2006年04月30日

帝国憲法への賛辞

 五月三日は現行憲法の記念日ですが、純粋に日本人の手によって作られた憲法は1889年、明治二十二年に発布された帝国憲法です。この憲法が当時の海外からどのように評価されていたかを紹介している本がありますので、引用してみましょう。
渡邊毅著「愛国心の教科書」より
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 明治の帝国憲法を作るときに、伊藤博文をはじめとして日本の政治家や学者が教えを受けたのが、オーストリアのシュタイン博士ですが、博士は、ヨーロッパでは国家が成立してから、そこへ王室が招きいれられるということが行われているので、王室を存続させるためにいろいろ権謀術数を弄さなければならないが、日本は初めから天皇によってつくられたからそんなことをいちいちする必要がない、なんとすばらしい国であるか、という趣旨の話をしていたそうです。
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2006年04月29日

昭和天皇とマ元帥

 昭和天皇のお誕生日にあたり、日本皇室の伝統的な精神を表すマッカーサー元帥との会見の模様を、当時の侍従長藤田尚徳氏の回想から引用します。

 歴史を通じて、日本の天皇が国民と対立した存在ではなく、同じ日本国民の代表として存在してきたからこそ、マッカーサー元帥との会見内容も自然と次のようなものになったのでしょう。
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昭和天皇とマッカーサー元帥との会見昭和20年9月27日
「侍従長の回想」藤田尚徳著より。

 陛下とマ元帥が何を語られたか、これは明らかにされていないが、後日になって外務省でまとめたご会見の模様が私のもとに届けられ、それを陛下のご覧に供した。通常の文書は、ご覧になれば、私のもとへお下げになるのだが、この時の文書だけは陛下は自らお手元に留められたようで、私のもとへは返ってこなかった。宮内省の用箋に五枚ほどあったと思うが、陛下は次の意味のことをマ元帥に伝えられている。
 「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。このうえは、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天皇の流露はマ元帥を強く感動させたようだ。
「かつて、戦いに敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事無く終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうかよろしくお願いしたい」
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2006年04月26日

朝日新聞は権力のポチ

 反日と言えば筆頭格に名指しされる朝日新聞ですが、この新聞ほど社説や論説の幼稚、稚拙なものはないのではないでしょうか。ただいちゃもんを付けるだけで、解決策は全く無し。読んでいる方も恥ずかしくなります。これなら学級新聞以下でしょう。
 現在の国家権力、首相の権力が弱い日本に対しては批判的な記事が書けても、戦前戦後を通じて強大な権力にはどこよりも擦り寄ってきたのが実態です。しかし、朝日にもいいところがあります。それは、新聞やテレビの報道が、事実以外は全く信用に値しない、批判的に読み、見なければならないということを示してくれたからです。
 私は今後この新聞を反日新聞というよりも「亡国新聞」と呼びます。
岡本幸治氏の著作「骨抜きにされた日本人」から引用します。

 昭和20年9月19日、20日の二日にわたって、朝日新聞は日本の新聞の中で最初にCIE(GHQ民間情報教育局)の検閲にあって発禁処分に処せられた。理由はGHQが日本政府を経由して出していた「言論および新聞の自由??に関する覚書」という指令に違反したためであった。処分の対象となった主要記事は二つあった。
 第一は9月15日付の鳩山一郎の「新党結成の構想」という寄稿論文である。その中で鳩山は「『正義は力なり』を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう」とアメリカの戦争犯罪について言及したのである。
 第二は、9月17日付けの「“比島の暴行”発表へ国民の声」という見出しの記事である。そのころ占領軍は、日本軍が比島で犯した暴行を大々的に宣伝して、来るべき極東軍事裁判の露払いを準備しつつあったが、朝日の記事は「今日突如として米軍がこれを発表するに至った真意はどこにあるか」と問い、連合軍上陸以来の日本人に対する「暴行事件の報道と、日本軍の非行の発表とは、何らかの関係があるのではないかという疑問を漏らす向きもある」と述べて、米軍の暴行を覆い隠すための報道ではないのかという疑念を表明したのである。効果はてきめんであった。・・・・
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2006年04月25日

