昭和十三年十二月に新潮社から発行された戦場手記「征野千里」中野部隊上等兵 谷口勝著を引用掲載しています。支那事変に従軍した一兵士の手記から、今回は「全滅を期して敵陣へ」と題された最終章の引用になります。25日25回に亘ったこの本からの抜粋引用も今回が最後となります。
写真は轟然一発!山形を崩す我が砲の威力

引用開始
「今度は後続部隊は来ない。弾も補給されない。落伍したらそれでおしまいだ。どんなことがあっても決して落伍しないように・・・」と坂本大尉から訓示があった。田家鎮はまだ十里近くも前方と思われるのに、大きな砲弾が田家鎮から空を裂いて私たちの頭上を越えて、後方に猛烈な勢いで落下していた。巨きな砲弾だった。要害田家鎮から敵の要塞砲が撃たれているらしい。要塞砲はウーウーウーと獣が呻るように腹にしみわたる音をたてて飛んで来た。前進を開始すると、来る山々で敵は猛烈に抵抗する。一つの山をとると、敵は周囲の山から囲むようにして山砲、野砲、迫撃砲を目茶苦茶に浴せ、果ては堂々と逆襲を繰り返して来た。みんなに「このまま前進したらどうなる」という気が起きて来る。「どうなってもいい、全滅なら全滅しよう、そしてこの敵を撃退しよう!」と考える。
敵は大別山から大部隊を繰出して田家鎮へ進む友軍の側面を襲おうとした。私たちはラクダ山を裏へ廻って突撃した。山頂をとると同時に、敵はこの山めがけて前方、後方、左右、数段に構えた山の陣地から、あらゆる砲を動員して集中射撃を送って来る。友軍の○砲が放列をしいたが、霧が深くて敵の陣が射てない。敵はただかねて知り覚えたラクダ山を距離だけで盲射ちすればいい、ラクダ山に砲が当れば必ずこの山にいる友軍の何処かに命中するのだ。一弾は倉本隊の○○名を一時に空へ噴き上げた。
「負傷! 負傷!」の声はあちらでもこちらでもひっきりなしに叫ばれて全山を埋めた。このままいたら山の土くれと運命を共にして部隊は全滅しなければならない。一層、前方の佐山を奪ろうということになった。佐山は山の頂上が二百メートルほどの間隔をおいて三つの瘤に別れていた。・・・散開して一度に佐山へ突進したのでは山頂へ行くまでに全滅するだろうと思われたので、私たちは一人パーッと飛び出して伏せると、次がまたパーッと走る――という風に交互に前進する方法をとった。佐山の麓の部落から次々と左右を見合って交互に走り進むと、山頂から手榴弾が投げつけられたり、コロコロと転がされたりして来た。岩を跳ねて下へ下へと転がり落ちる手榴弾は私たちの近くまで来るとダーンと炸裂する。破片は降りしきる雨と競って鉄兜を打った。
私たちが頂上の最初の瘤をとると、さきに負傷された丸尾少尉は傷の癒えぬ手に抜刀して第二の瘤にとりつかれた。これも先ごろ負傷された植竹少尉が包帯姿で部下を引きつれて第三の瘤に突進される。手榴弾は跳ね上って、運動会で紅白にわかれて籠にマリを抛り入れるあの競技のように思われた。
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