2007年06月01日

米国製憲法強要事情10

天皇最後のご聖断

児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 続けてご覧頂き、有難うございました。今回で最終と致します。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回が最終の引用です。ここでは新憲法発表の経緯が記されており、このくだりの続きが、今回最初に引用した米国製憲法誕生事情1となります。
 現行の“翻訳憲法”は非独立国時代のものとして捨て去り、日本人の手で、日本語で作られた憲法をわれわれ日本人の憲法として制定するのがごく当り前のことではないでしょうか。

引用開始
 総司令部は速やかな公表を希望しているが、なにはともあれ、天皇に報告しなければならない。
 幣原首相は、“総司令部憲法案”前文と明治憲法の改正手続き、つまり、民意に基づく憲法だという宣言と欽定憲法との関係について質問した。閣僚たちの意見は、結局、天皇のご意思で発表するのであれば問題はあるまい、そこで、まず首相が憲法案を内奏して、こういう内容の憲法をつくるよう努力せよ、との勅語をいただけばよい、ということになった。・・・・・

「このときの内奏は、畢竟するに敗北しましたということの御報告のようになりました。こちらで多少抵抗したためによくなったところもありますが、そういうことはあまり申しませんでした」・・・・・
松本国務相は、「当時のことは今でも目の中にあるのであります」といいながら、その八年後(昭和二十九年七月七日、自民党憲法調査会総会に於て)、そう回想しているが、まことに、松本国務相の心境は、敗北の一語につきていた。
 松本国務相は、既述の如く、憲法改正業務をいわば「国体守護の勤め」とみなして、努力してきた。
「国体を守るために敗北を承知したのに、その国体を捨てるような憲法をつくって良いのか」――とは、松本国務相がしばしば口走った発言である。
 ところが、いまや、松本国務相からみれば、「途方もない」憲法を受諾することになった。

 主権という言葉がある。対外主権、対内主権などというが、対外主権すなわち独立であり、万事を自主的に決定する力をもつことを指す。ところが、いま受けいれようとする“総司令部憲法案”の前文は、日本国民の「安全及生存」は、「世界の平和愛好国民の公正と信義」に依頼する旨を、宣言している。・・・・
 自国の運命を自主的に決定するのが主権国、独立国である。他国の意思にゆだねるのは、非主権国、属国ではないか。

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posted by 小楠 at 07:13| Comment(2) | TrackBack(1) | 米国製憲法強要事情

2007年05月31日

米国製憲法強要事情9

爆音の下の「戦争放棄」

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回の引用は、いよいよ日本側の改正案の否定と民生局側の憲法改正案の提示の部分になります。
画像は右から吉田茂と白州次郎
yoshida02.jpg

引用開始
 昭和二十一年二月十三日、水曜日
 松本国務相は、午前九時半、麻布市兵衛町二丁目八十九番地の外相官邸に到着した。前日、ホイットニー准将から午前十時に憲法改正問題について会談したい、と申し入れがあり、外相官邸を会合場所に指定したからである。
 総司令部側は、民生局長ホイットニー准将、局次長ケーディス大佐ら数人で、非公式会談とのことなので、日本側は、松本国務相のほかには吉田外相、終戦連絡事務局次長白州次郎と長谷川通訳が参加することにした。
 松本国務相は、英訳文を提出しておいた憲法改正「要綱」と二つの説明書の原文を持参した。吉田外相は官邸に住んでいたので、松本国務相が着いたときは、すっかり身支度して待っていた。白州、長谷川両氏もいた。吉田外相は、「きょうはよい天気だから、庭で話したほうが気分もなごやかになるだろうと思って、ポーチに座を用意した」と、松本国務相を案内した。・・・・

