2008年01月24日

日米衝突の不可避性

深まりゆく日米の危機1

 今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真はこの本の題名となっているページの開始部分です。
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引用開始
 過去四半世紀に於ける日米抗争の史実並びに支那を舞台とする列強隆替の跡に鑑み、軍備制限の真相に着想すれば、如何に根強く、如何に計画的に米力西漸の歩取りが、除々ながらも圧倒的に押寄せて来るのを気付かずには居られないのである。・・・・
 日本から米国を観て『お前の国は土地も広い資源も無尽蔵だ、生活も豊富で国力生産共に世界一だ、何を苦しんで他人の縄張りを荒らそうとするのか、少しは足ることを知って鷹揚に控えておればいいじゃないか』とかこったところで『俺は幾らでもドルが必要だ、働いて儲けて生活をどこまでも潤沢にするのが俺たちの望みだ。一切の科学も発明も文化もドルがあってこそ増長も受用も出来るのだ。儲けるためには他人の迷惑などは考えている暇はない。衝突は覚悟の前だ。膨脹欲、権勢欲は生活戦線を突破した俺達に当然の付き物ではないか』と啖呵を切らるればそれまでのことである。畢竟両国の国運発展上自然に持上った結果であるから根底が深いのである。
 しかも両国には力の意識が強く働いて居るのである。米国にすれば、自己の抱負を大胆に支那に施すためには日本が当面の障碍物となってそつにの武力が一段の目障りとなるのである。日本にしても、日支共栄共存の経論を布こうと思っても、いつもこれに水をさす米国の態度が厄介千万の邪魔者である。随ってその背後の武力は関心の種とならざるを得ないのである。日本が朝鮮たり支那たりでありとすれば、日米の関係は円満に進んだであろう。然し日本はいつしか極東における最強国となって、その力を自覚するのみならず他をして等しくこれを認識せしめたのである。

 かくて多年親交を続けた日米両国は極東における国際政局の分野に相対的地位を取った。手を執って引っ張り回した子供が何時しか一人前の男となって自己の野心の監視者となり競争相手に立った訳である。最近米国の主要なる外交企画はこの一人前の男子の生活資料を脅かさんとするのみに振り向けられているかのごとき観を呈するのは、また自然の勢いであろう。大人げない仕打ちと云えば云えないこともないのである。
 日本は一度ロシアの南下に対して乾坤一擲の戦いを宣した。その結果は支那の領土を保全し分割の運命を救ったのであるが、その犠牲の大なりしに引換え支那より受けた代償は甚だ僅少なものであった。しかのみならずその時期よりして日本は自然に支那の番兵を買って出なければならなくなったのである。日本は自己のために支那を保全したのか、はた、支那のために支那を保全したのか、世界列強のために支那を保全したのか、そのいずれにあるかはここに明答する限りではないが、兎も角も支那は日本によって今日までの所は保全せられたのである。列国が支那分割に手を控えたのはその近傍に日本があるからである。然もこれに対する支那の感情は必ずしも日本を徳とせざるのみならず、却って日本を憎み、日本を疑い、日本を畏れ、且また日本を侮りつつあるのである。日本は支那のために尽して支那より最も不人望の対象とせられつつあるのである。その一半の責は日本自身の負う所であろうが、他の一半は支那の僻み根性とそれに油を注ぎ込む米国の指金でなくて何であろう。これは少しく独断に過ぐるの言かも知れないが、少なくとも排日の背後には常に米国の魔手が働いて居ることは隠れざる事実である。


