2007年03月15日

米国対中戦略の転機

 人民を犠牲にしたカーターから逆転レーガンへ

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
 特にアメリカに民主党政権が出来た場合には、日本はより真剣に情報戦も含めた国防体制を充実しておく必要は、現在の米国内における慰安婦問題や南京映画などで一目瞭然です。
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引用開始
 カーター政権の「連中制ソ」(中国と連携してソ連を抑える)政策は、中国指導者の貪欲さと権勢欲を満足させ、台湾人民の生存と自由の権利を犠牲にし、トウ小平のベトナムへの軍事侵攻を黙認するものだった。共産中国に対するアメリカ政府の軟弱さ、ベトナム侵攻で暴露された中国軍の劣勢が、ブレジネフを増長させ、憚ることなく軍事覇権を世界に拡張し、1979年末には無法にもソ連軍がアフガニスタンに侵攻したのである。

 1980年の大統領選で、ロナルド・レーガンが再任をめざすジミー・カーターを破って第四十代大統領に当選したことは、第三(革新保台)の民主化の波に新たな力を与え、台米中関係のトライアングル・バランスを含めてアメリカの戦略に転機をもたらした。・・・・・・
 トウ小平は二つの策略を採用した。一方の手で保守派の建議を受け入れ、外交部に「大きなアクションを起してソ連にシグナルを送り、中ソ関係を大幅に改善するように努力せよ」と指示した。もう一方の手で、レーガン政権内の「親中反ソ」官僚を利用して、「アメリカと連合して台湾に圧力を加える」カーター時代の戦略を継続した。トウ小平が選んだ対米「統一戦線」の対象は、レーガン政権の初代国務長官アレクサンダー・ヘイグだった。・・・・・

 アメリカの国家安全保障会議(NSC)は六月初めに、武器売却禁止リストから中国を外すには、二ヶ月間の秘密保持が必要であると決議していた。中国軍の増強に直面する日本、台湾、韓国など東アジアの盟友に覚書通知をしなくてはならないからだ。にも拘わらず、ヘイグは、トウ小平を喜ばせたいために、六月十六日のトウ小平との会談後の記者会見で、アメリカは中国に最新の武器を売却する用意があると公表してしまった。・・・
 共産中国の常套手段は、アメリカ政府内の意見の対立を利用して、交渉におけるみずからの立場を優位に置いて最大の利益を得ようとするものだ。ニクソン時代は大統領補佐官のキッシンジャーとウィリアム・ロジャース国務長官との意見の相違、カーター時代は大統領補佐官のブレジンスキーとバンス国務長官の意見の相違を利用した。1981年のヘイグ訪中後、トウ小平は、ヘイグ国務長官と、レーガンに近いアレン補佐官らのあいだで対中戦略の見方に相違があることを知った。

 トウ小平は、ヘイグ国務長官を利用して、台湾への武器売却問題で突破口を開くことが、米台関係全体の防衛線を動揺させる鍵だと考えた。トウ小平がカーター、ブレジンスキーとの勝負で勝ったのは、「断交、米軍撤退、条約破棄」の三手であった。次の一局を勝利に導く三手は、「武器売却停止、台湾関係法廃止、統一圧力」、すなわち台湾問題の最終解決である。・・・・
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2007年03月14日

台湾民主化と独裁中国

蒋経国の台湾生き残り策は民主化転換

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
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引用開始
 トウ小平の包囲戦略に対して、最も力を貸したのはカーター政権だった。カーターは議会の圧力のもとで「台湾関係法」に署名したが、トウ小平の意に屈しており、「関係法」を遵守するつもりはなかった。
 カーターは表と裏の二つの手法をとった。議会を適当にあしらいながら、行政部門に機密のメモを通達して、台湾を封じ込めるトウ小平政権の覇権主義的要求を満足させた。そのメモには次のことが示されていた。

 アメリカの将校を含む上級官僚の台湾訪問を一切禁止する。アメリカ在台協会の駐在員と、台湾のなかの“敏感な”部門、すなわち総統府、行政院、外交部といった機関との公務の協議を禁止する。台湾駐米代表処の職員とアメリカの官庁との公務の協議を禁止する。また、アメリカの官庁や職員が台湾側に文書を送付するときは、機関名のついたレターヘッドの使用を禁止し、役人の名前を出してはならないとしたが、このような文書を「ノン・ペーパー」と言った。
 中国共産党の独裁者にしか考え出せない手管だが、カーター大統領はこのような禁止規定をすべて受け入れ、大統領の行政命令として米台両国の役人をこれに従わせた。・・・・・・

 蒋経国がトウ小平の「アメリカと連合して台湾に圧力を加える」包囲のなかで、勝に転じることができたのは、包囲突破のために打ったいくつかの手にあった。

一、蒋経国は「接触せず、交渉せず、妥協せず」の確固とした姿勢をもってトウ小平の「国共第三次合作」と「八十年代の統一スケジュール」に回答した。・・・・・
 蒋経国は、はっきりとトウ小平の「国共和平会談」提案を拒否しただけでなく、・・・・略・・・
 レーガン大統領宛の手紙で、共産中国は種々の手段を使って台湾を国際的に孤立させている。台湾は米中関係の邪魔者であるとして、アメリカが「台湾関係法」を破棄し、台湾に対する武器売却を停止し、台湾が平和統一の話し合いに応じるべく企図しているが、自分は絶対に共産中国と交渉しない決心であると訴えている。

二、行政当局の裏切り行為に対して、カーター政権を牽制し、台米間の実質的な関係を維持・保護するよう、議会や民意に訴えた。
 影響力をもつ人間をアメリカに派遣し、議員や各界の友人たちと今後の台米関係を話し合わせ、議会や世論に支持を訴えさせた。その結果、台湾の境遇に対して広範な同情と支持が得られ、カーターの間違った政策は厳しく批判された。
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2007年03月13日