進歩的文化人の後遺症

 渡部昇一氏が、戦後GHQのお先棒を担いだように東京裁判を礼賛した、横田喜三郎東大教授他のいわゆる知識人を「敗戦利得者」と呼ばれたのは大変いい表現でした。彼らは一時「進歩的文化人」と呼ばれて(私はただの共産主義者としか思っていませんでしたが)マスコミではたいそうもてはやされていたことがあります。しかし今は見る影もありません。
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 岡本幸治氏の著作「骨抜きにされた日本人」から引用すると。
 「進歩的文化人が論壇とマスコミに闊歩した“幸せな時代”はすでに去っている。彼らが、日本はもと来た路を歩んでいる、ファシズムの亡霊が復活すると“狼少年”を演じ続けたにもかかわらず、日本に狼は現れず、現実そのものの進展によって、進歩的文化人の観念性が露呈されたためであり、国際的には、彼らの希望の星であったマルクス主義国家の惨憺たる現実が明らかになったためである。
 しかしながら、進歩的文化人が活躍した時代の後遺症は、戦後日本を長らく拘束してきた。日本の伝統、日本の政治、とくに国家そのものに対する否定的・嘲笑的な態度、“近代的”“西欧的”なものに対するコンプレックス、社会主義(国家、政党、集団)に対する好意的評価や礼賛、政治的判断を道徳的判断と連動させようとする強い傾向、などはその例である。

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2006年04月02日

中国戦時下の虚偽

支那事変当時から、日本人には虚偽の行為は恥でも中国では虚偽も立派な戦略でした。
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再び1938年、K..カール.カワカミ著
「シナ大陸の真相」1931〜1938 より。
関連してもののふのこころさんの記事もどうぞ。

引用します。
 第一次大戦中、フランス報道局には合成化学写真部という部門があり、その主な仕事は、切り落とされた首や引き抜かれた舌やえぐり出された目玉や叩き割られた頭蓋骨やはみ出した脳髄などの木で出来た模型を作り、その写真をとることであった。このようにして作られた写真は敵の残酷さの動かし難い証拠として世界中にばらまかれ、そのばら撒かれた場所でそれらは望ましい効果を確実に産み出したのである。このことはフランスの一編集長が、彼の書いた「フランスのジャーナリズムの舞台裏」という本の中で告白している。
 このように敵を最も邪悪な姿で表現する写真の偽造は、大戦中に一大産業となった。
・・・中略・・・
 とりわけ、中国での「日本軍の残虐行為」なるデマを捏造している虚偽の宣伝活動によって、世界中の世論が再び燃えさかっている今日においては。 ちょうどドイツが対戦中、世界の平和に対する敵にされてしまったのと全く同様に、現在日本は「人道」に対する敵として宣伝活動の注目にさらされている。実際これは映画や新聞の電信写真やラジオなどのような、強力な現代宣伝活動のあらゆる手段をフルに駆使したものなのである。
 実際問題として、最近映画館のスクリーンなどでよく上映される日本軍の空爆などのような「戦争」写真の多くは、ハリウッドまたは設備のよく整った映画産業の施設なら何処でも製作できるものなのである。南京政府の宣伝広報局は上海の国際租界が保護してくれるのにつけこんで、世界世論の感情を歪曲すべく計算され尽くした写真や宣伝活動の材料を、この平和の避難所から続々と生み出した。いくつかの事例はこのような宣伝活動の本質を示すのに十分であろう