 ホイットニー准将は、きっちり午前十時に、軍用色に塗った45年型フォードに乗って、外相官邸にやってきた。ケーディス大佐とハッシー、ラウェル両中佐が一緒であった。・・・・
 ホイットニー准将は、吉田外相の松本国務相紹介が終ると、松本国務相によれば「えらい威張った顔をして」、ケーディス大佐たちの記録によれば「一語一語念をおすように」話しはじめた。
「最高司令官は、先日あなた方が提出された憲法改正案は、これを自由と民主主義の文書として受け容れることはまったく不可能だ、といわれた・・・」
 ホイットニー准将はゆっくり話したので、松本国務相にも発言は理解できた。吉田外相が愕然とした様子で顔をこわばらせると、松本国務相の細い眼が固定し、頬が紅潮した。白州、長谷川の二人も、眼をみはった。

「しかしながら、紳士諸君、日本国民が過去の不正と専断的支配から守ってくれる自由で開放的な憲法を必要とすることを理解している最高司令官は、ここに持参した文書を、日本の情勢が要求している諸原則を具現しているものとして承認し、私にあなた方に手交するよう命じられた・・・」
 ホイットニー准将はそういうと、ハッシー中佐にアゴで合図した。中佐はカバンから、一束の書類を取り出した。・・・・
 白州次郎がハッシー中佐のさしだす受領書にサインしている間に、ホイットニー准将は、「6」を吉田外相、「7」を松本国務相、「8」を長谷川通訳に渡しながら、いった。
「では、紳士諸君、この文書の内容については、あとでさらに説明するが、あなた方が読んで理解できる時間を持つために、私と私の部下はしばし退座することにする」

 総司令部の記録によれば、松本国務相たちはよほどの意外感におそわれたとみえて一言も発する者はなく、とくに「吉田氏の顔は、驚愕と憂慮の色を示し・・・この時の全雰囲気は劇的緊張に満ちていた」とのことだが、ホイットニー准将がケーディス大佐らをうながして、庭に出ると、とたんに米爆撃機B25が一機、低空で頭上を走りすぎ、爆音が外相官邸をゆるがした。・・・・
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2007年05月29日

米国製憲法強要事情8

最高機密の憲法改正草案作成

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回の引用は、米国製憲法草案作成には、GHQ民生局員が動員され、すべて最高機密扱いで行われ、日本政府が作成したものを承認すると見せかけるようにして発表する準備の部分です。

引用開始
 ケーディス大佐はホイットニー准将の部屋を訪ね、次のような憲法改正草案分担表を提出した。(分担表は省略します)
 すなわち、二十五人の民生局員のうち、朝鮮課四人を除く二十一人が動員され、四人(秘書、通訳)が加えられている。
 ホイットニー准将は、リストをいちべつすると、直ちに二十五人を会議室に招集した。准将は、十一の陸軍将校、四人の海軍士官、四人の軍属、六人の女性が席につくと、立ちあがった。・・・・
 准将は、淑女ならびに紳士の皆さま、と合いの手をいれながら、「マッカーサー・ノート」を読みあげた。意外な内容に、一同の間にざわめきが起った。しかし、准将はいさい構わず、なおも朗々としゃべりつづけた。
「私は、二月十二日までに、民生局の草案が完成し最高司令官の承認をうけることを、希望する。二月十二日に、私は日本の外務大臣その他の係官と、日本側の憲法草案についてオフ・ザ・レコードの会合を開くことになっている」

 ホイットニー准将は、おそらくその日本側草案は保守性の強いものだろうが、自分は、それでは天皇を守ることはできない、はっきりと進歩的なものでなければだめだ、ということを納得させるつもりだ、といった。
「私は、説得を通じてこういう結論に達したいと希望しているが、説得の道が不可能なときには、力を使用すると伝えるだけではなく、力を使用する権限を最高司令官から与えられている」・・・・
「われわれのねらいは、日本の外務大臣とそのグループが、彼らの憲法の針路を変え、われわれが望むリベラルな憲法を制定させることにある。そのあと、日本側ができあがった文書を最高司令官に提出してその承認を求めれば、最高司令官はその憲法を日本人が作ったものとして認め、日本人ガ作ったものとして全世界に公表するであろう」・・・・