クリントンの奴隷根性

自由の世紀における荒唐無稽な話

阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」という本からご紹介しています。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
(トウ小平のトウを漢字にすると何故か文字化けしますので、トウとしています)
 なお、現在同盟国である日本やトルコまで貶める決議をしようとしているのもアメリカ民主党議員であることを考慮に入れてご覧下さい。
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引用開始
 荒唐無稽なパフォーマンスはカーター大統領が始めた。「人権大統領」と称されるカーターは、中国共産党が人権を踏みにじっているのを見て見ぬふりをし、トウ小平と手を組み、1978年12月、ワシントンと北京で台湾人民に不意打ちを加え、台湾との「断交、米軍撤退、条約破棄」を世界に宣言し、台湾を国際社会の中で孤立させたのである。
 そのころの台湾は、国民党一党独裁下の「党国専制」であり、おりしも台湾人民が、「大陸に反攻する」という口実のもとで、この党国政府が戒厳令統治を行っていることに反発していた。

 「人権大統領」カーターは、自由、民主、人権を勝ち取るための台湾人民の戦いを支持しなかったばかりか、共産中国が台湾併呑のために準備していた軍事覇権拡張に青信号をともしたのである。このようなやり方は、国民党という外来政権の暴政を終わらせるために奮闘していた台湾人民を、こんどは共産党という外来政権の暴政下で奴隷状態に陥れる企みだったと言えないか。
 それ以上に荒唐無稽なパフォーマンスは、その後登場したクリントン政権時代に演じられた。
 
 クリントンが大統領に就任したとき、ソ連帝国はすでに崩壊しており、もはやアメリカは中国と手を組む必要はなく、天安門事件後に成立した江沢民政権は安定していなかった。クリントンは、1992年の大統領選では「バグダッドから北京までの暴君」に真剣に立ち向かうと発言していた。・・・・・・
 ところが、クリントンは、ソ連消滅後の世界をリードし、自由に邁進するという、歴史が彼に与えた最良のチャンスをとらえることなく、逆の選択をして歴史の潮流に逆らい、中国の共産党独裁政権と「建設的・戦略的パートナーシップ」を結び、中国の新しい奴役制度の台頭に迎合し、新たな「バランス・オブ・パワー」を築いた。・・・・・

 荒唐無稽な芝居は、1998年北京で、翌99年にニュジーランドのオークランドでクライマックスを迎えた。1998年6月27日午前9時、クリントンは江沢民の権勢欲を満足させるため、上院が30対16で中止を勧告したにもかかわらず、9年前に学生と平民が虐殺された広場において、江沢民と肩を並べて人民解放軍を閲兵したのだ。・・・・・
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2007年03月12日

日本の歴史的役割

憲法、教育基本法、日米安保の見直しを

 阮銘著「共産中国にしてやられるアメリカ」をご紹介します。
 阮銘氏は1946年十五歳で共産党に入党し、党中央宣伝部にまわされるが、文化大革命で辛酸をなめた。文革後胡耀邦に招かれたが、天安門事件を機に台湾に亡命、帰化し、台湾の民主化に情熱を燃やし続けています。
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まず本書の日本語版への序文から見てみましょう。
引用開始
 台湾がかつてのオーストリアやチェコに相当する立場におかれているとすれば、日本は当時のイギリスに相当するのである。ナチスドイツが台頭したばかりのとき、ヨーロッパの民主主義国家が、チャーチルが主張したように同盟を結び、十分に武装してヒトラーに対抗し、オーストリアとチェコの自由を擁護していれば、戦争は回避されていたかもしれない。ちょうど大戦後のNATOが、ソ連―東欧共産帝国の拡張を阻止したように。
 いまや中国のミサイルは台湾に向けられているだけでなく、日本やアメリカにも向けられている。中国の長距離弾道ミサイルは、太平洋を越えてアメリカ大陸全土に達しうるのである。・・・・・

 日本はちょうど(大戦前)当時のイギリスと同様の戦略的位置にある。中国の新奴役制度に直面している自由民主主義大国であり、歴史はこの地において、パワーを呼び込み、これを結集して人類の自由を擁護する勇敢なリーダーの登場を必要としている。日本が独力で、あるいはアメリカの保護に頼って消極的に行動するだけでは、中国の新奴役制度の拡張を阻止することはできない。
 日本は1930年代のイギリスがナチスドイツの台頭を容認したように、奴役制度の専制暴君に「刺激」を与えまいとして、共産中国の覇権拡張の増長に手をこまねいているのだろうか。歴史の教訓は、奴役制度の拡張の阻止をためらってはいけないと教えている。共産中国が民主台湾を併呑してしまい、周辺国家が中国の奴役制度に恭順を示すまで待っていたのでは、さらに甚大な代価を支払うことになろう。・・・・・

日本が歴史的役割を果たすのは、次の四点においてである。

[一]アジアにおける自由と民主主義の大国となる。そのためには、アジア太平洋地域の自由と平和を擁護し、中国の新奴役制度の覇権拡張を防禦する歴史的使命感を高めるべきである。そのためには、日本が新世紀で発展するうえで後れをとる原因となっている「日本国憲法」と「教育基本法」を改定し、政治と教育を、世界の政治大国へと邁進するにふさわしいものにすることである。
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2007年03月08日

新日中戦争シナリオ

日中戦争は北京オリンピックの一年後

 古森義久氏の著「凛とした日本(ワシントンから外交を読む)」という本から、国防音痴日本への警告にふさわしい部分を引用してみます。
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引用開始
 「中国が日本にミサイルを撃ち込み、尖閣諸島への攻撃を開始した。アメリカの新大統領は日米安保条約の発動を拒み、日本を支援しないと言明した。2009年7月のことだ――」
 こんな悪夢のような新「日中戦争」のシナリオが明らかにされた。
 アメリカで2006年6月、ペンタゴン(国防総省)の元高官二人が共著で刊行した『ショーダウン』(対決)という書の内容である。同書は中国人民解放軍の実態と、その基礎となる中国の対外戦略の特徴を分析している。その副題に「なぜ中国はアメリカとの戦争を欲するか」と記されたように、同書は中国のいまの強烈な軍拡が、やがてはアメリカと対決するためだという前提から、具体的な人民解放軍の現実を論じ、シミュレーション(模擬演習)の形で予測される軍事シナリオをいくつか打ち出していた。現状に基づく近未来フィクションと呼んでもよい。

