察官の役割を果たしているにすぎない。日本軍の武装解除と残存する軍事装備、貯蔵物資の解体を監視するだけのことなのだ。この仕事は二ヶ月で終わった。・・略・・
 それならば、なぜ、と問いかけたい。日本は完全に無防備であり、文字通り一隻の軍艦、一機の戦闘機、いかなる種類の飛行機ももっていないのだ。武装解除され、非武装化され、産業は戦前のほぼ三分の一にまで縮小され、国民は日常の食べ物に事欠き飢餓状態にあるというのに、どうしてこの国を軍事占領し続ける必要があるのか?

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2006年03月24日

大東亜戦争の正論4

1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。
引用開始

 スチムソンは、日本が降伏しない場合は11月1日に本土上陸することを決定していたと述べている。そしてこの作戦では「米軍だけで百万の死傷者」を覚悟していたというが、これは恐ろしい決定である。これだけの命が懸かっているのに、私たちは降伏するつもりの(同年3月以降のこと)日本のスポークスマンを受け入れて、降伏の用意があるかないかを確かめようともしなかった。私たちは勝手に、日本は降伏しないと決め付けていた。米戦略爆撃調査の報告を読むと、もし私たちがポツダム会議で日本の意向を聴取していたら、ポツダム宣言も、原子爆弾も、本土上陸作戦も必要なく、降伏を準備できたように思われる。
 日本政府の頑迷派に圧力をかけるためなら、女子供の命を蒸発させることも「優れて適切な」手段であるというスチムソン元陸軍長官の言明が、戦争の熱いさなかだけでなく、日本の降伏から一年半も経ったというのに、いまだに記事になり、広く容認されている。この事実は、私たちの選んだ社会理念が、私たちが思っていたほどには明確でなかったことを物語っている。
 私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名の下に犯した罪は自動的に免責されると思っているのだろうか。


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2006年03月23日

大東亜戦争の正論3

 1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。
引用開始

 蒋介石のオーストラリア人顧問、W・H・ドナルドがルソンの日本軍捕虜収容所から解放されたあとのインタビューで語ったところによれば、日本は1938年から1941年の間に「十二の和平案」を行っている。
 日本側の条件は中国側に「有利」なものだった、という。つまり、日本の要求は、満州国の独立の承認、華北の経済と開発に関する何らかの権利、「外蒙古から及ぶロシアの影響力の伸長を阻止するための内蒙古の政治的調整」だけだった。ドナルドは「日本はこれらの提案の中で、領土的要求はいっさいしていない」と語っている。・・・略・・・

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2006年03月22日

大東亜戦争の正論2

1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」からの引用を続けます。

引用開始
 1932年からパールハーバーまでの十年間、駐日大使だったグルー氏から米戦略爆撃調査団のメンバーにいたる公的立場のアメリカ人はすべて、日本の指導部は終始「国家の存亡にかかわる利益」のために戦っていると考えていた、と証言するのだ。グルー大使は、1932年9月3日、東京で自分の日記に次のように書いている。
 「日本は・・・(満州における)全行動を国の存亡にかかわる至上命令、あるいは自衛手段の一つ、と考えている。彼らはこの考えに立って、戦争も辞さない覚悟を固めている」
 日本の戦争指導部から事情を聴取した米戦略爆撃調査団が1946年7月、大統領に提出した報告は次のように言う。
 「日本の指導部が国家の存亡にかかわる利益のために戦っていると固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対して、アメリカは単に自分たちの経済的優位と主義主張を押し付けようとしているのであって、国家の存亡にかかわる安全保障のために戦ったのではない、と彼等は信じていた」・・・略・・・

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2006年03月21日

大東亜戦争の正論1

 戦勝国のアメリカ人でありながら、この方の大東亜戦争の客観的な考察には頭が下がる思いがします。
1948年 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」の中で、私が特に印象的に思った部分を何回かに分けて引用してみたいと思います。
 ミアーズはGHQの一員として1946年2月に来日しました。
1949年8月6日付 マッカーサー書簡で、「占領が終わるまで、日本人はこの本を日本語で読むことはできない」と日本での発禁の書となっていましたが、
1995年になってやっと日本語版が出版されました。
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引用開始
 日本の地理的条件、市場と原材料の対外依存性を考えるなら、日本の不安の方がアメリカより大きいと思う。私たちの指導者が自分たちの警告を本当に信じているのなら、日本の指導者もまた自分たちの警告を本当に信じているだろう。私たちはその可能性を認めなければならない。日本の指導者が自分たちの行動はあくまで「防衛的」なものだと信じている可能性を認める必要がある。私たちの「生命線」が国境から何千キロも離れたライン川とダカールとパールハーバーなら、日本人が現実にすぐ近くにあるアムール川、揚子江を自分たちの生命線と考えて当然である。
 日本がこういう状況に立ち至ったのは、生来侵略的な指導部のせいでも、とりわけ従順な国民のせいでもない。危機感をあおり戦争を安易に信じ込ませる内外情勢に原因がある、ということが見えてくるにつれ、問題の焦点が移り始めた。日米双方で悪を演じているのは「危機的事態」なるものなのだ。・・・略・・・
 私たち自身の国家的危機から考えてみても、日本国民が自分たちの指導者をコントロールできないのは当然である。そして指導者は、パニックに目を塞がれているか、危険でダイナミックな力が作り出す推進気流を制御することが出来ないでいる。それは、乗客が力で落下する飛行機を制御できないのと同じだ。・・・略・・・

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