 日支の共栄共存は日本の発展にとっても最も大事な仕事である。日本が支那の統一を望み安定を求むるの情は恐らく支那人自身よりも強いかも知れない。支那人は一国として外に権勢欲を充たすべき力を有しないから随って国内に在って各個の権勢利欲に狂奔していつまでも擾乱の域を脱せないのである。日本が善隣の誠意を以て共栄共存の大道を説いても、彼等猜疑嫉視の眼には孤心狼肝と映って却って媚辞諛言の野望の声に聴くのであるから始末が悪いのである。かくては日本も局面の打開に関して大いに考うる所がなければならぬ。須らく先ず当面の荊棘を刈除して相互信頼の径を拓くこそ、日本も立ち支那も免るる唯一の途であり無二の手段であることを強調せねばならぬ。もしこれをしも為す能わざるに至らば何時か西漸の猛威の前に日支共倒れの運命を辿らねばならないであろう。・・・・・
 然るに我国の四境を見渡せば、満目皆荊棘という有様である。折角通じかけた小径は年々雑草によって覆われんとしている。甚だしきに至ってはその荊棘の種を蒔き付けて居る者さえあるのである。 九国条約は我が満蒙の特殊権益を抹削してしまった。四国協定は東洋平和の紐帯となった日英同盟を廃棄せしめた。軍縮条約は日本を低級の比率に押付けて国防自主権を蹂躙せしめた。外に向って充分なる抵抗力を有せざる支那は内において完全なる結合力を欠いて危険は内外両様にみなぎっている。或はその内潰の勢いに乗じて外侵の勢いを誘起しようとしているのである。日本が年々の増殖する人々によってその生存を脅かされている状態は、何処にその解決の途を求めたらよいか。我等の周囲には地広く人稀なる幾多の国はあるが、皆『日本人入るべからず』の高札を掲げて白人の天地としている。残るはただ僅かに南米とアジア大陸あるのみである。小村候が民族集結を説いた大陸経営策は今いかなる状態であるか。鉄道商租の既得権さえも種々の横槍と無知の勇者によって今にこれが実現を見ないではないか。満洲今日の開発は十五億の投資と二十五年の経営によって日本のあげ得た唯一の効績である。この効績と労苦に酬ゆる支那の態度が、あくまで遠交近攻、以夷制夷の没義道を以てし、またそれに付け込む他の貪婪なる国民によってその利益を壟断せられんとすれば、いかに寛容な日本人でも、国際協調などの名の下に黙って泣き寝入りして居られようか。終には自家の生存権擁護の為に剣を按じて立たざるを得ないではないか。・・・・・

 米国がその権勢欲により東亜に最大の関心を払うようになったとて、吾人が彼是れ言うべき筋合いではあるまい。しかしてその権勢欲を遂げんがため日本の膨脹を嫉視し、その進展を阻害し、手を変え品を変え極東問題に容喙して、日本を満蒙より斥け、太平洋の覇権を握って支那を自家薬籠中に丸め込まんとするに至っては、また余りに傍若無人の我儘勝手と言わなければならぬ。自分が伸びんとすれば、他の伸びるのも閑過してこそ、国際協調も生まれ、対等の平和もつなぎ得るのである。自分が伸びんとして他人を屈せしめずんば止まない態度は、既に他に衝突を挑むものである。今更我々はモンロー主義と門戸開放、機会均等の矛盾を憤慨するものではないが、門戸開放、機会均等の仮面を着けてドルの威力を以て支那に黄金のモンロー主義を樹立せんとする狼戻な態度を非難するのである。
 世界平和、人類擁護、国際親善など平和を愛好する日本人にはいつも耳障りよく聞えて、ついその手に乗せられてしまう。・・・・・

 平和の宣伝の陰に剣を磨き、正義の叫びに欺瞞の外交が尻尾を出し、協調の裏面に独善利己の魔手が働きかけることを余りにしばしば見せ付けられては、いかなるお人好しの日本人でも最早悪魔の仮面を見落としはしない。悪魔はその毒牙を隠すに好んで美装を凝らす。怪しいと思いながらも、やんごとなき上臈の酒宴を乱さんことを恐れて馬さえ静かに打たせた維茂の礼譲は、今もなお日本人の血の中に充満しているのである。然し眠りの間にも鬼女の来襲に備えるだけの心がけはこれまたちゃんと伝わっているのである。正義人道の名を以てする場合は日本は喜んでこれに応ずるであろう。然し悪魔の正体を以て日本の喉笛に飛びついて来た場合には、伝家の宝刀は鞘鳴りして悪魔の眉間に切りつけるであろう。
 日米関係は最早言うだけ野暮である。戦前の英独関係とはいささか趣きを異にしているが、いずれ一度は荒療治の手を経なければ収まりの付かぬは同一である。受身に立った大国の英国は兎に角勝ったのである。捨身に立つを余儀なくされる小国の日本も勝たないではおかぬであろう。そは戦争の手段において、また外交の折衝において。
 おもうに今日の日本は、大和民族の信念を試験すべき一大機会である。いやしくも列聖の宏猷を翼賛し奉りて我が帝国の威信を発揚し、国家百年の長計を樹つるはこの機会措いて外にはないのである。われ等は伝来の我が勇猛精進の志望を喚起して、この難局を踏み破らなければならぬ。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争
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