 この書『ショーダウン』の著者の一人ジェッド・バビン氏は先代ブッシュ政権の国防副次官だった。空軍将校の出身で弁護士活動から著作活動まで幅広い領域で活躍しているが、軍事問題にくわしい。
 もう一人の著者エドワード・ティムパーレーク氏もレーガン政権時代の国防総省の動員計画部長だった。先代ブッシュ政権では退役軍人問題担当のホワイトハウス高官にも任命された。海軍士官学校卒業後に海兵隊将校となり、戦闘機パイロットまで務め、議会下院の軍事問題スタッフを歴任、中国軍事関連の著書も今回のほかにすでに刊行している。だから少なくとも軍事全般や中国の軍事動向には詳しい二人の筆者たちなのである。

 さてこの書『ショーダウン』は九章からなるが、そのちょうど真ん中の第五章が「中国と日本の戦争」とされ、日中両国の本格的な軍事衝突のシナリオが2009年1月20日を出発点として描かれる。その前年のアメリカ大統領選挙では民主党リベラル系の女性政治家が勝利を飾り、初の女性大統領に就任してホワイトハウス入りしたという想定である。
 そこから始まる日中戦争のシナリオの要点を紹介しよう。

「日本の首相がアメリカの女性大統領に尖閣諸島の至近海域で中国とロシアの海軍が合同で大演習を始めたことを告げ、アメリカとして中国とロシアにその中止を求めることを要請する。だが同大統領は『対中関係が大切だから中国を刺激したくない』と断る」
「中国では北京オリンピックを成功裏に終えたが、貧富の差が広がり、失業者が急増した。共産党政権は人民の不満を抑えようと、国内ではナショナリズムを高揚させ、外部では周辺諸国、とくに日本への覇権行使を行い、『中国人民は日本の首相の靖国神社参拝を中国への戦争行為だとみなす』と宣言する」
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2006年11月18日

日米開戦の遠因

 アメリカが孤立主義を捨て、帝国主義政策を追求するようになったきっかけを、佐藤優著「日米開戦の真実」の中で語られている大川周明の考え方を見てみましょう。

引用開始
※日本の日清戦争勝利が招いた列強の「太平洋シフト」
 それまで「眠れる獅子」として恐れられていた中国は、日清戦争の敗戦で弱体化していることが露呈し、植民地に成りうるとの認識を欧米列強に抱かせることになった。その結果、アメリカは対東アジア政策を積極化するのである。その帰結が米西戦争であった。
 
 1880年代に帝国主義政策への転換を遂げたアメリカは、1898年の米西戦争でグアム島とフィリピン諸島を獲得し、マニラを拠点に中国を植民地支配することを虎視眈々と狙うようになった。
 アメリカが提唱した中国の門戸開放とは、植民地の分配に自分も参加させよというものである。中国の領土保全は、仮に中国が列強に分割されることになれば、アメリカの取り分が少なくなるから、領土保全の方が都合のよい利権構造を維持できるという計算からの意思表明に過ぎない。お人好しの日本人は、このようなアメリカの内側からの変質に長い間気づかなかったのである。・・・・

 帝国主義の時代においては、他国の植民地となるか、他国を植民地とする列強の一員になるしか選択肢はない。・・・・
 アメリカも日本も、帝国主義の時代においては善意の国になれないというリアリズムから大川は出発する。少し先走っていうと、大川はこうした帝国主義的な世界システムの脱構築を考えていた。
 大東亜共栄圏を作ることで、国民国家の制約を超えて、共通の文明圏に属する人々が支配・被支配の枠組を超えて生きていくことができるような世界を構想していたのである。しかし、戦後、その構想は一切無視され、大川は日本民族の優秀性という人種神話に基づいた世界支配を目論む植民地主義者にされてしまったのだ。

 19世紀にはヨーロッパから地理的に近い中近東、アフリカ、さらにインドまでの西アジアにおける列強の植民地分割は基本的に終了していた。従って、各国はそれまで手つかずだった東アジアに向っていくのである。
・・・略・・・

 中国が欧米の植民地になれば、国境を接する朝鮮や日本も植民地にされる危険性が高まる。日清戦争での勝利が、日本により大きな脅威を招いてしまった。ここに付け込んできたのがロシアであり、日本は朝鮮半島、満洲に覇権を確立しようとするロシアの野心を挫くために戦争に突入した。
・・・略・・・
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2006年09月04日

オランダ人抑留者の正論2

 この著者は、オランダ人が植民地でやってきたインドネシア使用人に対する動物以下の残虐な扱いを、報告書から多数引用し、オランダ人の残虐行為を棚に上げて、オランダ人を抑留した日本人への不満を戦後四十年以上後までも延々と述べ続けるオランダ人を批判しています。
今回も「西欧の植民地喪失と日本」ルディ・カウスブルック著から引用します。
引用開始
【オランダ領東インドの日本化】の続きです。
 オランダ人はインドネシア人子弟を自分の家庭に引き取って、学費を出してオランダ本国で勉学させることをしたが、それと同じように、何人かの日本人もインドネシア人子弟の養育を手がけた。
 J・A・A・ファン・ドールンの『秩序―反抗―秩序』はこれを主題にしたもので、主人公は1928年生まれのインドネシア人少年である。
 「中高等学校はセレベス島マカッサルの日本の学校に行く。優等生の少年は日本人学校長の家庭に寄宿するようになって、半軍事訓練をもふくめた日本式教育をうける。
 母国インドネシアのために生命を捧げなければならないこと、インドネシアにはアジアのインドネシアとして大いなる将来があることを習う。日本人校長は少年に強烈な印象をあたえる(主人公は、日本式教育をうけられたことを感謝し、校長先生とはいまもなお文通がある、と述べている)」
・・・略・・・
 この節のタイトルになっている“オランダ領東インドの日本化”は、東京裁判でオランダが正式に日本に科した戦争犯罪の一つであった。読者諸氏は、そんなことは聞いたことがないと言われるかもしれないが、私はこれをでっちあげたわけではない。
 東京裁判のオランダ人参与検察官W・G・F・ボルヘルホフ ミュルデルは実際に、この主旨の告訴を試みたのだ。日本がオランダ植民地支配を終結に導こうとしたことは、オランダ人の見地からすると日本が戦争犯罪を犯したことになり、実のところ現在もなおこの見解を変えようとしないのである。