 話題は、もっぱら「マッカーサー・ノート」第二項、戦争と軍備の放棄に酋長した。・・・・
 主な疑問点は次のようなものである。
――戦争の放棄と廃止とは、別問題のはずである。戦争はやりたくなければやらなくてもいい。しかし、国家が武装を放棄するのは、外敵の侵略にも抵抗しない、いいかえれば独立の放棄に通ずるのではないか。
――世界各国の憲法を見渡してみて、このような“平和条項”をそなえている憲法は、ない。なぜないかといえば、それは国際社会の実状に矛盾する。つまり、国家の安全と軍備とは、現在の国際社会秩序では、まだ切り離すことはできないからである。結局は、この“平和条項”は、やがて日本が独立国家の地位を回復した場合、かえって邪魔になるのではなのか。・・・・・・
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2007年05月28日

米国製憲法強要事情7

基本は武装放棄宣言の憲法

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
 今回の引用は、武装を放棄して、日本は防衛と保護を世界の崇高な理想にゆだねるという現憲法の成立事情の部分です。

引用開始
 ホイットニー准将は、ケーディス大佐の部屋にはいると、手にした黄色い紙片を渡した。特別の用紙ではない。草稿と清書文を区別するため、草稿は色つきの紙を利用するのが、米国のオフィス慣習であり、黄色紙は最も一般的な草稿用紙である。
 その“イエロー・ペーパー”に、鉛筆で数行の文字が書かれている。ケーディ大佐は黙読した。
「天皇は国家の元首(ザ・へッド・オブ・ザ・ステイト)の地位にある。皇位の継承は世襲である。天皇の義務および権能は、憲法に基いて行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う。
 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。
 日本の封建制度は、廃止される。皇族を除き華族の権利は、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。
 予算の型は、英国製にならうこと」

 いわゆる「マッカーサー・ノート」と呼ばれ、日本憲法改正にかんする「三原則」といわれるものである。もっとも、ケーディス大佐は、最後の予算の項目は独立しているとみなし、「四原則だった」と記憶するが、いずれにせよ、ホイットニー准将は、大佐の眼の動きで通読が終ったのを知ると、いった。
「ご注文の品だよ、チヤールス。これがジェネラルの憲法改正にたいする基本点だ。これだけはどうしても入れる、あとは任せるということだよ」
「・・・・」
(本当ですか)という質問をのみこみながら、ケーディス大佐は、しばし、絶句した。・・・・なによりも驚いたのは、戦争と軍隊の放棄を定めた第二項である。

 ケーディス大佐は、ホイットニー准将を通じて、おぼろげながら、マッカーサー元帥が、日本の「キバ」をぬいておくためには日本に軍隊を持たせたくないと考えているらしいことを、推察していた。
 しかし、いずれ日本の占領は終り、日本は講和条約によって独立主権国の地位を回復する。そのさい、軍隊を持たぬ独立国というものが考えられるだろうか。
 ケーディス大佐も、日本の憲法改正に関連して日本軍隊の将来について考えてみたが、天皇と軍隊との結びつきを断絶することはすぐ思いあたったものの、もし憲法に規定するとすれば、せいぜい兵力の制限までで、まさか軍備全廃には思い及ばなかった。だが、考えてみれば、これはすばらしいアイデアである。いや、これこそ「平和国家」というものではないのか。
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2007年05月26日

米国製憲法強要事情6

米国製新憲法案を受諾させる準備

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
 今回の引用は、憲法改正を日本の意思にまかせるのではなく、GHQ民生局が憲法案を作り、それを受諾させる方向に走り出した部分です。
写真は松本国務相
matsumoto.gif