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2006年04月01日

中国国交の危険性

 今また媚中議員の中国詣で、多くの国民の顰蹙をかっています。恥ずかしいということが解っていないようですね。で何の成果も無いというより、かえって向こうの言い分を聞いてきただけの間抜けと言う結果でしょう。
今回は蒋介石秘録(下)より当時の日中国交について引用してみます。
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引用開始
 共産中国に色目使う日本
 日華平和条約が締結(1952年)されたとはいえ、日本と中華民国(台湾)の関係は、いぜんとして、波風の高いものであった。その原因はつきつめれば、日本が、わが中華民国政府を中国を代表する唯一の正統な政府であると承認しながら、一方で、たえず大陸の共産政権に“色目”を使おうとしたことにある。このような態度は、共産党の統一戦線工作のワナに、みずから身を投ずるものでしかなく、やがて1972年の共産政権とのいわゆる「関係正常化」−日華国交断絶という不幸な事態へと落ち込むのである。
 日本の大陸接近は、はじめは主として経済的理由にもとづくものであった。
・ ・・略・・・
 1972年2月21日から27日にかけて、米国大統領ニクソンは 大陸を訪問、毛沢東、周恩来と会ったのち、上海で周恩来とともに「共同声明」を発表、米国の大陸接近の方針を明らかにした。
米国のこの動きは、日本の焦りをかき立てた。7月6日、佐藤栄作のあとを受けて首相となった田中角栄は、大あわてで大陸接近をはかろうとした。
7月24日、田中角栄は、自民党の「日中国交正常化協議会」に出席、共産政権との“関係正常化”の機は熟したと述べ、さらに周恩来が示した「三原則」を、充分に理解すると表明した。この「三原則」とは「@中華人民共和国を中国を代表する唯一の政府とする。 A台湾省は中華人民共和国の一部である。 B日華平和条約を廃止しなければならない」というものである。田中がこの時点で「三原則」受け入れの方針を示したことは、共産政権にたいする外交上の“降伏”を表明したことにほかならなかった。
・・・略・・・

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2006年03月19日

中国には強硬姿勢で

 再度タウンゼントの「暗黒大陸中国の真実」から、上海事変前の日本の対中国姿勢を見てみましょう。

 田村総領事
 中国全土と同じで、福州でも収奪目的の学生秘密結社がいくつも存在していて日本人も被害に遭っていた。ある日本人教師夫妻が標的にされ「殺す」と脅されていた。脅された教師には何の咎もなかった。ただ、家が中国人の家の近くにあり、警備が十分でないのでカモにされたのである。日本総領事は、ばかばかしいことではあるが、主権国家に対する礼儀を重んじ、福州当局やら警察やらに状況を説明し、警備を要請した。日本側でできるのではあるが、そうすると主権国家間の慣行に反すると判断したのである。
 要請を受けた中国側は教師宅の前に中国兵を配置した。この中国兵は、数日間は交代で24時間警備に当たった。ところがある夜、何の前触れもなく消えた。説明も何もなく突然いなくなったのである。策を講じる間もなく。夫妻は襲われ、殺されてしまった信頼させておいて寝首を掻く中国の軍隊、警察のいつものやり口である。当局が秘密結社と組み、殺害させたのではないとしても、グルになって襲撃の時に警備を引き上げさせたとしか思えない。
 日本人の怒りは頂点に達した。田村総領事は中国当局役人を呼び、こう述べた。「非難するつもりはないが、双方の同意に基づいた警備に落ち度があったから今回の事件が起きたのである。この重大な過失に対し、ご遺族に五万ドル賠償願いたい」
 対する中国側は言を左右してまともな返事をしない。業を煮やした田村総領事が、「よろしい、これ以上申し上げることはない。後はそちらのご判断次第である。一言申し添えるが、当方はすでにことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。おわかりかな。熟慮のほど、重ねてお願い申し上げる」と席を立とうとすると、中国側は「艦砲射撃を食らっては職も失う」と思ったのか、「局に持ち帰って相談してみます」と持ちかけた。 「五万ドル耳を揃えて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は、明け方になってようやく五万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。艦長たちは事がおさまったと聞いてがっかりしたに違いない。これは第一次上海事変の一ヶ月前のことであった。

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2006年03月18日

尖閣諸島要注意

タウンゼント・「暗黒大陸中国の真実」に見る土地乗っ取りの手口

 日本人の常識で考えてはいけない、尖閣諸島の領有権。相手がどんな民族かを良く知って、迅速に相手の逆手を取った対応が必要です。
 日本との領土問題にもこんな手を使うかもしれませんよ!!