【デリの大地】
 私が男子抑留所に来てまだまもないころ、「あの背の低いずんぐりした男はX農園企業のPでね、何か自分の気に入らないことがあると、草取り女たちの後ろに束ねた髪をつかんで地面を引きずりまわしたり、ときには彼女たち自身の小便を飲ませたりする性癖がある男なんだ・・・それから、あそこにいる男はY農園企業のQでね、あの男はハーレムまがいに女たちを抱えていて、大休日(各月の1日と15日)には乱痴気騒ぎをするんだ、女たちといっても・・・いちばん年長が十六歳なんだよ」といった話を教えられた。
・・・略・・・
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2006年09月02日

オランダ人抑留者の正論1

「西欧の植民地喪失と日本」ルディ・カウスブルック著
 この本は、日本軍の侵攻がきっかけになって、オランダが三百年にわたって植民地化してきた、オランダ領東インド(現インドネシア)の没落にまつわる東インドのオランダ人のエピソードをあつかったもので、オランダ人の著者は、スマトラ島東岸のシアンタルに農園事業主の一人息子として生まれ、五歳から十二歳まで(日本軍の東インド侵攻まで)、ヨーロッパ人子弟のための寄宿学校で過ごしました。オランダ領東インドが日本軍の手に落ちて(1942年)、日本軍抑留所に入れられ、抑留所生活を経験しています。
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引用開始
【オランダ領東インドの日本化】
 ・・・われわれオランダ人は、この上なく善良な民のインドネシア人には満足している。それというのも、彼らはとうの昔にわれわれに対する憎しみを忘れて、独立後の自国にわれわれを迎え入れているからである。だが、こと対日感情となると、戦後四十年を経た現在もなお、薄れる気配もなく憎悪に満ち、頑なで容赦がない。自分たち自身については、われわれは“至上の目的”をもって東インドにいた、と記述し、日本人に対しては、略奪欲と侵略熱からのみ東インドに入り込んできた、と非難している。
・・・略・・・
 東京裁判でオランダを代表して判事をつとめたB・V・A・レーリング(法学博士)は・・・(「新ロッテルダム新聞・貿易新聞」1980年8月23日付)で、次のように述べている。
 「大方のアジア民族は、日本人がヨーロッパ人をアジアから追い出す戦争をはじめたことで、日本人を非難しなかったことは明白である。<アジアをアジア民族に>のスローガンは、アジア民族には非常に納得のいくものであった」
「たとえばの話、英国以外のヨーロッパ諸国が何世紀にもわたって外からの民族の支配下におかれて苦しんでいるとき、何かそこに他の目論見をもっていたにしろ、英国がその他民族の征服者を駆逐したとしよう。その場合、大方のヨーロッパ人は、英国のこの行為を犯罪とは見なさないだろう」と、レーリングは比較例をあげてから、「これと同じことがアジアにおいても言えるのであり、したがって日本の大東亜戦争を平和に対する罪として論証するには、これはじつのところきわめて不適切な事例であった」と述べている。
・・・略・・・
 以下のテキストは日本陸軍の教育資料から引用したものだが、これをどう定義すべきだろうか。偽り?欺瞞?思想の鼓吹?政治宣伝?策略?
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2006年09月01日

蘇峰の終戦後日記最終

 ソ連は日本本土分割への参入を目論んでいましたが、幸いにもそれには失敗しました。但し、当初のGHQ自体が所謂ニューディーラーたちで占められ、自由主義どころか彼等の独裁にも近い強権で、日本の弱体化に邁進しました。彼らは当初は多分に容共的であったため、共産主義者たちとも蜜月の時期もあったようです。
今回で「徳富蘇峰終戦後日記」からの引用を終わります。

引用開始
【自由主義と共産主義】
昭和20年10月25日
 アメリカの方では、頻りにソ連が日本の共産党に金を貢ぎ、その運動を援助し、これが為にその勢力範囲を拡張しつつありという事を懸念しているようだ。それは未だ公にはその事を議論するものがないが、報道の断片には往々その意味が閃いている。
 これはもっともなる観察である。しかしソ連側からいわすれば、米国は日本を一手に支配し、それに米国流の自由主義、民主主義を注入し、やがては日本を第二のハワイ、若しくはフィリピンとする積りであろうと多分心配しているものと察せらるる。つまり朝鮮は地理的にソ連と米国が南北に分割しているが、日本は左様な訳に参らず。地理的にはそのままとして、精神的には自由主義と共産主義との両主義に分割しているものと見て差支えあるまい。
・・・略・・・
 今日女学校とか中学校とか農林学校とか各種専門学校とか男女公私、あらゆる学校にストライキが流行し始めた。既に飛火が早稲田大学にも移ったということである。
 新聞社でも、朝日新聞、読売新聞の如きは何れもその流行に捲き込まれているという。その結果が何れに落着するにせよ、今後は愈々火の手が挙がる事は明白だ。財閥なども、三井の中心にも既にその火の手が挙がっている事は新聞に報ぜられたる通りである。
 これらは直接にソ連の手が動いているとはいわないまでも、全く無関係とも断言することは出来まい。
・・・略・・・
 民主主義か共産主義か。米国の手先となるかソ連の手先となるか。何れにしても我が日本精神の一大消耗であり、一大破壊である。

