今回は「徳富蘇峰終戦後日記2」をご紹介しています。以前にご紹介した「徳富蘇峰終戦後日記」の続編で、「頑蘇夢物語」続編として06年12月の発行となっています。今回で最終とします。
写真は皇居前広場のデモ1946年5月1日

引用開始
(昭和21年5月24日午前〜6月1日午前)
今日の日本は、あらゆる選択の自由を失墜している。最善を得ざれば次善を取れというが、次善どころではない。いやしくも善という名の付いたものなら三善でも四善でも我等の自由には任せない。ただ我等が択び得るものは最悪か次悪である。今日に於て、共産主義のソ連化は最悪化であって、民主主義の米国化は次悪である。語を換えていえば、一の毒薬を以て他の毒薬を制するゆえんである。
米ソの関係が切迫すれば切迫する程、共産党はいよいよ日本に於て横暴を極めるに相違ない。さる場合に於ては、マッカーサー側も背に腹は代えられぬ。日本人を共産党防禦の第一線に使用する事になるかも知れぬ。これは彼等の慣用手段である。即ちイギリス人は、いつもインド兵を第一線に立て、アメリカ兵はフィリピン兵を第一線に立てていた。されば今度はフィリピン人の代わりに日本人を第一線に立つる時節の到来せずとも期し難い。然る場合に際して、日本人がまた再び世界戦争に巻き込まれて行くべきか。あるいは超然として傍観者の位地に立つべきか。それらの事は、今日から定め置いたとて、必ずしもその通りに行わるべしとは思われない。ただかかる場合の来た時の覚悟を今から銘々の肚の底に決めておく必要がある。
今日日本の労働階級の如きは、共産党が何者であるかという事さえも考慮せず、ただ眼前の賃金を増加さえすればそれで満足というだけの事で、付和雷同している。今日の日本の状態は、あたかも第一回世界大戦後の、即ちファシストの崛起せざる以前のイタリアに髣髴たるものがある。何処も彼処も労働者の一揆騒動で、揚句の果ては、労働者が工場管理などという事にまで押しつけて行く状態だ。この勢いで行けば、日本は社会主義化するではなくして、共産主義化する事になる。そこでマッカーサーも、今は黙視する能わずとて例の示威運動に対する告示を出した訳である。・・・・
マッカーサーはまた、前にもいうた通り、そのスポークスマンを通じて新聞にも警告している。この警告は当っている。今日の新聞は、ほとんど総てといっても差支えなき程に、共産党の提灯を持っている。これは何故かといえば、何れの新聞社も、今日はその新聞の株主でもなければ長老でもない。概して新聞の実権は工場に在る。即ち最も多くの従業員を擁する印刷工場に在る。昔は往々営業部が編集部に干渉したりというが、今日は決して然らず。工場が直接に編集に向って威嚇し、圧迫し、脅喝し、その結果として何れの新聞の紙面にも共産党の宣伝記事が掲載せられ、まるで共産党機関新聞、即ち院外赤旗の御用を勤めつつあるゆえんであろうと察せらるる。その急所を認めたから、その点に向って、マッカーサーのスポークスマンが新聞に向って、一度ならず繰返し、チクリと針を刺したのであろう。
かかる状態であるから、次は次として、今日の所ではまず米国の毒を以てソ連の毒を退治するより外に日本を救う途はあるまい。しかし万一ソ連の毒を退治し去れば、日本は安心かというに、なかなか以て安心ではない。たといソ連の毒を退治し尽したとしても、歴として米国の毒が残っている。・・・・
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