2007年02月23日

スタール博士の講演2

日本は外交で譲歩するなかれ

 前回に続いて、昭和五年十月十九日、スタール博士が、一時帰国の前夜、東京中央放送局から全国中継でラジオ放送を行い、多大の感銘を与えた部分がありますので、「世界に生きる日本の心」から引用してみます。
この本については陸奥月旦抄様も記事にしておられます。
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写真は人力車上のスタール博士

引用開始
 日本は今や過去の孤立鎖国の域を脱して、世界の列強の一つとなった。日本は世界の進歩発達に際して真のリーダーとなるべき幾多の機会を有したが、勇気と確信を欠きたるためにしばしば絶好の機会を失ったことは痛嘆の至りである。日本はこの大責任を果たさんためには高遠の理想と、高尚なる目的と、確乎不抜の決断と、特別の智慧を有たねばならぬ。
 今日何れの国家と雖も利他的なものはない。また、これを期待することは愚である。日本は国際親善の精神と正義の観念とをもって、自主的見地から勇往邁進せば、反って世界の尊敬を受け自然のリーダーとして立つことができると信ずる。(中略)

 日本は1895年の日清戦争以来、常に外国の圧迫に対して譲歩に譲歩を重ねて来た。日本は他国の要求及び意志に従わんとして常に国家の重大事に関して譲歩したのである。私は日本の譲歩の動機は国際協調及び国際親善のために寛大なる態度に出でたのであろうと信ずる。
 然しながらかかる政策が繰り返されたならば、外国はこれを目して日本は国際親善の目的に非ずして、むしろ自己の行為または判断の不当を容認せるか、然らざれば卑怯に起因せるものなりと誤解し、その結果日本を軽蔑するようになって来るのである。斯様に推移して行くならば、日本は将来必ずや国権を主張せねばならぬ機が到来するであろう。しかしながらその時は日本の主張が有効となるにはあまりに遅過ぎるのは遺憾である。要するに日本の諺に「後悔先に立たず」という名言がある。

 今これを例証せんとせば、米国の排日移民法通過の際の日本の態度の如きはその適例である。日本政府当局者は何故に日本国民の名誉のために、且つ正義人道のために、正々堂々と日本の正当の主張をなさなかったか。米国との親善を希望して米国に遠慮し、最後まで日本の主張を率直に米国民に披瀝しなかった故に、反って不幸なる結果を招来したのである。

 日本はワシントン会議に於いて日本の国防上多大なる犠牲を払って大譲歩を為した。国際関係に於いては国家と国家との間は対等であらねばならぬ。然るに日本は何故にワシントン会議に於いて、自ら進んで世界列国環視の前で、巨艦に於いて対英米六割の比率を承認して自国の劣等なることを制定する条約に調印したのであるか。
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2007年02月22日

スタール博士の講演1

自国の美風を守れ

 昭和五年十月十九日、スタール博士が、一時帰国の前夜、東京中央放送局から全国中継でラジオ放送を行い、多大の感銘を与えた部分がありますので、「世界に生きる日本の心」から引用してみます。
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引用開始
去るに臨みて親愛なる日本国民諸君へ
☆はじめに
 親愛なる日本国民諸君、今や日本を去るに臨んで私は諸君に別離の辞を呈したいと思う。私の生涯は国際関係に於ける日本の活動の時機に等しいのである。私は1858年、即ちタウンゼント・ハリスが江戸条約(日米修好通商条約)を締結しその条約によって通商上発達を期したる年に生まれたのである。
 八歳の時初めてペルリ提督の「日本来航記」を読んで深く感動した。三十年間シカゴ大学に日本に関する講座を置いて隔年毎に講義をなした。その講座は日本の地理・民族・風俗・習慣・文化・民族的心理・宗教・歴史・政治・外交等の広い範囲にわたっていた。この講座は1894年日清戦争当時に創設せられたものであって、戦争中日々教室にあって日本軍の活動に対して多大の注意を払っていたのである。

 私は日本の近代の重大なる危機に際して常に日本国民と憂苦歓喜とを共にして来たのである。故に私は日本国民の悲痛の際に於いて、或は成功して歓喜の絶頂に於ける日本を知っているのである。
 1904年私は横浜に上陸して、其の日の午後東京に到着するや、日露開戦の号外発行を見たのである。当時私の用務は北海道にあったので、沿道における日本軍隊の活動及び日本国民の真剣なるを見て大いに感動した。
 1918年欧州大戦中日本を訪問し日本が連合国のために多大の犠牲を払い努力せるを目撃した。然しながら日本の参戦の意義と日本の努力とは今日尚世界から感謝されておらぬは遺憾である。(中略)

☆自国の美風を守れ
 ここに私をして二つの問題を講究せしめよ。まず第一に、日本は西洋との接触によって日本固有の多くの美点を犠牲に供したことを痛感せずには居られぬ。日本の文化は古き歴史を有し、賞賛すべき幾多の美点を有している。
 今を去る一千二百年前、奈良朝の文化燦然たる時代に於いて、ヨーロッパの何れの国がその優美と典雅の点に於いて、日本に匹敵する文明を持っていたか。日本は外国から借りてきた文化を直ちに消化して明確に日本化したのである。

 日本の文化はこのようにして数世紀の間維持せられて来たが、近来西洋との接触に伴い、日本文化は根底から動揺を来たし破壊せらるるに至った。外国との接触によってある程度の変化を来たすことは当然である。然しながら日本の近来の外国文化の輸入はいかにも盲目的であることは、日本のために遺憾千万である。
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2007年02月21日

