「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」

ハワイのデイヴィッド・カラカウア王は、あのカメハメハ大王によるハワイ諸島統一によって生まれたハワイ王国の最後の王である。この王が1881年(明治十四)年に世界一周旅行に出かけます。
先ずアメリカに渡ってから次に日本に上陸し、お忍び旅行のつもりが、ハワイの日本領事館からの連絡で、結局国賓待遇で盛大な歓迎を受け、本人も随員もびっくりと言う来日の様子。従者で、この本の著者である国務大臣は幼馴染なので、国王のことも遠慮なくこきおろしているところが面白いですよ。まあ、あまりにもこき下ろしの部分が多いということで、この本は、カラカウア王の没後に出版されました。
この本を執筆したのは、随員としてともに旅をしたアメリカ国籍のウイリアム・N・アームストロングで、彼は当時ハワイ王国の国務大臣です。
なんとも楽しい「カラカウア王のニッポン仰天旅行記」より一部だけ引用して見ましょう。
引用開始
【奇想天外な結婚ばなし】
まさに驚天動地、ロマンチックきわまりないできごとが起きてしまった。われわれ随員はあわてふためき、どうしたらいいのかわからなくて、右往左往してしまった。
なんと、われわれにはこっそりと、天皇(明治)の侍従をつれて、どこかに行方をくらましてしまったのだ、わが国王陛下は。言語道断なエチケット違反だ。王にすっかり信頼されているつもりだったわれわれは、この裏切り行為にかんかんに腹を立てた。
しばしののち帰ってきた王がやっと白状したところによると、なんと、天皇に個人的会見を申し込んだのだと言う。しかも用件を絶対内密にしてくれるよう頼んだとのこと。だが天皇は、「国家的理由により」、外務卿のイノウエ(井上馨)には会見内容を話したそうだし、天皇の侍従がやってきて、「やはり何も知らせないのはまずいから」というわけで、われわれにもおおよそのことを伝えてくれた。しかし詳しい内容というのがわかったのは、結局、旅行を終えてハワイに戻ってからだった。それによると、真相はこうだ。
カラカウア王が、ポリネシア人特有の単純な脳みその中で、いったいどんなことをひそかに考えていたかというと、「ハワイ王家と日本の皇室を縁結びさせたい」、これだったのだ。
王は、ハワイが遠からずアメリカの属国となってしまうのではないかと恐れていて・・・もっともぼんやりとした恐れではあったが・・・それを防ぐための策として、奇想天外なこの案を考えだしたのである。
天皇の縁戚の親王の一人(山階宮定麿王)と、王の姪で王位継承者のカイウラニ姫

を結婚させることはできまいか、そうすれば日本を味方につけて、アメリカに対抗できる。しかし、われわれ随員に話せば大反対されるだろう。それはそうだ。まったくの夢物語でしかない。とにかくそう考えた王は、一人で天皇にこの案をもちかけたのだった。
天皇は上機嫌で王の話に耳を傾けてくれ、態度もきわめて丁重だったそうだが、やはり国際結婚は日本の伝統に反することではあるし、慎重に考えたいと言ったとか。
はたして、われわれが旅を終え、帰国した後、天皇の侍従がわざわざハワイまで内密に来訪し、天皇の親書を王に手渡した。まことに残念だが縁談の件はお受けいたしかねる旨、記してあった。丁寧な文面ではあったが。
日本の伝統うんぬんはともかくとしても、天皇と日本政府首脳は、「ハワイを支配するアメリカ」の機嫌を損じるようなことはしたくなかったろう。
楽しい日本滞在の中、王がいささかはめをはずしたのは、何もこれがはじめてではなかったが、ともあれこの事件以後、われわれ随員はひやひやもので、いっそう王の行動に気をつけるようになった。まかり間違えば国際問題に発展しかねないからだ。
かりに天皇が縁談を承知したとしたら、その結果はどうなっていたろう。ハワイはアメリカではなく日本の属国になっただろう。それこそ、世界の諸大国にとって一大事だったはずだ。
引用終わり。
明治天皇は、返事を保留し、王の離日後すぐに御前会議を開いてこの問題を検討した。一時は、この縁談への賛成意見が大勢を占めたが、天皇は熟慮の結果断ることに決定。理由は、天皇家には国際結婚の前例がないこと。そしてアメリカとの関係悪化を恐れたため。翌年、長崎省吾が勅使としてハワイを訪れ、断りの返事を王に渡した。なお、この縁談は1914年になってからハワイやアメリカでも報道され、作家ジャック・ロンドンが雑誌「コスモポリタン」にこの話を書いたため、センセーションを呼んだという。
どうでしょうか、明治天皇の返事次第で、ひょっとしたらハワイは日本国になっていたかも知れないと思うと、何とも夢のある楽しい気分ですね。
この実話はなかなか面白いでしょ。
今ハワイが日本の一県「ハワイ県」
だったら、国内旅行ですねー。
結婚しておいてくれたらなー(^_^;