引用開始
 昭和二十一年二月一日。
 松本国務相は、朝食前の習慣になっている新聞各紙の閲読をはじめたが、『毎日新聞』をとりあげたとたん、眼をむいた。一面トップに「憲法改正調査会の試案」と白抜きの見出しがかかげられ、「立憲君主主義を確立、国民に勤労の権利義務」の副見出しとともに、一面のほとんど全部をつぶして第一条から第七十六条までの「試案」が報道されている。・・・
 ところで、『毎日新聞』のスクープは、当然に総司令部側の関心を刺激した。
 記事の仮訳が作成されて民生局にとどけられたのは午後四時ごろであったが、午後五時すぎ、ハッシー海軍中佐は楢橋書記官長に電話して、『毎日新聞』のスクープ案が政府の憲法改正案かと質問し、ちがう、という返事を聞くと、書記官長に告げた。
「では、すぐ政府案をみせてもらいたい。もちろん、正式の提示はあとでいい。それから、そちらの仕事はできるだけ急いだほうがよいと、ご忠告する」

 届けられたのは、いわゆる甲案の概要を述べた「憲法改正の要旨」と「政府起草の憲法改正に関する一般的説明」であるが、通読して、ホイットニー准将とケーディス大佐はうなずきあった。・・・・
 ホイットニー准将は、これで日本側としては、あらためて「ポツダム宣言に忠実に従ったより純粋の憲法改正案」をつくるか、それとも「われわれの憲法」を受諾するか、どちらかの道を選ばざるを得なくなった、と指摘した。
「そこで、われわれのほうだが、私はジェネラル(マッカーサー元帥)の権限を明らかにした覚書と、『毎日新聞』案とをジェネラルに届けるが、われわれは既定方針どうり、マツモトのように改正項目を示すのではなく、新しい憲法案をつくって示すべきだと思う。そうすれば、日本政府は、われわれがどんな種類の憲法に関心を持っているか、明白に諒解できるだろう」
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2007年05月25日

米国製憲法強要事情5

憲法改正を急ぐマッカーサー

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
今回の引用は、マッカーサー総司令部が憲法改正を急ぐ理由などについての部分です。
写真はケーディス
kades.jpg

引用開始
 三国外相会議は、これまでソ連が参加しなかった極東諮問委員会を、ソ連をふくめて極東委員会と改組するとともに、東京に米、英、ソ、中国、オーストラリア、ニュージーランド、インド代表で組織する対日管理理事会の設置をきめた。
「理事会」は極東委員会の出先機関ともいうべき存在で、極東委員会はマッカーサー元帥の対日政策を検討する機能をもつが「理事会」は元帥の諮問機関的役割をはたす。・・・・
 マッカーサー司令部は、すでに、旧天皇制の“打破”をうながす処置をとっていたのである。
 天皇自らの神格を否定する、いわゆる「人間宣言」の発表である。・・・・

記念碑としての憲法改正
 ホイットニー准将とケーディス大佐の会話は、准将の部屋に席を移してなおつづいたが、准将は、憲法改正案を作成する理由を、ひとことで説明した。
「極東委員会に口をいれさせてはまずいからな」

 おお、イエス――と、ケーディス大佐は、声にならぬあいづちをうちながら、即座になっとくした。
 前日、十二月三十日(昭和二十年)J・バーンズ米国務長官は、二十六日にモスクワの米英ソ外相会議で設立がきめられた極東委員会について、次のように放送していた。
「・・・極東委員会が政策にかんして一致できず、あるいは対日理事会が政策の実施方法について一致できないことによって、マッカーサー元帥の機能が阻害されないことを保障する」
 極東委員会は、すでに成立している極東諮問委員会にソ連を加えた十一カ国の対日管理機関であるが、米政府の連合国最高司令官にたいする緊急事項の中間指令権、米英ソ中四主要国の三国をふくむ過半数議決方式など、たしかに対日政策にかんする米国とマッカーサー元帥の優位は確保されている。