スタールお札博士

排日移民法反対

 日本を愛し、富士山をこよなく愛したアメリカ人、故フレデリック・スタール博士(1858〜1933)を「世界に生きる日本の心」という本からご紹介します。
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引用開始
・・・・ スタール博士は、来日までシカゴ大学のウォーカー博物館の人類学部長を勤めていました。彼は明治三十七年、セントルイス学術研究団の一員として、アイヌの人類学研究が主目的で来日しました。来日した時が日露戦争の時で、日本人の民族性に魅せられ、来日回数は、前後十五回に及びました。
 特に富士山の崇高さ、秀麗さ、雄大さに魅せられ、富士山の大崇敬者になり、また富士山の影響と日本民族のことを深く研究し、日本そのものの魅力にとりつかれ、自身も日本人のようになりたいと思いました。博士は我国滞在中は、常に紋付袴を着用し、その日常生活は、日本人と同じ生活様式に倣ったのでした。

 私共は、彼の日本の理解者としての親日ぶりに好感と敬意を表するものでありますが、只それだけではありません。満州事変及びその後の国際情勢緊迫当時、日本に対する欧米諸国のつのる反日感情に対して、彼は米国に再三往復して、日本の立場の理解に奔走しました。
 従って博士は、その時は敢然、自ら進んで日米親善の民間外交の秀れた大家となりました。知遇のあった人々からは、もし博士が、せめて昭和十九年頃まで健在であったならば、日米は戦わずに済んだのではなかろうか、との声が多く聞かれたものです。
 
 この事実から推しても、彼が如何に日米国交正常保持に献身的であったか窺い知ることができます。また、その間にシカゴ大学に発議して「日本講座」を開設せしめ、日本の正しい研究を通じて日本の紹介に特別の尽力をしました。

富士登山と全国行脚・排日移民法反対

 スタール博士は1858年(安政五年)米国ニューヨーク州オーバン市に生まれました。ラファエット・カレッジを卒業後シカゴ大学の創立(明治二十五年)と共に同大学の教授に招かれました。彼は人類学者として日本とメキシコに興味を持ち、セントルイスで開催された万国博の準備のため、1904年(明治三十七年)に初めて来日しました。
 以来三十余年間、日米間を往復し、東洋文化の研究と日本事情の紹介につとめたのです。大正四年十月、五回目の来日の折、東海道五十三次を踏破したほか、山陽、東北、中仙道を行脚し、四国の霊場八十八ヵ所を巡拝しました。
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2007年02月17日

ゼームス坂物語

東京、品川のゼームス坂

 今回は「世界に生きる日本の心」という本の中から、東京品川にある「ゼームス坂」(JR大井駅から北に下るだらだら坂)の由来について引用してみます。(ジェームスの家はその後三越のマンションになっています)
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引用開始
 この坂はもともと「浅間坂(せんげんざか)」と呼ばれてきましたが、英国人で元船長ジョン・M・ジェームスが住むに及んで、「ゼームス坂」と呼ばれるようになりました。戦争中は「敵性語」が追放されたこともありました。それでも「ゼームス坂」だけは消されることなく今もそう呼ばれています。
 ジェームスは明治四十一年(1908年)七十一歳で横浜の病院で亡くなりましたが、遺体はゼームス坂の自宅に安置され、日蓮宗の豊永日良師が導師となって葬儀が営まれました。

 彼は生前から「死んだら火葬にして、その灰を富士山の白雪の上にまいてくれ」と言っていました。しかし、死の二、三日前に、「遺骨は身延に」と言い残し、臨終の際には法華経を高く誦して瞑目したといいます。
 遺言に従って、墓は身延山の久遠時に建立されました。彼は日本に永住を決意してから仏教を好み、日蓮宗に帰依して戒律を守り、妻も子もありません。日本仏教に帰依した点はアメリカ人のビゲロウやフェノロサを連想させます。

 生涯、著書もなかったし、英人・ジェームスも、時代と共に風化しつつあります。彼はどのように日本に貢献したのでしょうか。
 ジェームスを語るには、まず天保十年(1839年)、福井県藤島に生まれた関義臣という傑物から入らねばなりません。
 関は学問を好み、勤皇運動に挺身し、全国各地に奔走しました。長崎に行った時、海援隊を組織していた坂本龍馬と意気投合しました。彼が意見書を見せると、龍馬は破顔一笑して「北国の奇男子、徹頭徹尾、我と同意見なり。爾後我に一臂の力を添えよ」と言い、海援隊の客員となりました。

 関は海外を知らずに開国論を述べることに堪えられず、龍馬のすすめもあって、イギリスへ密航を企てました。そこで知ったのが、海援隊に助力していたカプテン・ジェームスです。
 関はジェームスが船長をしている英国船ローナ号に乗り込み、慶応二年七月十日、長崎を出帆しました。
 上海から香港を経由、シンガポールに向かって航行中、大暴風雨に遭遇して船は沈没。乗組員は端艇に乗り移ってやっと上陸した所、青竜刀をふりかざした海賊にとり囲まれました。ジェームス等はピストル、関等は日本刀で応戦して血路を開き、九死に一生を得ました。思わぬ遭難のため英国行きはとりやめ、ジェームスは日本に留まることになりました。それ以来、二人は厚い友情に結ばれました。
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2007年01月23日

歪められた日本神話5

神話学者の想像力について

 ここでは簡単に言うと、日本神話は、古いものほど新しく作られたものだという「架上説」を取り上げています。例えば、古事記でいちばん最初に現れる神は、実は最も新しく作られたものだというようなことです。
今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像は永濯画の神話物語より
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引用開始
 日本神話でっち上げ説も数ある中で、特徴的なものに「架上説」といわれるものがある。これは特にアメノミナカヌシを論ずる人がたいてい依拠するもので、いまの学者では松前健氏などはその急先鋒といえる。
 古事記ではアメノミナカヌシは、いちばん最初に現れる原初神である。しかるに古代伝承というものは上へ上へと積み上げられて生成するものであるから、最も古い神とされるアメノミナカヌシは、実は成立は最も新しいのである、という考え方がその骨子だ。
 津田左右吉ももちろん、都合のよいところにはこの説を援用しており、例えばイザナギ・イザナミはアマテラスが作られた後、その親として後でこしらえられた神だと言っている。・・・・
 表現がきわめてわかりやすいのでその松前氏の言うところを見よう。