引用開始
 福清の近くのミッションスクールの話である。私もこの事件には随分悩まされた。このミッションスクールは校舎近くに空き地を持っていた。この空き地の近くにある中国人学校の偉い人たちが何人かで来校してこう言った。「お宅はあの空き地をお使いになられてないご様子ですが、どうでしょうか、お宅で使うまで当方に貸してもらえないでしょうか?」と。
 校長は同意したが、これが災難の始まりとは知る由もなかった。相手は中国人である。抜け目のない外国人ならそうたやすく返事はしなかったのだが、空き地は中国人に貸し出された。「必要となったら無条件でいつでもお返しします」という条件付きであった。とろがこの空き地を校庭として使い始めると、周りに塀を建て出した。中国では「塀を建てる」とは、「所有権を主張する」ことなのである。これを見たミッションスクールの校長は心配して直ちに抗議した。が、何の効果もなく一日一日と塀は高くなっていった。そればかりか、抗議をするミッションスクール関係者に、中国人学校の子供たちまで石を投げかける始末である。地元の警察に頼んでも何もしてくれない(アメリカの慈善団体から大きな利益を得ている地域でさえも、住民は排外的である。) もし文明国でこのようなことが起こったら、皆で一斉に押し出して塀を撤去するところである。ところが中国では、そうしたら、何をされるかわからない。暴動にまではならなくても、放火ぐらいは覚悟しなくてはならない。それ以上に宣教師というのは神の子である。たとえ中国人が神の慈悲にすがることを忘れ、己の怒りを爆発させたとしても、直接行動には出られないのである。
 さて、ミッション側の抗議をよそに、中国人学校は塀を完成させ、堂々とその所有権を主張した。現地解決は不能となり、福州のアメリカ領事に持ち込まれ、そこで「規定に従って公明正大な調査を望む」旨の要望書が、いつものように何度も提出された。それでも何の変化もなく塀は手付かずであった。
・・・中略・・・

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2006年03月17日

中国人の特異性と残虐性

再びラルフ・タウンゼント著
「暗黒大陸中国の真実」1933年初版から、数箇所引用します。
日本人の「和を以って尊しとなす」は日本人間での道徳。他国特に中国人には絶対通用しないようです。
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 引用開始
 あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。

 豚と中国人を満載したサンパンが岸辺近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったようにいつもの暮らしが続いたという。
引用終わり

 書中の面白かった表現を一つ

 孔子も改革者の一人である。孔子は中国人の性格を知り悲しくなり、変革に一生を捧げたが無駄であった。死後、その業績を称え記念碑が建ち、肖像画も多く残っている。肖像画となった孔子は、国民を見てどう思っているのであろうか。

 孔子をしてもどうしょうもなかったのが中国人、ましてや一般の日本人や政治家がどうもがいてもやはりムダ

しかし、次のような嘘が咄嗟に出てくるのは大したものです。続きを読む
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2006年03月16日

条約侵犯の常習中国

満州事変は中国の条約侵犯の結末
再度1938年 K・カール・カワカミ著
「シナ大陸の真相」より引用します。

 中国がいかに国際条約や協定を軽視し、自国の利益と考える場合には簡単に違反して恥じない民族であるかと言うことがわかります。現在も国際間の取り決めを平気で侵犯しています。

引用開始
 相手(幣原男爵)が寛大な態度を示すと言うことは、中国人の目から見れば弱さの徴か、あるいは収賄しようとしているかのどちらかなのだ。さらにまた中国は既にソビエト・ロシアの不吉な影響の下に置かれていた。彼らは平気で条約を破り捨て、外国に対する義務を無視するのである
 実際中国は、幣原男爵が宥和や善隣友好などを口にしているまさにその時に、日本と結んだ条約を全面的に侵害するという手段に訴えてきたのである。次に掲げるのはこの期間に侵害された日中協定の一部リストである。

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2006年03月15日

賄賂横領は中国文化

 再び1938年 K・カール・カワカミ著
 「シナ大陸の真相」より引用を続けます。
 中国古典にも賄賂の話は沢山出できますが、古典でいくら立派なことを言っていても、この民族性は未だに直らない、一つの文化の領域でしう。
では、引用開始