 しかし、極東諮問委員会と極東委員会とをくらべてみると、諮問の二字が消えている如く、極東委員会は「対日理事会」というマッカーサー元帥の諮問機関を別に持つ、明白な日本管理機構である。その任務は、勧告ではなく、「降伏条項の完遂上、準拠すべき政策、原則、基準を作成すること」にあり、「連合国最高司令官のとった行動」をチェックし、とくに「日本の憲法機構または占領制度の根本的改革」については、連合国司令官は委員会の「事前の協議および意見一致」を必要とする、と定められている。
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2007年05月24日

米国製憲法強要事情4

共産党の新憲法案骨子

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
 今回の引用は、当時人気のあった共産党の発表した憲法案と総司令部の態度、そして、「ラウェル文書」で有名なラウェル少佐の提案などの部分です。
写真はホイットニー准将
Whitney.jpg

引用開始
 牛場友彦が明治生命ビルに呼ばれた十二日(昭和二十年十一月)の朝刊各紙には、次のような共産党の「新憲法案骨子」が発表されていた。
一、主権は人民にある。
二、民主議会は主権を管理する・・・。
三、政府は民主議会に責任を負う・・・。
四、民主議会の議員は人民に責任を負う・・・。
五、人民は政治的、経済的、社会的に自由であり、かつ議会および政府を監視し、批判する自由を確保する。
六、人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備をもって保証する。
七、階級的ならびに民族的差別の根本的撤廃。

 現憲法に照合するとき、格別に瞠目すべき内容ともいえぬが、当時としては、まさに“革命的”発案である。しかも、この「新憲法案骨子」は、天皇制打倒人民共和政治樹立などを唱う「人民戦線綱領」と不可分の形で主張されている。
 当時共産党は過去の汚れを持たぬ政党として、人気があった。マッカーサー総司令部も、庇護といわぬまでも、共産党の存在を旧体制解体ムードの促進剤として是認する態度を示した。この総司令部の姿勢と思いあわせるとき、近衛公爵には少なからぬ脅威が感じられた。公爵は細川護貞に、いった。
マッカーサー司令部にはユダヤ人多き為か、皇室に少しも好意を持たざるのみか、口実を設けて破壊せんとしつつある様なり。又、赤化も計り居る如し」
 反共を国是とする米国が、日本の赤化を望んでいるとは思えない。しかし、マッカーサー総司令部内に、共産主義者、それに近い急進的理想主義者、あるいは日本の国情に無知な政策決定者がいて、共産党も民意のあらわれとみる結果“赤い憲法”の誕生をうながしているのではないか。・・・・

 第八十九議会では、戦争責任問題のほかに、天皇制、憲法改正も重要な論点としてとりあげられた。もっとも、質疑の潮流は、どちらかといえば保守的なものをうかがわせた。たとえば、斉藤隆夫議員は、
「如何に憲法を改正するとも、之に依って我が国の国体を侵すことはできない。統治権の主体に指をふるることは許されない」といえば、自由党鳩山一郎議員も、次のように、強調した。
「わが日本において、天皇が統治し給うということは、国民の血肉となっている信念である。しかも、天皇は民の心をもって政治をされる民主的存在である・・・民主政治には、日本的という限界がなければならぬと思う
 同じく自由党の北?ヤ吉議員も、日本的民主主義とは「君民同治」あるいは「君民共治」主義であろう、といい、幣原首相は、皇室中心の体制は動かし得べくもない、とうなずいたあと、憲法改正についても、次のような方針を指摘した。
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2007年05月23日

米国製憲法強要事情3

マ元帥、近衛公爵への改憲提案依頼と裏切り

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。 
 今回の引用は、近衛公爵とマッカーサーの会見内容で、マッカーサーが憲法改正に関する話を持ち出した部分です。
写真はMacarthur
MacArthur.jpg