「・・・私の考えを率直に申し上げれば、皇室の本来的な王権の祭式といえば、大嘗祭です。それの縁起話として稲穂を持った皇孫の天下り、すなわち天孫降臨の神話ができる。天孫降臨神話は天皇家の基本的神話ですが、なぜ天孫が降臨するかということの原因として出雲神話が語られ、スサノヲの神剣奉呈が語られる。このスサノヲの出雲下りの原因として天岩屋戸の神話が登場するのです。
 天岩戸の神話がいったんできあがると、次には、なぜ太陽の神が隠れたのだろうかという原因の探求がなされる。そこでスサノヲの天界荒らしの話が語り出されるというふうに、結局、各説話が原因・結果の関係になって互いに結びつき、天孫降臨そのものがいちばん本筋で中核的な理念となっている。この原因として次々にそれ以前のこととして述べられている説話は、かえって新しくつけ加えられたものにちがいない。・・・」
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2007年01月22日

歪められた日本神話4

神話ツギハギ論者の忘れ物
 日本神話の権威といわれるような人たちが揃ってとっている態度が統合説のようです。これを読んでいて、何かしらの目的があって、わざわざ神話と皇室とを無関係にしたいという熱意?さえ感じられます。
今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像は永濯画の神話物語より
eitaku2.jpg

引用開始
 神話の物語の中で、前後矛盾したところがあればこれは別々の話をくっつけたものだとする説を、でっち上げ説の中でも「統合説」と名づけていることは触れた。
 この統合説にはもう一つの型がある。
 それは、神話の物語を、話の要素ごと話素・話根ごとに、あるいはまた各神格ごとにできるだけ細分し分断してみせて、それら断片だった古い伝承を、のちに宮廷で統合したのがいま見る神話であるとする考え方である。各地、各氏族それぞれの独立した伝承から都合のよい部分をつまみ上げて、適宜つなぎ合わせたものが日本神話であるという考え方だ。「矛盾」はほとんど問題とならない。・・・・・

 さてこの種の統合論者の代表格というべき松前健氏の言うところものぞいてみる。松前健といえば、・・・・・日本の神話伝承のこととなればまずはこの人にうかがいをたててみる、といった存在である。・・・・
 松前流統合説は、まったく珍談に類するのだが、これが学界の主流であることを考えれば真剣に向かわざるを得ない。この種の統合説にはまだヘンなところがある。

 統合説の論者(日本のほとんどの学者)は、挙げたところだけでなく神話全体を徹底的に分断細分して、それぞれを各氏族集団、職業集団、地方勢力のものとして振り分ける。先に挙げた荻原浅男氏もそうだし、少し前の人だが三品彰英といったこの方面の権威者もそうである。

 アマテラスとスサノヲの姉弟神については、荻原氏は宗像氏の祭祀伝承だとするのだが松前氏はアマテラスは宗像氏、スサノヲは大三輪氏と分断する。神話で姉弟として語られる二神まで、それぞれ独立の別伝承とするわけだから少々驚かざるを得ない。これだとスサノヲがアマテラスの弟だという伝承は両氏族ともに持っていなかったことになるのだが、とにかく松前説ではそうなる。

 さらに天の岩屋戸神話は伊勢の漁民の神話だと言うし、アメノコヤネは中臣氏のものだと言うし、天孫降臨の随伴神の組織などは百済の帰化人から借りたものだというし、ホノニニギ以下日向三代は南九州の隼人族の神話だと言う、という具合だ。
 不思議な話ではないか。
 これは言い換えれば、「天皇家の神話など存在しなかった」ということだ。
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2007年01月20日

歪められた日本神話3

切り貼り、ツギハギ、でっちあげ神話

 とにかく日本国の成り立ちを貶めるのが目的のような神話学者が多いのにはいやになります。これを元にして教えられるのですから、戦前からの神話になじんだ方々には驚きではないでしょうか。
 今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像は米国教科書の挿絵、岩戸開き。アマテラスが自分の姿が鏡に写っているのを見ているところ。
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引用開始
 ― むかしむかし、どこかから、なにやらわけのわからぬ乱暴な男がやって来て、おどしつけて国をよこせと言いました。大国主は承知しました ― ・・・・
 どこかの乱暴者に国を渡す約束をさせられた。
 たったこれだけの話を語り伝える集団などあり得ないことである。
ここで改めて注意したいのは、「強引な接合」ならば、交渉にやってきた男たちにはもともと名前がないということである。
しかし、素性が知れぬ名前も知れぬ男どもの話などは、長く人々に語り伝えられるということがあり得ない。桃太郎にしろかぐや姫にしろ、名前がないのでは文字通り話にならない。・・・・

 大国主という名前だけは現れるが、これは無名と同じである。なぜなら、これがアマテラスや天孫の話と無関係である以上、大国主がアマテラスの弟スサノヲの直系子孫ではあり得ないからである。これはほかのいかなる神々とも関係がない。
それなら何者であるか。何者でもありはしない。そこらのただのオヤジにすぎない。そんな話は伝承されることはないのである。
 
 互いに無関係な別々の話を、適当に切り貼り細工をしてくっつけたのが記紀神話だとするこの種の説を、私は上品に統合説などと名づけているが、実際は切り貼り、ツギハギのでっち上げ説である。
 国譲りと天孫降臨だけではない。古代史や古代文学の専門家はほかの部分についてもほとんど統合説である。例えば上田正昭氏は、スサノヲを論じて言う。

「高天原での荒ぶる行為と、中つ国でのまったく逆の荒ぶるものを平定する行動と、この神の行動はあまりに背反する。(略)なぜこのように矛盾する神語りとして、スサノヲの神代史が形づくられたのか」。

 といった問題の立て方をする。ここでもまた「矛盾」と「形づくり」の話となる。矛盾があるから新しい作文だとする例の説である。ちなみに国譲りの話がでっち上げられたのは和銅元年(708年)以後だとしている。古事記の完成は古事記の完成は和銅五年(711年)なのだが。
 さて上田氏がここで言っているスサノヲの荒ぶる行為というのは、次のような行為を指す。
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2007年01月19日