【米国中心主義の矛盾】
昭和20年10月26日
 自由主義とか個人主義とかを唱うる人々は、個人の個性を尊重することを極めて重大要件の如く考えているが、国家そのものの個性という事に無関心であるは、実に驚き入りたる事である。
 もし個人の個性が大切ならば、個人の一大集団である国家の個性は、尚更大切であらねばならぬ。しかるに今日の世論は、僅か一週間か二週間か、乃至一月か二月かの間に、従来の態度を一変し、早くも日本の個性を滅却して、世界共通の、否、端的にいえば、北米合衆国モデルの国性たらしめんと努力しつつあるは、抑も如何なる料簡であるか。
 彼等民主国とか自由国とかいうものは、自国の個性を尊重するばかりでなく、その一点一画さえも、これに触るることを許さぬほど彼らは大切にしている。如何なることがあっても英国は米国の真似をせず。米国は英国の真似をせず。同じ英語と称するも、その発音などは互いに自国の流儀を守持して、一歩も譲らない。
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2006年08月31日

蘇峰の終戦後日記3

 ここでは、蘇峰は信条とする倫理政治から見て、権謀術数やマキアベリズムを全く異端と考えていたが、現実の世界は自分の思っていたものとは全く異なり、背後に軍の勢力の裏づけがあって初めて平和主義が物を言うことができることに気がついたということ。そして民主主義についても、その欠点に気づかなかったこと等を記しています。
同じく「徳富蘇峰終戦後日記」からです。

引用開始
【自嘲】
昭和20年9月25日
・・・・しかるに現実の世界に立ち入って見れば、自分決めに決めたる世の中とは全く異なりたる世の中を見出した。如何に主義主張が公明正大であっても、それを実行するには背後の力の必要を認めざるを得なかった。マンチェスター派が上品なる議論を天下に公表して差支えなかったのは、その背後に英国海軍の一大勢力がある為めたる事を漸く暁った。いわば武力の裏づけある為に、初めて平和主義が物を言うことが出来た
・・・略・・・
 その極所は、即ち日清戦争後の三国干渉であった。それで自分は、自ら余りに自分の考えが単純すぎて、世の中の光明の一面を見て、暗黒の他面を看過した事に漸く気が付いた。
 予は当初から平民主義の信者であった。国家が国民によって立つという事については、また国民を除外して国家の存立するべきものでないという事については断じて疑を容れなかった。
・・・略・・・
 それでそのためには民権を論を主張し、民権の敵である官権、その官権を壟断して居る薩長藩閥に向かって、大いに戦いを挑んで来た。しかして明治二十三年の議会が開け、いわゆる政権が国民に分配せられて、これからこそ我等の理想世界が到来したりと思う間もなく、議会そのものが極めて醜態を暴露し、政党などと言うものは、国利民福を打忘れて、切取強盗の団体であるかの如き醜態を臆面もなくさらけ出し、かくては憲法政治なるものは、煽動政治家や、人民を売物にするゴロツキ利器ではないかと思わしむるに至った。
 それで予は、平民政治なるものは如何にすればその名目通り実行せられ得べきかという事を考え、むしろ政権を一般国民に分配し、普通選挙にしかずと考え、予自身は婦人参政権さえも、自ら主張はしなかったが、これを賛成するに遅疑しなかった。
 ところが愈々普通選挙が行われて見れば、これ迄腐敗は卸売の問屋に止まったところ、今度は全国津々浦々、腐敗の小売店が繁昌するようになってきた。いわば普通選挙は、憲政の腐敗を一層普通ならしむるに過ぎなかった。・・・略・・・
 所謂デモクラシーなるものは、良き監督者、良き指導者、良き訓戒者、良き案内者がなければ駄目である。
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2006年08月30日

蘇峰の終戦後日記2

 ここでは侵略について書かれていますが、世界でも侵略国の筆頭たる国々が、よくもまあ日本の行った戦争を侵略などと言えたものです。
続けて「徳富蘇峰終戦後日記」より。

引用開始
【日本は侵略国に非ず】昭和20年9月24日
・・・また室町時代から戦国時代にかけて、倭寇なるものは、朝鮮、支那沿岸、延いて南洋のスマトラ方面迄も進出した。これを以て日本は他国を侵略するという者もあろうが、元来倭寇の根元は、蒙古襲来に淵源する。蒙古が日本を襲い、ここに於いて日本は事実に於いてほとんど総動員をなしてここに備えたが、文永、弘安の役終わって以来は、蒙古も幾度か日本を襲わんとしたが、遂に果たさなかった。その為に、準備したる者共は勢い失業者となり、その為に銘々勝手な方角に出掛けたのである。これが倭寇の初まりといってもよかろう。
 その後倭寇には、朝鮮では朝鮮人が参加し、支那に至っては、むしろ本家本元を凌ぐ程支那人が参加して、倭寇の名によって支那人があらゆる窃盗強盗を逞うしたる事実は、これまた争い難き事である。即ち王直とか鄭芝龍とかいう海賊の大頭目は、正真正銘の支那人であって、彼らがある時には倭寇の仲間となり、ある時には倭寇を向うに廻し、その時相応の仕事をしたものである。
・・・・略・・・
 また、明治維新以後、明治六年の征韓論の如きも、本来は朝鮮と平和的交通を開くに在ったが、朝鮮人がその国書を冒涜し、我が使節を侮辱し、国家の体面上堪忍が出来ぬからこれを討つべしという論と、否それは大早計である、まず改めて使節を出し、その使節に対する彼の方の出方如何によって、和とも戦とも決むるがよかろうというのが、西郷隆盛の議論であった
 それさえも閣議では否決せられた。若し日本国民が好戦的であり、また侵略人種であったなら、明治六年の内閣破裂などのあるべき筈はなかった。
・・・略・・・
 例えば樺太の一件でも、露人が横車を押して、飽く迄樺太全体を我が物にせんと欲し、そこで日本もこれを南北に中分せんとしたが、それさえ露人が異議を生じた為に、この上は詮方なしとて千島と樺太を交換したのである。
 いって見れば千島も樺太も当然日本に属すべきものであり、地理的から見ても、歴史的から見ても、また経済的から見ても、誰も異存のない所だ。  千島樺太交換などという事は、日本の物を以って日本の物と交換したようなものであって、外交の拙劣もここに至って極まるといってもよいが、しかし平和的日本人にとっては、それさえも賢明の方法として若干の反対者はあったが、一般には受け入れられた。
 二十七、八年の役は、清国が朝鮮を占有し、日本を除外せんとしたる結果から起こり、三十七、八年の役は、露国が朝鮮の過大半を占有し、日本を排除せんとするより起こったものであって、その歴史は今ここに予が言を繰り返す必要はない。
 当時の支那も当時の露西亜も、世界では皆日本にとって勝ち目のない大敵であり、剛敵でありと認めていた。もし日本が侵略国民であったならば、かかる危険なる戦争を試みる筈はなかった。しかし両つの戦争ともに日本自衛の為に、活きるか死ぬるかの問題であったから、座して滅びんよりも進んで戦うにしかずと考えてやったのである。その意味において、今度の大東亜征戦も、また同様である。
・・・略・・・
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2006年08月29日

