2008年01月21日

決裂に瀕すロンドン会議

軍備制限の真相6

今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真は若槻礼次郎日本全権(wikiより)
wakatsuki.jpg

引用開始
ロンドン海軍会議(1930年1月〜4月)における帝国全権の態度に関する声明書
 日本全権はロンドン海軍会議は永久平和の確立に対する人類一般の切望に基き招請せられたるものと信ず、帝国は人類の幸福を増進しかつ諸国民の財政的負担を軽減するため海軍軍備の全般的縮少の実現に対し全幅の協力をなさんとするの決意を有す。然れども海軍力の相対性に鑑み日本は国の安全を確保するに足る海軍即ち極東方面海洋の安寧は日本の最も重きを置くところなるにより同方面におけるその国防に必要なる勢力を保持せんことを欲す。・・・・・

またこれと同時に米国全権に対し提出した詳細な補助艦の数字は左のごとくである。
一、アメリカが大型巡洋艦十八万トンを持つ場合は次の釣り合いたるを要す。
米国:大型巡洋艦十八万トン、軽巡洋艦十四万七千トン、駆逐艦十五万トン、潜水艦八万二千トン、合計五十五万九千トン
日本:大型巡洋艦十二万六千トン、軽巡洋艦十万トン、駆逐艦九万トン、潜水艦七万八千五百トン、合計三十九万四千五百トン
二、アメリカが大型巡洋艦十五万トンを持つ場合は次の釣り合いたるを要す。
米国:大型巡洋艦十五万トン、軽巡洋艦十八万九千トン、駆逐艦十五万トン、潜水艦八万二千トン、合計五十七万一千トン
日本:大型巡洋艦十万八千四百トン、軽巡洋艦十二万トン、駆逐艦九万トン、潜水艦七万八千五百トン、合計三十九万六千九百トン

かくて我が七割案なるものがいよいよ具体的にその姿を現して来た。
これに続いて仏国も声明書を発表した、その骨子は
『・・・・仏国海軍力は純然たる防禦政策に立脚するものであるから英米が両国の協定を実現するため双方の海軍力を縮少したり増加したりするようにヤキモキしてはいない。前掲の数字(省略)はその国家的必要の単なる表現として認めたものであるから仏国の対英米態度と同一の相互的信頼の精神をもって見てもらいたい』と皮肉や注文を並べた後最後に『政治的解決を促すため五国会議開会式でタルヂュ氏が述べた通り相互安全保障の新たなる案について各国の絶対的所要を相対的所要に下がらせることの出来るものを審議することにはいつでも賛成だ』と声明した。


 これ等の声明により果然会議の空気は白熱を帯び、全権間の交渉論議日を逐うて頻繁を加えた。その間また色々の宣伝やら言説が各地に行われた。ニューヨークのトリビューン紙やワールド紙などは海軍問題解決の一助として『フィリピン中立』を提言したり、英国の言論界は『仏国案を以て軍縮妨害だ』と叫んだり、仏国側も負けてはおらず『文句を言う前に保障条約を作れ』と逆襲したり、日本の七割要求に対し英米側では『譲歩的提案に対して日本は尚も応ぜず』などと逆宣伝をしたり、・・・・・
 この中で最も痛快なのは仏国側の論法である。十三、十四日の二回に亘る英米仏三国全権会議において仏国側は英国側より、仏国の要求トン数は英国の八割三分に当ることを指摘してその引下げ方を要求したのに対して『仏国は英米協定の数字を認める代わりに英米も仏国の数字を認められたい。仏国は英米と戦争することは万々ないから英米が保有巡洋艦を百隻に増加するも仏国はこれに対して一隻も増加することはない。仏国の数字はその国防上の所要から出たもので、もし侵略国に対して相互援助の新保障が与えられればそれに顧みて十万トンでも二十万トンでも保有量を減らしていいが、会議主催国たる英国がフランスの数字引下げを要求する場合、安全保障において一案を有するか』と逆襲するので、英首相も『新保障を与えることは世論が承知せぬ』と言い、米全権スチムソンは上院を楯に『各米国全権は政治問題を議するためロンドンには来ていない』と逃げを張るより仕方がなく、この問題は何等の協調点に到達する見込みもなかった。また仏国の声明は英国の言論界に無理難題として論議されていると仏国側も猛然と左の論法で挑戦している。

『仏国は防禦に必要な兵力を欲しがっているだけだ。他も防禦に必要なだけのものを取ればよい。仏国はそれに対して文句は申さぬ。これ程協調的な態度がまたとあるか。自分の国が金をかけずに海上の威力を維持せんがため他国の安全を犠牲にせよという論法が成立つか。何等の安全保障も与えずして国防の充実を断念せよというのは他国が安直に海上に威張るためで、仏国だけ軍縮をやれと言うに等しい。英国は米国に譲歩させられた怨みを仏国に向って晴らそうとするのか
 ところが、十七日に至って突然仏内閣は既婚婦人の収入に対する所得税額の問題に対し・・・・敗北した結果、タルヂュ内閣はこれを不信任投票と見做して直ちに総辞職を決行、これがためロンドン会議も十九日より二十六日まで一週間の休会を行うの已む無きに至った。・・・・
 マクドナルド首相とフーバー大統領が同時に軍縮精神を高らかに提唱しはじめてから輝かしい平和への希望を抱いて会議の成功を祈った人類は、英国皇帝陛下の玉音によりてこの会議が開かれた時、その希望を一層高く大きくしてこの会議を歓迎したのであるが、開会後一ヶ月を経ても会議はこの人類の希望を満たすべき何ものも成就せず、前途を楽観すべき何等の光も見せないで、会議はあたかも重い荷車の車輪が泥濘に深くめり込んだように歩一歩動きの取れない状態に陥って行った。
引用終わり
posted by 小楠 at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争
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