歪められた日本神話2

神を忘れた神話学者

 今の日本では、ほとんどの神話学者が、日本神話を貶めるために様々の理由を創り出して、日本神話がでっち上げられたものだとした説を主流にしてしまいました。子供たちには、もっと素直にありのままを教えるのが大切ではないでしょうか。
今回もそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
画像はイザナギ、イザナミ(ボストン美術館蔵)
izanagi.jpg

引用開始
 古事記や日本書紀の特に神話部分を扱う人たちは、辻褄が合った話を見るとこれは辻褄が合うようにでっち上げたものだと言うし、どこか不合理不自然で食い違いのあるところを見ると、これは作り物こしらえ物だからだと言うことに決めているようである。だから彼らは「考える」必要がない。・・・・・

 記紀に書かれていて現に文字になっている事柄について頭から嘘だと言うのだから、その論文は読んでみてもあまり「学ぶ」という気分が起こらない。本分のほうもはじめから嘘でたらめと決めつけられた文書だから、学者の議論は多くの人を記紀神話から遠ざけるのに有効に働いた。
 考えてみれば、専門家がこぞって自分の専門への関心を人々から奪うことに熱心な分野というのは、ほかには一つもないのではないか。

 ・・・益田勝美氏は、国譲りの交渉が出雲で行われたのに天孫の降臨が筑紫であるというのは不合理で矛盾していると考える。私は別に不合理とも矛盾とも思わないが、しかしこれはまあ、ほとんど日本中の学者が矛盾だと思っているのだから、ここでは一応そうしてみる。
 さて、出雲での国譲り、筑紫への天孫降臨、これは矛盾である。そこまではいいとしょう。ところがここから話はおかしくなる。
 益田氏は、このような矛盾があるのはまったく別々の無関係な話を強引にくっつけたからだと言うのである。・・・
一応挙げておきたい。

「スサノヲの子孫である大国主(おおくにぬし)は出雲にあって国を治めている。子孫も栄える。そこにアマテラスの神勅がくだる。すなわち「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国は、我が御子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命の知らさむ国」というのである。オシホミミは天降ろうとする。
 ところがオシホミミは天の浮橋から戻ってしまう。そこで神々が協議し、アメノホヒを派遣する。
 ところがアメノホヒは大国主に媚びついてしまって復奏もしない。そこでアメノワカヒコが派遣される。そのアメノワカヒコも大国主の娘の魅力のとりことなり八年もの間復奏しない。アメノワカヒコには神罰が下される。
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2007年01月18日

歪められた日本神話1

そこには皇室を貶めたい意図が?

 ご存知のように、日本の神話も戦後は全く教えられることがなくなっているようで、おまけに神話が否定されたり、政治的な、イデオロギー的な意図が入り込んでいるとしか思えない解説等が主流となってしまっているようです。
 今回はそれらに対する解り易い批判の書から引用して見ます。
 荻野貞樹著「歪められた日本神話」より、
shinwa.jpg

引用開始
 ところで、日本神話についてものを考えるということは、古事記や日本書紀や古語拾遺や風土記や、そうした日本古典を主要なテキストとして考えるということにほかならない。
 本来政治的な主張・思想の面の相違・対立などはまったくかかわりのないはずの世界である
 例えば芭蕉や西行、枕草子、源氏物語などの研究において政治的保守派と、例えばマルクス主義者との間に激烈な対立が起こるといったことは、時にはあるのかもしれないがあまり普通ではないのではないか。
 はじめにも触れたがまことに残念ながら、日本神話についてはなかなかそうもいかない。

 日本神話は、現存する皇室のいわば先祖を語る物語であり、そして話が「皇室・天皇」となれば、現在の日本人にとっては、ほとんど政治的立場を二分する指標ともなっているからである。
 天皇の存在というものをあまり認めたくない立場の人々は、どうしても日本神話などは近頃のこしらえ物にすぎぬという意見に身を寄せたくなる。軽蔑的・冷笑的に考えたくなる。逆の人は逆になりがちである。・・・

 こうした事態になっている理由は、あえて言えば皇室の現存という事実にある。いつとも知れぬ遠い昔の、神話に語られる神々の末裔という王家は、こんにち世界に日本の皇室をおいてたった一つもない。ほかはことごとく滅びた。エジプト、ギリシャなどには神の末裔である王家はたくさんあったが、みな滅びた。世界中に普通だったのだが全部滅びた。残ったのは日本だけである。

 しかもそれが政論の主題となりうる。これでは日本人の神話に向う姿勢にひずみが生ずるのもある程度いたしかたもない。諸外国の学者は、政治的立場などまったく意識せずに、淡々と日本神話の研究をしている。・・・
・・・例えば福永光司(京都大学名誉教授)氏の『道教と日本思想』において、記紀神話が戦後、朝鮮の資料との関連で研究が進んでいることについて「戦後の学界を特徴づける革新的な動向であり、戦前の皇国史観的なタブーと呪縛の打破に、大きく寄与しているといえる」としていることにはっきり出ているし・・・
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2006年12月14日

戦前の家族制度

義理人情は世界に類なき美徳

今回も、モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」から引用します。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
写真は日露戦争の恩人ヤコブ・シフ
Schiff.jpg

引用開始
※すばらしかった戦前の家族制度
・・・かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
 アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。・・・・

 ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。・・・・・・・
 さて現在のユダヤ人社会では、戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。
 親と子は、多くの場合同居している。これは決して住宅難のせいではないのである。子は、年老いた親の面倒をよくみるのである。特に親孝行という言葉は持っていないが、将来できるかも知れない。また、親類づきあいも密である。・・・・