引用開始
 東久邇宮首相のあと、マッカーサー元帥が迎えた日本側要人は、近衛文麿公爵であった。
 近衛公爵は、十月四日午後五時、通訳にあたる外務省の奥村勝蔵とともに、第一生命相互ビルの総司令部をたずねた。
 公爵のマッカーサー訪問は、二回目である。最初は九月十三日(昭和二十年)、まだ総司令部は横浜税関に居を占めていた。・・・・
 近衛公爵は、日本の過去の軍閥横行の背後に赤化分子の活躍があった、(近衛上奏文参照)
と満洲事変いらいの歴史を略述しながら、説明した。元帥は公爵の話の間に質問をはさみながら聞いていた。
 公爵が主張したのは、軍閥や極端な国家主義者を排除しようとするあまりに、国家の安定勢力まで一掃してしまっては、日本は共産化してしまう、という点であった。

 元帥は、公爵の話が終ると、「お話は有益であった。参考になった」といった。そこで、近衛公爵は、こんどは元帥の意見を聞こうと思い、質問した。
「政府の組織および議会の構成につき、なにかご意見なり、ご指示があれば承りたい」
 すると、マッカーサー元帥は、急に姿勢を正すと、強い語調でいった。
「第一に、憲法は改正を要する。
改正して自由主義的要素を充分に取りいれねばならぬ。
 第二に、議会は反動的である。これを解散しても、現行選挙法の下では、顔ぶれは変っても、同じタイプの人間が出てくるだろう。それを避けるためには、選挙権を拡張して、婦人参政権と労働者の権利を認めることが必要である」
 憲法改正という予想外の発言に、近衛公爵はおどろいたように眼をあげたが、びっくりしたのは、むしろ、サザーランド参謀長であった。・・・
 近衛公爵が、ごんごは元帥の激励と助言とにより国家のためご奉公したい、と述べると、右手のコーン・パイプをぐっとさしだして、うなずいた。
「まことに結構である。公爵はいわゆる封建的勢力の出身ではあるが、コスモポリタンで世界の事情にも通じておられるし、まだお若い。
 敢然として指導の陣頭に立たれよ。もし公爵がその周囲に自由主義分子を糾合して、憲法改正に関する提案を天下に公表されるならば、議会もこれについてくることと思う」
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2007年05月22日

米国製憲法強要事情2

政治的武装解除

 児島襄著「史録 日本国憲法」をご紹介しています。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。

今回引用の部分は、現行憲法が日本国民の自由意志によって表明されたものであるように見せかけよ、という指示が米本国からなされていたということを示しています。
写真はGHQがおかれた第一生命保険ビル
daichi.jpg

引用開始
 ケーディス大佐がヒルドリング少将の部屋に最初に出頭したのは、一ヶ月ほど前だったが、当時は中佐だった。進級は三日前で、副官が大佐の階級章姿を見るのはその日がはじめてであった。
「どこかにご赴任でありますか?」
「日本だ」
「日本・・・? それはご苦労でありますが、戦争は終ったので、気楽なご旅行になりますでしょう」
「いや、仕事は大変だ。私の担当は、日本のポリティカル・ディスアーマメント(政治的武装解除)だからな
「政治的武装解除・・・?」
 聞きなれぬ単語に眼をむく副官に、大佐は肩をすくめてみせ、廊下に出た。政治的武装解除という言葉は、ヒルドリング少将のうけ売りだが、じつは、ケーディス大佐にも、意味はよくわからなかった。・・・・
 ただ、対日占領政策の基本方針については、すでにいくつかの概案が用意されており、ケーディス大佐も承知していた。

 いま、ヒルドリング少将の部屋を出た大佐がかかえるカバンの中にも、その一部である国務、陸、海軍三省調整委員会(SWNCC、スウィンクと発音する)の指令『SWNCC二二八』の草案がはいっている。・・・・
 どの文書にも共通しているのは、占領が軍事占領ではなく、むしろ、“新しい国作り”を目標とする政治占領であることを明示していた。・・・・
 そして、このような政治占領を実施する方法として、「初期の対日基本政策」は、次のように間接管理方式を定めた。