蘇峰の終戦後日記1

 今回は「徳富蘇峰終戦後日記」をご紹介します。先日東亜の葉っぱさんが同じく蘇峰の「勝利者の悲哀」を掲載されていたのに興味を引かれて購入したのがこの本でした。
 最後の解説には、「近代日本の言論人として勇名を馳せた徳富蘇峰が、百年後の日本のために遺したといわれる『頑蘇夢物語』と題する渾身の力をこめた日記の一作である」と書かれており、「明治、大正、昭和を通じて常に時流に乗って指導的役割を果たした言論人と評価されている」となっています。
soho.jpg

その日記の中から引用してみます。
【盗人猛々しい侵略国呼ばわり】
昭和20年9月23日
 自分は戦争犯罪とか、戦争責任とかいう言葉が今日通用することについて、聊か不審がある。成程捕虜虐待とか、病院船を打沈めたとか、大きくいえば原子爆弾などを無暗に投下したる者は戦争犯罪者といってもよかろう。しかし勝った方から負けた方を吟味して、彼は犯罪者である、これは犯罪者であるなどという事は、如何なるものであるか。
 例えば角力(相撲)をとるに、勝ち負けの勝負がつけば、それでケリはついている。勝ち角力が負けた角力に謝罪状を出させるとか、罰金を取るとかいう事は未だかつて聞いたことがない。戦勝した上に償金を取るとか、土地を取るとか言う事さえも、損害賠償という意味においてのみ、その理由は成り立つと思うが、個人々々を引っ捕らえて、彼は犯罪者とか、これは犯罪者とかいうことは如何なるものであるか。
 近く例をとって見れば、日本が大東亜戦争を起したとはいわぬが、余儀なく起つに至った所以のものは、決して一人一個の考えではない。いわば国民的運動であり、国家の大勢である。ほとんど自然の力であるといってもよい。風の吹く如く、水の流るる如く、潮の差す如く、石の転じる如く、勢い然らざるを得ずして然るものである。
 日本などは三百年来、ほとんど缶詰にせられていたものであるが、鎖国の夢を米国の為に破られ、漸く目を醒まして見れば、窮屈で窮屈で、手を伸ばすことも出来ず、足を伸ばすことも出来ず。その為余儀なく四周に膨張し来ったものである。その手足となった者を罪人として咎めた時に、追っ付く話ではない。
 いかに軍閥などが戦争せんとしても、国民の運動がそれに副わざる限りは、できるものではない。戦争の仕方に付いては、軍閥のやり方が下手とか上手とかいう論も出来るが、少なくとも予が知り得る限り、大東亜戦争は決して軍閥が製造したものでもなければ、作為したものでもない。恰も田舎の水車が少しずつ水が溜って、その溜まった力で車が回転する如きものである。
 その力というのは即ち国民的運動力である。国民の志望というてもよく、国民の欲求といってもよい。あるいは国民的本能というても差支えない。もし罰せんとすれば、国民的本能その物を罰するより外に仕方はあるまいと思う。
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2006年05月21日

国際連盟批判

 第一次大戦後の国際連盟では、日本が提案した人種差別の撤廃が拒否された事実だけを見ても、アジア諸国の独立を阻止し、欧米の白人世界の植民地権益を守るだけでなく、自分達のやることには干渉させないが、日本がやることには徹底干渉するという独善的なアジア蔑視の考えが見えます。

世界から見た大東亜戦争」より
引用開始
リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギー伯の国際連盟批判
 オーストリアの貴族で、現在のEC(ヨーロッパ共同体)の理論的基礎を作ったクーデンホーフ・カレルギーという碩学の母は、実は日本女性でした。(管理者注:ミツコ・クーデンホーフは>世界三大香水の一つ、ゲラン社の香水「ミツコ」としても有名です。)
mituko1.jpg
 彼の父ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯がオーストリアの駐日公使館に勤めていた頃、青山光子という日本女性と結婚して、1894年(明治27年)に生まれた次男がカレルギー博士(国際法、日本名エイジロウ)でした。伯は、満州事変から満州建国、そして国際連盟離脱に至る日本の歩みに深い理解を示し、日本の使命を高らかに謳いあげていたのです