 ユダヤ人は福祉ということはあまり考えない。これは家族制度のアンチテーゼだからである。福祉とはただ食わせるだけといえるかも知れない。老人ホームに例をとると、そこでの老人に保証されているのは餓死しないということだけである。生き甲斐というものは何も保証されていない。然るに家族制度の枠内の老人は子の成長、孫の成長を楽しむという生き甲斐をもつことができる。どちらがいいかは、議論の外であろう。

 日本では戦後、ニューディール派の改革で姦通罪というものが外されてしまった。これも家庭の不和を増長させる重大な要素であると考えられ、家族制度の破壊を狙ったものであると私は考える。ユダヤ人の社会では、現在でも姦通ということはまずあり得ないのである。十戒において厳に禁ぜられているからである。
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2006年12月13日

戦前の天皇制攻撃

ユダヤ人の教条主義的誤り

 今回も、モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」から引用します。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
ここに出てくるマルクスもユダヤ系で、ついでにレーニンもユダヤ系ということです。
写真左端フルシチョフ、五人目スターリン、右隣はモロトフ
soren.jpg

引用開始
 ・・・ここで日本人に謝らなければならないのは、戦前において我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、なんとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人である、ということなのである。全く穴があれば入りたい気持ちである。
 フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業であった。続いて、ヨーロッパの主な君主制を打倒することが至上任務となるのである。

 何故そうなるのかということは、マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具としてあみだした虚構論理なのである。マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、覆すべきものであるということを根本原理としているものである。
 国家というものがあるためにユダヤ人は過去数千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを覆すことが唯一の方法であったのだ。・・・・

 この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。

※美濃部達吉の天皇機関説はユダヤ人が吹き込んだ
 さて、日本の天皇制打倒のための最大の攻勢はゲオルグ・イエリネックによって始められたのである。・・・
 マルクスの時代は、国家の破壊は階級闘争という虚構論理によるものを主力としていた。しかし今世紀に入ってからは、マルクス式に言えば、上部構造よりの破壊を考えついたのである。
 
 つまり、法理論により国家機能を弱体化させることである。特に君主制を骨抜きにする作戦である。このために利用されたのが美濃部達吉である。イエリネックは美濃部達吉に巧妙に天皇制破壊、弱体化の戦術を授けたのである。・・・・
 ところが、イエリネックの深遠な狙いはその協力者、美濃部達吉の無知によりかなりあいまいなものにされてしまった。・・・・
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2006年12月12日

類例のない君民共治

世界に類例のない君民共治

 続いて、モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」から引用します。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
写真はGHQ総司令部
ghqbl.jpg
一連の皇室関連記事に関して、切捨て御免!トノゴジラ様の記事が参考になります。

引用開始
 一般にユダヤ人が天皇制の類い稀な点を発見したのは、戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。・・・・
 天皇が開口一番、自分の事はどうなってもいいから国民を救ってほしいと切り出した時、マッカーサーは驚天せんばかりであった。この席にルソーが同席していなかったのが真に残念であるが、西洋の君主というものはそれこそマルクスの言う支配者、搾取者である。一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじなければならない。

 西洋の君主は、大衆から収奪した莫大な財産を持っている。戦後GHQが天皇の資産十六億円と発表した時、日本人はキョトンとしていた。つまりGHQは西洋の君主並に日本の天皇も収奪した財産をもっているはずであると考えたから、それを直ちに国民の前に見せ付けたわけであろう。ところがこれを聞かされた日本人は一様に、そういう感覚の持主もいるのかと内心驚いたということである。しかし西洋の常識としてはこれは奇異でもなんでもなく、至極当然なことだったのである。

 かような西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変等のあった場合は、直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命を計るのを常とする。したがって、マッカーサーも最初天皇が訪問の希望を述べた時、非常にきびしい顔をしていたという。いってみればそれは当然のことであろう。日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のためどこか適当な亡命先の斡旋を懇願に来るのであろうとマッカーサーが考えたのも、無理からぬ話であろう。

 しかるに前述の如く、天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、国民の財産や生命の保証を求めたのであった。国民を質入して自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、自己を質入して国民の救済を求めたということである
 マッカーサーたるもの、すべからくルソーに対して自分が味わった感激を報告すべきであろう。・・・・・
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2006年12月11日

天皇制は最大の財産

日本民族の持つ最大の財産は天皇制である

 モルデカイ・モーゼ著・あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」という本があります。1979年に発刊された本ですが、平成11年(1999)に復刊されました。
 著者の紹介には「1907年、ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。
 レーニン没後、ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を吹き込んだゲオルグ・イエリネックと親しかった。
 ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれるや、いち早くその本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画した。戦後十数回来日、現在は日本研究を楽しみに余生を送っているという」。と書かれています。
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引用開始
※天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった
 尊敬する日本の皆さん、私はユダヤ人の長老として、・・・・我々ユダヤ人が犯したところの大きな誤り、第二次大戦終結後の日本人の精神的空白につけ込んで我々が持ち込んだところの諸々の誤れる思想について、その過誤の原因および内容的非論理性、反真理性について詳しく分析し、それが如何に日本人にとって有害なものであるかということを実証してみたいと思う。・・・・・

 これによって一日も早く、尊敬する日本人が戦前あった世界に燦たる民族的長所を復活させて頂きたいのである。何故ならば、それが即ち我々ユダヤ人の理想でもあるのだから。
 日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
 かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことを言っている。

 「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである

 ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。
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posted by 小楠 at 08:08| Comment(19) | TrackBack(4) | 書棚の中の日本

2006年11月17日

日本人の精神伝統

 日本人のものの考え方、日本人の心に共通する性質を形作ってきたものの原点を日本の神話から、そしてその特徴がどのように現代に生かされてきているのかを見てみようと思います。
渡部毅著「愛国心の教科書」から、そのあたりのことをご紹介してみます。

引用開始
※寛容の精神
「日本では神道を信じながら同時に仏教徒であり、しかも儒教をも否定しないという寛容な宗教的伝統がある」
 こういっていたのは、杜維明ハーバード大学教授ですが、「寛容な宗教的伝統」というのは、日本神話の中によく示されていると思います。