 何世紀にもわたって公然の「搾取」制度が中国に害毒を流し続けてきた。中国の表社会では搾取は様々の形をとって行われているが、最も普通に行われているのは賄賂と徴収した税金の横領である。
 地方長官は中央政府の高官に賄賂を贈ることによって自分の地位を安全なものにする。彼らは今度は傳全と呼ばれる行政地区のトップに対して賄賂と貢物を要求し受け取る。それに対して傳全のトップは、彼らが民衆から徴収した税金の多くをくすねることにより、自分が差し出した分を取り戻すだけでなくさらに相当な財産を蓄える。「良心的な傳全のトップは三年で十万両の財産を蓄える」というのが常識的な会話である。良心的な役人でさえこんなに多くの財産を貯め込むのであれば、そうでない役人がどれほど多くの財産を貯め込むか、は見当もつかない。
 この慣行は古いタイプの役人のみならず、新しい学校制度の下で外国の教育を受けた役人たちの間においても広く行き渡っている。軍人であれ文官であれ中国の全ての役人は百万長者である。中国人の外交官、将軍、政治家で大金持ちになっていないような人に、私はこれまでお目にかかったことがない。・・・略・・・

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2006年03月14日

中国伝統の虚偽宣伝活動

 また1938年、K..カール.カワカミ著
「シナ大陸の真相」1931〜1938 より引用です。

 中国がいかに卑劣な虚偽報道を世界に向けて発信して恥じない民族であるか、南京事件が嘘八百だと言うことも世界に向けて訴えたいと思います。

 3月10日の外務委員会で、松原仁議員が大変いい質問をしました。南京大虐殺を暴く内容です。ビデオの中ほどくらいから始まります。下記ビデオで見て下さい。松原議員の質問内容と「シナ大陸の真相」とが合致する部分があります
ビデオ

引用開始
 中国に関する最も興味深い事柄の一つは、世界的規模の組織を持つある特定の報道会社に南京政府がニュースを提供するそのやり方である。
 1,929年かあるいはその時分に、国民党外務省の宣伝広報局は上記の報道会社と協定を結んだ。この協定によればこの報道会社は、宣伝広報局が提供するニュースを一日当たりあるいは週あたりの決められた分量だけ流すことになっていた。この「業務」に対する報酬として、宣伝広報局はこの報道会社に毎年かなりの金額のお金を支払うことになっていた。
 かくしてこの報道会社は算盤勘定をしながら、南京政府のための宣伝工作活動にも等しい仕事を請け負うことに同意したのである
 だがしかしこの話はまだ続きがある。南京政府がこの報道会社に支払ったお金の一部を、宣伝広報局長官または他の国民政府外務省高官は、この報道会社から払戻金としてこっそり受け取ることになっていたのである。そしてそれは極めて寛大な行いであると一般的に解釈されていたのだ ! さらにその上、この外国の報道会社の南京特派員は同時に、南京政府外務省の宣伝広報局と公式のつながりを持っていたのだ ! このつながりは数年前に出来、そして私はそれが廃止されたということをまだ聞いていない 

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2006年03月13日

中国の手口

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1938年 K・カール・カワカミ著
「シナ大陸の真相」より引用

 この二十一ヶ条要求(その本質的な狙いは満州における日本の権利を保護すること)は、中国に侵害されかけているこの地域での日本の足場をしっかり固めようという意図の下に考えられた警告手段以上の何物でもなかった、というのが真相である。日露戦争後、中国が進んで日本に協力していれば、そのような要求は決してなされなかったであろう。
 「この要求の結果成立した日中間の協定は強制の下で、すなわち日本が最後通告を発した後で中国が調印した」と中国人は主張し続けており、そしてその主張は何も知らない世界によって一般的に受け入れられてきた。この口実は1915年の交渉の経過に照らし合わせてみれば言語道断である。

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2006年03月06日

昭和天皇2

侍従長の回想
藤田尚徳著
東京裁判主席検察官キーナンの回顧

 憲法第五十五条に、「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」とあった。
 キーナン検事は、この点に触れて、後に次のように述べている。
 「・・・首席検察官として、余は天皇を戦犯人として、起訴する証拠はないと考えていた。証拠の示すところによれば、天皇が終始和平を望んでいたということは、はっきり証明されている。
 余は個人としては、天皇を自らの立場を説明するだけでよいから、証人として法廷に出廷させたいと思っていた。しかし同じように国王をいただく英国側から、そういうことは忍び難いとの反対があった。
 マッカーサー元帥が余に語ったところによれば、もし天皇が証人として出廷されたならば、天皇自身は、我々が証拠によって見出した彼に有利な事実をすべて無視し、日本のとった行動について、自ら全責任を引き受ける決心であったという。
 すなわち記録によって、天皇は立憲国の君主であり、また職責上必ず側近者の輔弼にもとづいて行動しなければならなかったことが証明されているが、それにもかかわらず、天皇はもし出廷されたとしたら、このようなことを自己弁解に用いるようなことは一切しなかったであろう」