 〈日本は国際連盟で鄭重なる言辞をもって、しかも強硬なる行動をもって世界に対し「満州より手を引きなさい」とさけんでいる。日本は第三国の干渉や仲裁を用いずに、直接の商議を支那との間に開くことを要求している。すなわち日本は、極東における「モンロー」(相互不干渉主義)主義を要求しているのである。支那はこの「モンロー」主義に反対している。あたかもラテンアメリカ諸国が米国の「モンロー」主義に反対しているように。しかし、米国および英国の「モンロー」主義を承認している国際連盟がひとり極東「モンロー」主義だけを拒否し、アジアを無制限に聯盟の権力下に置こうとすることは困難であろう。
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2006年05月03日

北朝鮮と中国の無法

ウイリアム・トリプレット著「悪の連結」(北朝鮮と中国の無法)より。
中国は相変わらず二枚舌を使い分け、形だけ改革のプロセスに参加している。とりわけ重要なのは、中国が北朝鮮に対して持つ影響力を隠し続けていることである。
chainakorea.jpg
 2003年2月、核拡散防止条約から脱退した北朝鮮を正式に非難しようとするアメリカの動きを中国が阻止した。その後4月初め、ブッシュ政権とイギリス政府が国連安保理に、プルトニュウム製造を開始しようとする北朝鮮の計画を非難するよう働きかけたけれども、中国に阻止された。ワシントン・ポスト紙は、中国の行動は「核危機管理において国連安保理が中心的役割を果たす可能性を減退させた」と記した。国連での行動が中国によって救いがたいほど阻止される現実に直面し、ブッシュ政権は、北朝鮮のミサイル輸送を海上で阻止するため、2003年夏に国際合同臨検プログラムを組織した。中国はこれにも不平を唱え続けている。
・・・略・・・
 北朝鮮は中国の刀であり、主人のために暴力的命令を遂行している。
共産中国政府は北朝鮮で何が起こっているか知っているのか?イエス。
両共産主義国は、長年にわたり、軍事・情報のつながりを持つとともに、国境も接している。大量の北朝鮮難民が鴨緑江と豆満江を越えて中国に入って来ており、国境の中国官憲から詳細な報告を得ることが出来る。中国は、北朝鮮の近隣諸国への侵略的行動と大量破壊兵器開発計画についても知っている。

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2006年04月19日

「侵略国家日本」は嘘

 当時日本はアメリカ製品を買ってくれる「上得意様」、それも上から数えて三番目の上得意様でした。そして日本は列強中、借金を一ドルたりとも踏み倒さない唯一の国でもありました。また日本はどこの国よりもアメリカに対して丁重であり、アメリカを脅かしたことは一度もなかったにもかかわらず、中国の宣伝に乗ってアメリカ国内では反日宣伝が横行していました。
ラルフ・タウンゼント
「アメリカはアジアに介入するな」より

引用開始

侵略国家日本という主張
 日本にも領土拡張が好きな人がいる。戦争に勝つたびに日本は多少領土を獲得した。それはどこの国だろうとほぼ同じことである。「日本は他の国よりこうした傾向が強い」という証拠はない。それどころか、「同じくらい強い」という証拠さえまずないのである。現在の日中戦争で、日本が提案する和平条件では中国領土を一片たりとも要求していない。ただ、頻発する日本人に対する暴力事件に関わる者の取締りを要求しているのみである。
 あのイギリスは、今でこそ「いかにも中国の領土が日本に取られるのではないか」と心配しているが、第一次大戦で日本が加勢する見返りに中国領土(これはイギリスには何の権利もない領土である)を日本にやると約束した国である。ここは中国一の豊かな土地であったが、日本はこれを取らなかったのである。・・・・
1929年、ソビエト軍が満州を侵略した時、国際連盟は証拠収集に一人も派遣しなかった。1931年同じ地域で日本が戦うと、聯盟は大騒ぎしてリットン調査団を派遣した。・・・
リットン報告書は概して「反日」であったが、都合の悪いことに、膨大な中国の戦争挑発行為が記されていたのである。・・・・

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2006年04月18日

支那事変時の中国擁護

ラルフ・タウンゼント
「アメリカはアジアに介入するな」より

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 支那事変当時、米国では日本を悪玉にするために、中国を持ち上げ日本を貶める様々な事実無根の嘘が米国内にばら撒かれていたことを、タウンゼントが厳しく批判しています。この本はタウンゼントの寄稿文やラジオ演説をまとめたもので、また何回かに分けてご紹介します。
引用開始

アジテーターが人を味方につける方法
 真摯に物事を考察するなら、人を欺いて味方につけようという運動を信じてはならない。日本と揉め事を起そうという運動は、こうした類のものである。
民主主義中国という主張
 アジテーターたちは、日中戦争を民主主義に対する戦争と呼んでいる。中国に民主主義が存在した例はない。国民の投票で政権を取った者は誰一人いない。1927年以来蒋介石が政権を取っているが独裁者である。政権を取るために抗争相手と戦い、殺した苦力や、敵と目されただけで殺された民間人の数は並大抵のものではない。アメリカの新聞はかつて、蒋介石を独裁者と呼んでいた。ところが、ある勢力が台頭し中国を「民主主義国家」とでっちあげたほうが何かと都合が良いと判断してから、独裁者呼ばわりを止め、大元帥と呼び出したのである。
 中国は1911年以来、軍事独裁政権で混沌としている。新聞発表などは海外向けの宣伝であり、全く効力はない。1934年から36年にかけてやや改善されたのではあるが、ソビエト社会主義共和国に次ぐ世界第二位の血塗られた独裁国家である。

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2006年04月17日

中共と米民主党の癒着

 米国政権の政策に左右される日本は、米国民主党の実態を深く認識している必要があります。一口で言えば、彼らは親中嫌日傾向が非常に強いと言えます。先の大戦も民主党政権の元での戦争でした。その政権の中枢には多くの共産主義者、ソ連の工作員の役目を担っていたものたちがいたことは、すでに明らかにされている通りです。
 中共は、以下の内容に類似する外交工作を戦前戦後を通じて執拗に実行してきました。現在もアメリカ国内で世界的大嘘南京大虐殺の宣伝工作をし、それを煽るマスコミがあることも事実です。