 その一例として注目したいのは、アマテラス大神の存在です。アマテラス大神は、日本神話の中でもっとも尊い神とされますが、女神です。これは世界の主要な神話の中では珍しく、たとえばギリシャ、ローマ、ゲルマン、エジプト、ペルシャ、中国などの神話の最高神は、すべて男神です。
 しかも、これらの最高神は自分の地位を獲得するために、敵対神(自分の親や祖先であることが多いことも特徴)と血みどろの殺戮や戦いを行っています。

これに比べてアマテラス大神は、父親のイザナギの尊から天上の神々の女王になるよう命ぜられ、誰からの抵抗や反対も受けず、平和裏に最高神の位についています。
 しかも、アマテラス大神の性質はじつに優しく、弟のスサノオの尊が田圃の畦道を壊し、神殿に大便をするなどという相当な乱暴をしても、それをかばい、再度乱暴を働いて機織女が犠牲になっても、殺したり罰したりせず、自分自身が天の岩戸に隠れて諌めようとする寛容さ、柔和さがあります。罪を犯す者や反攻する者を容赦なく罰して殺す他の神話の最高神とは、大きく異なっています。
 アマテラス大神は、自分が一番偉いのだといばったりはしません。つつましく謙虚に他の神々を祭り、そのための神衣を織る仕事も自ら行っています。また、葦原の水穂の国を治める適任者を決めるときにも、独断をせず、八百万の神々を集めて会議を行い、それに従って意思決定をしています。
 このように、神話の中で示された最高神・アマテラス大神の「寛容さ」は、日本人の精神に大きな影響を与えました。

杜維明教授が、「日本では神道を信じながら同時に仏教徒」であるといったように、たとえば聖徳太子は、仏教の経典を深く研究して、仏教普及に尽力していますが、その一方で神道興隆の詔を出しています。
 ですから、仏教徒たちからも伊勢神宮は尊信され、参詣もごく普通に行われていました。
 西行などもここを訪れて、
「何事の おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」という歌を残しています。

 日本で大乗仏教が完成したのは、日本が神国だからであると虎関師錬は『元亨釈書』の中で説いています。師錬の他に日蓮、一遍などの仏教思想家の中にも、神国思想が大きく反映され、末法の世を救うすぐれた仏教がわが国に出現したのは、日本が神々の加護を受けているためだという主張が展開されているのです。
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2006年11月06日

旧憲法下の政治権力機関

 戦前戦中を語る場合に、旧憲法下における日本の政治権力機関の名称とその役割は、なかなか解り難いところがあります。
 近現代史の本を読まれる場合、特に戦時におけるこれらの名称の意味を明確にしておくことは、内容の把握がよりよく進むと思います。
 今回は、戦前戦中を通じて、大本営陸軍参謀として、中枢に身を置かれた瀬島龍三氏の「大東亜戦争の実相」から、上記の解説にあたる部分を引用してみます。
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●大東亜戦争という名称
 大本営政府連絡会議において、重慶の蒋介石政権に対する軍事行動と、米英蘭三国に対する戦争とを一括して「大東亜戦争」と呼称することに決定した。
 これは、大東亜新秩序を建設するための戦争であるから「大東亜戦争」と呼ぶというわけではなく、単に大東亜の地域において戦われる戦争という意味に過ぎない。そして、大東亜の地域とは、おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びにおおむね東経180度以西すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指し、インド、豪州は含まれていません。

●統帥権の独立とは
 日本では用兵、作戦のことまたは軍を指揮することを「統帥」、その権限を「統帥権」と称しました。
 旧憲法において、統治権は天皇に帰属しますが、天皇はその「統治権を総攬」するだけで、実質的には近代国家の三権分立の一般構造同様に、立法権は議会、司法権は裁判所、行政権は内閣(政府)に帰属していたといえます。
 問題は戦時または事変の際における用兵、作戦に関する企画、立案、実行の権限、換言すれば軍の指揮権が行政権の範疇に入るか否か、従ってそれを管掌する国家機関は内閣(政府)であるか否かの点です。

 欧米の一般では、軍の統帥は行政権の範疇に入り、政府の管掌する所です。しかし、日本の旧憲法には、第十一条に「天皇は陸海軍を統帥す」という特定条項があり、これを天皇の「統帥大権」と通称しましたが、この統帥大権は行政権の範疇外のものとなっており、行政府とは別個に天皇に直接隷属する統帥部がそれを管掌する仕組みでした。

 統帥部とは陸軍の参謀本部、海軍の軍令部がそれであり、それぞれの長官である参謀総長または軍令部総長が、天皇の陸軍または海軍に対する統帥権の行使を、それぞれ輔翼――各国務大臣が天皇の行政権行使を補佐するのを「輔弼」と称した――するのです。
 もとより陸海軍に関する行政すなわち軍政(例えば陸海軍に関する予算)は、欧米一般同様内閣(政府)を構成する陸軍大臣(陸軍省)または海軍大臣(海軍省)の管掌するところですが、その陸軍大臣(陸軍省)と参謀総長(参謀本部)、海軍大臣(海軍省)と軍令部総長(軍令部)とは、いずれも天皇に直隷する併立の独立機関でした。
 以上が日本において特筆された「統帥権の独立」であり、統帥部及び軍一般は、政府及び政治一般の統帥に対する容喙干渉を峻拒する慣習伝統が確立していました。
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posted by 小楠 at 07:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本