「天皇および日本政府の権力は、降伏条項を実施し、日本の占領および管理の施行のため樹立せられたる政策を実行するため、必要なる一切の権力を有する最高司令官に隷属するものとす・・・・日本国政府は最高司令官の指示のもとに、国内行政事項に関し通常の政治機能を行使することを許容せらるべし」
 もっとも、日本政府を通じての占領政治という間接管理とはいっても、あくまで日本の「現存の政治形態を利用せんとするものにして、これを支持せんとするものに非ず」ということで、最高司令官は「政府機構または人事」の変更を要求し、また「直接行動」の権利を保持している。・・・・
 間接管理とはいうものの、日本側がマッカーサー元帥の気にいるようにすれば良いが、そうでなければ容赦なく命令する。実質的には“間接管理という名の直接管理”あるいは“直接管理の変形”と呼ぶのがふさわしい。・・・・
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2007年05月21日

米国製憲法強要事情1

米国製憲法という疑い

 順序を無視して最終部分をまず最初に引用したいと思います。引用するのは、児島襄著「史録 日本国憲法」です。奥付には昭和四十七年第一刷、昭和五十年第六刷となっています。
 この本の最後の部分に、著者は『どのような憲法論議を進めるにあたっても、先ずは「日本国憲法」の成立の事情を明らかにすることが、出発点と思われる』と書いています。
 著者が貴重な御教示と資料の提供を受けたとされる人名を挙げると、入江俊郎、牛場友彦、大石義雄、木戸幸一、佐藤達夫、佐藤朝生、白州次郎、高木八尺、松本重治、福島慎太郎、楢橋渡、細川護貞、三辺謙、清宮四郎、河村又介、宮沢俊義、松本正夫、岩倉規夫、山本有三、田中耕太郎、ヒュー・ボートン、チャ−ルス・ケーディス、セオドア・マクネリー、フランク・リゾー、ジャスティン・ウィリアムズ、となっています。
cons.jpg

引用開始
 閣議が終わったのは、午後九時(昭和二十一年三月五日)そして、直ちに入江法制局次長を中心にして、内閣書記官長室で「要綱」作成作業がはじまった。“総司令部憲法案”の字句を修正するのだが、原本の英文を動かさずに日本文の表現を整えるのである・・・・
 翌日、三月六日午前九時から閣議が開かれ、「要綱」の審議がおこなわれたが、午前十時すぎ、ハッシー海軍中佐が英文の“総司令部憲法案”十三部を持参して、公式の英訳である旨の確認の署名を、楢橋書記官長に求めた。
「これからワシントンに行く。極東委員会十一カ国に一部ずつ、米政府に一部、日本政府に一部、合計十三部の署名をもらいたい」
 ハッシー中佐はそう述べて、楢橋書記官長の署名が終ると、一部を残して、そそくさと辞去した。・・・・・

 「要綱」の審議は、午後四時すぎに終り、政府は午後五時、次のような勅語とともに発表した。
「・・・国民の総意を基調とし人格の基本的権利を尊重するの主義に則り、憲法に根本的改正を加え、以て国家再建の礎を定めんことを庶幾(こいねが)う。政府当局其れ克(よ)く朕の意を体し、必ず此の目的を達成せんことを期せよ」
 マッカーサー元帥も、用意していた声明を発表した。
予は日本の天皇ならびに政府によって作られた、新しく且つ開明された憲法が、日本国民に余の全面的承認の下に提示されたことに、深い満足をもつものである・・・」
 幣原首相も、談話を発表した。
「畏くも天皇陛下におかせられましては・・・非常なる御決断を以て、現行憲法に根本的改正を加え・・・民主的平和国家建設の基礎を定めんことを明示せられたのであります・・・茲に政府は、連合国総司令部との緊密なる連絡の下に、憲法改正草案の要綱を発表する次第であります」
 そして、八日、松本国務相も記者会見で――
「(議会の修正権について)従来、私の考えていたのは一部改正としての修正権で・・・この度のように憲法の全部改正については、充分議をつくして考えていなかった・・・・」
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posted by 小楠 at 07:03| Comment(4) | TrackBack(3) | 米国製憲法強要事情