伊藤貫著
「中国の核が世界を制す」
より
引用開始

中共と米民主党の癒着
 中国政府のスパイ機関と米民主党には、根深い癒着関係がある。米中関係を観察するとき、われわれ日本人は常にこの癒着関係を頭に入れておく必要がある。
クリントンへの贈賄
 中国共産党と人民解放軍は、クリントン夫妻・民主党本部・民主党有力議員に贈賄するため、香港・東南アジア・北米の100社以上の企業を使用した。これらの企業には、華僑や在米の中国人が経営する本当のビジネス行為を営んでいる会社もあれば、単に贈賄・密輸・スパイ活動を容易にすることだけを目的として設立された偽会社もある。・・・これら偽会社の主要な任務は、「米国政府と企業から情報と技術を盗むこと」、そして、「米国の政界・官界・学会・言論界を、中国にとって有利な方向へ操作・誘導すること」である。米国内の反日的な政治活動と言論活動も、これら中国系の偽会社と偽NGO組織が裏で操作していることが多い。
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2006年04月16日

日本の核戦略論議

 日本人は核の恐ろしさを実体験しています。国内での核廃絶の訴えは当然なのでしょうが、まだまだ先の見えない遠い未来の話か、或いは理想を訴えているだけでしょう。但し、核が無くなったとしても、戦争が無くなる訳ではないし、逆に返って戦争が起こりやすい情勢を作ることになるのかも知れません。理想論は理想であって、現実の国防は現実の情勢に対して対応しなければならないのは当たり前のことです。この議論が現実の中国の脅威にさらされている日本では特に緊急の課題でしょう。核抑止力を含めて自主防衛のための国防軍の充実を早急に進めて欲しいものです。これもアメリカが現在の共和党政権のうちに確約しないと、民主党政権になったとしたら、あらゆる妨害をされるでしょう。
共産中国を軽妙な記事にされているケイさん語録もご紹介します。

伊藤貫著
「中国の核が世界を制す」
では、
引用開始

日本の核戦略論議
 日本の核戦略をパブリックな場で論議すべき

 日本の国民は、核戦略と核抑止力の理論に関して無知である。四核武装国に包囲された現状にあって、日本国民を核戦略に関して現在のような無知な状態に置いておくのは正しいことではない。
「核抑止力とはいったい何なのか? それはどうすれば獲得できるのか? 核抑止力を持たないと、今後の国際関係において、日本はどのような立場に置かれるのか?」等のことを、パブリックな場で明瞭に議論する必要がある。パブリックな場での議論を通じて、日本国民の核戦略・核抑止力に対する理解力を高める必要がある。
 日本国民の核戦略に関する議論は「核は恐ろしい。核はいやだ。あんな怖い兵器は、一刻も早く地球上からなくなって欲しい」という、小学校の生徒会レベルの議論に終始している。

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posted by 小楠 at 11:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係

2006年04月15日

核兵器有効論

 イギリスのサッチャー元首相が語る当時の英国国防政策は、国際関係の中の英国の立場を強固にして、国益を守るという、バランス・オブ・パワーに基づいた現実的、実効的な考えでした。日本の政治家からは本末転倒の議論で、マスコミや自己の人気にとらわれて枝葉末節の議論しか聞こえてこず、国家存立の根本的な政策(国家の安泰、国民の安全、領土領海の保全など)が抜け落ちているようにしか思えません。

この記事に関しては回転木馬deニュースさんの記事も参照して下さい。

伊藤貫著
「中国の核が世界を制す」
から見て見ましょう。
引用開始

核兵器有効論 サッチャー女史が説く核兵器有効論
 1990年代初期、英国首相を退任したマーガレット・サッチャーはワシントンを訪れて、外交政策のスピーチを行った。
 スピーチ後の質疑応答で、あるアメリカ人が、「すでにソ連は崩壊し、冷戦は終わった。それなのになぜ、最近のイギリス政府は、次世代の核兵器システム整備のために多額の国防予算を注ぎこんでいるのか?」と質問した。彼の質問トーンは、イギリス政府の核政策に批判的なものであった。
 これに対してサッチャーは、以下三つの理由を挙げて、なぜイギリスが最新の核抑止力システムを整備しておく必要があるのか、という説明をした。

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2006年04月08日

中華優越的民族主義

 中国は漢民族特有の華夷秩序を決して捨て去っている訳ではない。特に彼らが言う「小日本」に対する復讐心も、現在の日本に対する姿勢の一部のように思える。私は日本が早急に自主防衛体制を整えることを訴えるため、微力であっても自分の出来ることから、例えば会社では若い社員の方々に、真の日本歴史を通じて日本人としての誇りを持つこと、国際社会の非情、等を訴えています。

続けて伊藤貫著
「中国の核が世界を制する」からの引用をします。
引用開始

 中華優越的民族主義
 中国共産党による民主主義活動家に対する弾圧を逃れて、ヨーロッパやアメリカに亡命している「進歩的」で「開明的」な中国人ですら、実際に会って話をしてみると、外交政策に関して驚くほどナショナリスティックである。これらの亡命者もやはり、「中華優越」的な民族主義者なのである。
 彼らの多くは、現在の中国共産党の独裁体制に反対するために政治活動を行っているのであって、伝統的な漢民族の中華優越主義(華夷秩序)に反対する活動をしているわけではない。
 彼らは欧米のメディアにおいて、「西洋諸国は、中国の民主化を支援してほしい」というアピールを行うが、「漢民族による弾圧に苦しむチベット人、蒙古人、ウイグル人に自由を与えよう。彼らの独立を助けよう」といった主張はしない。さらに、これら亡命中の中国「民主活動家」の多くは、民主主義国の台湾が非民主的な中国に併呑されてしまうことに賛成である。中国人は、国外に亡命している「民主的な反体制派」ですら、中華優越的ナショナリズムと帝国主義をごく自然に受け入れている。
・・・略・・・
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posted by 小楠 at 11:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係