2006年08月18日

吉田茂元首相の回想

 本題に入る前に、日本の一般人もついに行動に出るようになったようです。靖国参拝阻止に現れた左翼を一般参拝者が排撃!!ビデオ映像があります。

 今日は吉田茂著「日本を決定した百年」の中の「思い出す侭」から引用してみます。
 吉田元首相の見識は、現政界にもぴったり当てはまるところがあり、読んでいてもなかなか頷くところが多い本です。
 共産主義国家の本質を見極めた上での外交政策なら、今のような目先の利益に惑わされることもないのでしょうが、現実は吉田元首相の危惧された方向へ向かっているようですね。
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引用開始
【政党政治は明朗に堂々と】
 わが国が自由国家群の一員として立つには、内政は民主的であり、その外交も国民の支持を得ているものであるということを明らかにせねばならない
 民主政治が確立しているということは、議会政治が常に民主的政党政治の線で行われることである。議会において暴力が議場を支配したり、利権をもって誘ったり、いかがわしき資金を集めてこれを散布して勢力を張らんとするが如きは大いに戒心せねばならぬ。かかる疑いを国会内外にさしはさまれるような政治では自由国家群の信用は得がたく民主政治が確立しているとはいえない。故にわが国の議会、政党政治は、もっとも明朗な堂々たる政綱政策の上に、堂々と行わるる事実を常に内外に明示せねばならない。即ち政党、議会、政府は政策を基礎とし中心として行動すべく、徒に権力に接近し若しくは維持せんがために動くべきではない。政党自身は勿論その心がけでなければならぬが、同時に国民も美名の下に怪しげな行動をなす政党に眩惑せられず、常に政界の動向に深甚なる注意を払い、民主政治、政党政治の確立にこころがけられたいものである。
 最近のわが政界には保守合同ということが唱えられているが、従来政界の安定を傷つけて恥じざる輩と合体して政界の安定を求めんとするが如きは、事情に通ずるものよりすれば解し難いところである。抱腹絶倒の限りと思うものもあるかも知れない。場合によっては一種の詐謀となる。そのために達成し得べからざる目標に向かって国民を走らしめるとしたらどうなるか。悪くすれば国民を欺いたということになり兼ねない。ひいてわが国の民主議会、政党政治はともに内外の不信用を買うことにもなる。政治家の深甚なる注意を促さざるを得ないのである。

【共産主義宣伝に乗る危険】
 万一いわゆる国交正常化が実現して共産国の大公使館をわが国に設置することとなれば、必ずや数百人或いはそれ以上の館員を有する大外交機関を日本に持ってきて国内宣伝、国内共産党の指導に当たらしむるであろう。占領中のソ連代表部は数百人の館員を東京に駐在せしめて宣伝に力を注いだ。占領軍の抗議により僅かに百余人となったが、今でもなお若干の館員を在住せしめ、いろいろな諜報や謀略を行っているときく。現に共産国との国交正常化が提唱されて以来まず目に付くのは、これまで鳴りをひそめていた共産党が俄かに活気づき、地下に潜んでいた数名の幹部が公然世上に顕われ、デモその他に活躍を始めたことである。
 共産主義宣伝の危険については今さら申し述べなくても明らかだと思うが、世間にはソヴィエトがこのごろ平和的な態度になったというので、警戒を解いてもよいかのようにいうものが多いのは解し難い。ソヴィエトが自国の都合と国際情勢とを考えて或いは威圧的に、或いは妥協的にその態度を変えるというのは、以前からの常用手段であって、その手先になつている共産党にしても同じである。愛される党とか何とかいっていたかと思うと、乱暴を働いたり火をつけたりする。それがまたこんどは愛される党になるというのである。隣国からすれば甚だ危険な国柄であるといわねばならない。こんな当てにならぬ危険な国と急いで親善関係を結ぶ必要がどこにあるか。国交の正常化を図るというのは結構なことのようだが、実は美辞麗句をもって人を欺くもので、飢えた虎の口中に自ら進んで投ぜんとするものである。
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2006年06月07日

明治天皇を語る

「明治天皇を語る」ドナルド・キーン著より
 ドナルド・キーンは1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学名誉教授です。
 彼は明治天皇を、当時の皇帝の中で世界一の存在だったと言います。その理由は、絶大な権力を持っていながら行使しようとしなかったことであるとしています。
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 この本の第三章「己を捨てる」から見てみましょう。
 引用開始
 夏の間、どんなに暑くても、避暑地に行くことはありませんでしたし、冬も避寒地に行くことはありませんでした。。日本の各地に明治天皇のための別荘ができていましたが、一度も行ったことはありません。側近が静養を勧めると、天皇はこう応えるのです。朕は臣民と同じことがしたい。天皇は日本人の多くが酷暑、酷寒にもかかわらず働いているのに、自分だけが一人のんびりと静養する気にはとてもなれなかった。・・・略・・・
 病気に関してもそうでした。天皇が脚気を患った際のことです。侍医たちが再発予防のためには転地療法が一番といい、それを受けて岩倉具視も天皇に、空気の良い場所に離宮をつくっては、とすすめます。しかし彼は、脚気は国民だれもが罹り得る病気だ、私一人なら転地療法も可能だろうが国民全てがそうするわけにはいかない、だから他の予防策を考えよ、というのです。
・・・略・・・
 日清戦争のころ明治天皇は広島の大本営に行きました。・・・非常に粗末な木造二階建ての家に明治天皇は住んでいました。一つの部屋を夜は寝室、昼はベッドを片付け執務室にし、食事もここで摂っていました。東京から持っていった机、椅子など以外に家具はありません。壁を飾っているのは八角時計のみ。あまりに殺風景なので、誰かが壁に何かかけてもよろしいでしょうか、と訊くと、明治天皇は、「第一線にいる軍人たちには絵がない」と断りました。
 安楽椅子や、冬には暖炉を勧めても同じです。建物の増築が提案されたこともありましたが、自分が楽をするための増築は望まない。軍服を新調してはとの声にも裏につぎはぎすることを選ぶなど、戦っている兵士の苦労を思ったら不便などない、という考えでした。すべては兵たちと共にあることを考えてのことです。
・・・略・・・
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2006年05月26日