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2006年03月05日

昭和天皇1

侍従長の回想
藤田尚徳著

昭和21年2月

・・・そして思いもかけず、私は陛下の御胸中をじかに聞く機会を得たのである。その心境を他人に表明なさったことなど、おそらく陛下の御一生にかってなかったことではあるまいか。
 苦しみがあってもうったえるべき人のない天皇、愚痴のやり場もないのが日本の天皇の姿であった。陛下は発言したくても、その意見を公になさることはなかったわけで、戦争の責任についても、もちろん一言もお述べになったことはない。ただマッカーサー元帥に対して、「一切の責を自分で負う」と表明されただけであった。
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2006年03月03日

暗黒大陸中国の真実

ラルフ・タウンゼント著
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現在にも通用する、ラルフ・タウンゼント 1933 年の言葉。ラルフ・タウンゼントは 1931 年、国務省から上海副領事として赴任、その後福建省副領事を経て帰国しました。

 事実を見て対中国政策の誤りを認めよ
 
我々が今現在付き合っている中国政府とはこういう政府(当時は南京中央政府)なのである。中国政府が、責任のある政府として信頼できるのかどうか。近代国家としての責務を果たせる力があるのかどうか。調べる気になれば誰でもわかることであり、新たな事実が次々に見えてくるであろう。
 つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。学校や病院を建てたら、火をつけられる。宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。ただ外交援助するばかりで、何の罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。
 アメリカ人の究極の希望は世界平和である。そこで極東にも平和を願うなら、アメリカはどういう姿勢を採るべきか。「君子危うきに近寄らず」綺麗さっぱり足を洗った方がよい。
思いやりも必要だが、それと同時に毅然とした態度で主張すべき権利は堂々と主張すべきである、というのが大人の考えである。

本当にあった1926年の南京虐殺
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2006年03月02日

台湾二二八の真実

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最近の台湾事情
もののふのこころ
【書評・台湾之子】

突然国民党の官憲によって父親は連れ去られ殺された。
この本は涙無しには読めませんでした、共産党と同じく国民党も残虐そのもの、そして事実を長らく隠蔽してきました。
戦後台湾に逃げ込んだ南京中央政府は、ラルフ・タウンゼントによれば、国民党というやくざ集団と呼ばれています。当時の台湾人は国民党よりはるかに高い教育を受け豊かな生活をしていました。
有名な笑い話があります、当時台湾では水道が普及しいつでも蛇口を捻ると水が出ましたが、それを見た国民党の人間が蛇口を手に入れて、壁に穴をあけて取り付けて栓をひねったところ、水が出ないといって怒ったということです。

エピローグ 父を乗せた元運転手が訪ねて来た。
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2006年02月26日

マオ 上下

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マオ 誰も知らなかった毛沢東 の上下を読んでみました。
とんでもない独裁者ぶりが描かれています。
絶えず数人の若い女性を大きな木製ベッドに連れ込んでた
ことも徐々に公然となって行ったようですねー。
中でもハッとしたのがこの一文。
★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、
ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、
実際にはスターリンの命令にもとづいて、ナウム・エイティンゴン
(後にトロッキー暗殺に関与した人物) が計画し、
日本軍の仕業に見せかけたものだという。

あの当時、いかにスターリンが日本軍を挑発し、戦線を南方へと
引きずり込み、泥沼化させようとしていたかがわかります。

これと同時にこちらもお薦めです。「毛沢東の私生活」上下。

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毛沢東の侍医兼医療班長として、22年間仕え、死も見取った方が
書いています。マオの内容とほとんど合致していますよ。





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