黒い瞳の伯爵夫人

 先回「国際連盟批判」でご紹介した、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵の母、ミツコ・クーデンホーフは、明治7年7月16日、東京の骨董屋、青山喜八の三女青山光子(正確には『青山みつ』)として生まれました。彼女を知る人達は、彼女が大変な美人であったということで一致していたようです。
「クーデンホーフ光子伝」木村毅著から要約してみます。
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 彼女は美人をスカウトするのに熱心な紅葉館にスカウトされて、そこの女中となります。女中と言う言葉は今では使用をはばかれる言葉ですが、当時はやや敬意をおびた呼び方で、女性と言うよりも丁寧な響きだったようです。なお紅葉館は、二年遅れて開場した鹿鳴館と併称される明治の代表的社交場で、鹿鳴館が万事洋式で、政界関係の名士、華族、富豪でなくては出入りできず、手厳しい非難を浴びたのに対し、紅葉館は和風で、新聞記者なども気軽に出入りでき、鹿鳴館が自然消滅したあと益々繁盛しました。彼女はここで18歳まで、日本女性としてのあらゆる教育・訓練を受けます。
 一方、彼女の夫となるハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、オーストリアの駐日代理公使として明治25年2月29日に来日し、ある出来事から、ミツコを公使館に勤めてくれないかと交渉したところ、ミツコはすんなり承諾したのです。
 翌明治26年9月16日には長男光太郎(本名はハンス)が誕生していることから、着任早々にスピード結婚していることになります。そして次男として東京で誕生したのが栄次郎、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵であり博士です。
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2006年05月23日

ロシア人捕虜収容所

日露戦争に参加し、日本軍の捕虜になり、四国の松山に送られたロシア軍外交官と、その看病のためにはるばるロシアからヨーロッパ経由で大西洋・太平洋を渡って松山へやってきたその妻が残した日記です。彼女がロシアを出発してから1905年12月に夫と共に日本を去るまで、約一年半、夫の看病や他のロシア人捕虜の世話のため、赤十字の仕事を手伝ったりした出来事を記しています。

「日露戦争下の日本」
ハーグ条約の命ずるままに、ロシア軍人捕虜の妻の日記

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少し引用してみます。
 ある日私(捕虜の夫人)は、高浜の赤十字社のテントの中で、その日与えられた自分の仕事をしていた。そして昼から四時ごろまで、遼陽戦で敗れた捕虜が上陸してくるのを、日本側が食事の世話をし、看護治療して豆列車に乗り込ませる手配をしているのを見た。
 負傷兵たちは衰弱し、失望落胆して、憐れな有様だった。下士卒の多くは、この意地悪な小人(日本人)たちが自分をコマ切れにして苦しめるだろうとまだ思い込んでいた。
 将校たちは、気の毒にも、屈辱と言い難い不面目さのために苦しんでいた。ひどく傷つけられた誇りは、射撃された痛みや負傷した身体の激痛にまさるものだった。希望もなく、意気消沈して苦しみながら、目を閉じて動こうとしない。満州のあの不毛の丘陵や泥の海とはうって変わって、今彼らの周りに開けている美しい緑の丘や碧い海を眺めようともしなかった。
 このような活気を失った人達に私が話しかけると、そのロシア語を聞いて、彼らの顔がいきいきと輝きはじめるのだった。
 私にはそれを見るのがとても嬉しいことだった。
「ああ、神様!つらい日々が続いた後で母国の言葉を聞けるなんて、ここは本当に日本なのか。あなたはロシア婦人だ!どこから来られたのですか?あなた、捕虜なのですか」
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posted by 小楠 at 07:11| Comment(7) | TrackBack(0) | 書棚の中の日本

2006年05月11日

反日デタラメ情報

 アルフレッド・スムラー氏は1911年パリ生まれで、大戦後、フランス最大の通信社AFP特派員として朝鮮戦争を取材に来たのをきっかけにして、ずっと東京に住んでいた、フランス人きっての日本通です。
アルフレッド・スムラー著
「ニッポンは誤解されている」1988年版より

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はしがきで氏は次のように述べています。

引用開始
 「私が本書を書くにいたったのは、何はともあれそれが必要であり、反日デタラメ情報と悪宣伝を相手に闘わなければならないと考えたからである」。
・・・略・・・
 本書は長い間の鬱憤の産物で、その鬱憤をかきたてたのは、幾人かのいわゆるエキスパートや、えらそうにかまえる専門家やジャーナリストや、しごく公正を欠くくせに裁判官ぶるその他の連中の無知とか、こばかにした言動とか、誠実さに欠ける点である。これらの非日本人のひどい連中に日本人まで一枚加わって、時には自分達で反省することもなく彼らに同調し、彼らの誤った結論を認めるのである
 私は場合によっては歯に衣きせず論じ、相手が誰であろうと悪宣伝の張本人を名指しでこっぴどくやっつけても、まるきりすまないとは思わぬ。物書きとして責任があるのは、真実を伝えるべき読者に対してであって、手心を加えなければならないような同業の物書きに対してではない。・・・・反日悪宣伝は日本人のためにも、とりわけ非日本人のためにもならないのである」。
はしがきからの引用終わり

本文からの引用
 マルクス主義を名乗り、この宗教にとらわれたままになっている人達は、毎日のように軌道修正を余儀なくされており、さながら上程法案の内容を変えようとする議会の修正案乱発を思わせる。
 実際に、いわゆる資本主義政権の方が社会的な面では、いわゆる社会主義(実際には共産主義)政権よりずっと進んでいることは、はっきり見てとれる。いわゆる社会主義政権の寡頭指導体制は、もっともひどい民間資本主義システムの場合をも上回る厳しさをもつ国家資本主義を実践しているのである。(現在「資本主義」側、「社会主義」側ともに望んでいるように、世界を経済的基盤に基づいて区分けすることは、非科学的である。個人が、その所属する社会内部でどの程度の自由度、ないし隷属度に置かれているかによって、大雑把な区分けの目安にした方が有利であろう。)
・・・略・・・
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posted by 小楠 at 07:42| Comment(3) | TrackBack(1) | 書棚の中の日本