2006年07月11日

二十一カ条の要求

 近現代史の復習6
 カテゴリー<近現代史の復習>で、正しい日本の近現代史の一連の流れをまとめておきたいと思います。
 ここでは、「近現代史の必須知識」を参考、引用して、日本人として知っておくべき近現代史を簡潔に掲載していきます。学校では習わなかった(教えられなかった)ような内容も多々あると思いますが、その部分が戦後の日本教育の歪であると理解されれば、反日や左翼の意図が見えてくるのではないでしょうか。

 【要求の背景】
 ロシアの脅威は、日露講和条約を結んだとはいえ依然として消えていません。また1909(明治四十二)年、ノックス米国務長官は「全満洲鉄道の中立化提案」などにより日本の満洲における権益を脅かしました。
 1911(明治四十四)年、辛亥革命により清朝は滅亡し、袁世凱が中華民国の大総統となります。
 日本はこの袁世凱政府に、14カ条の「要求」と7カ条の「希望」、合計21カ条の承諾を迫っていました。袁世凱が英米等にこれを知らせ日本に圧力をかけさせるため、交渉の引き延ばし図りましたが、日本は4ヶ月、25回の交渉の末、「希望」であった第5号以下を削除した上、修正した「16カ条」を最後通牒として袁世凱政府に受諾させ、1915(大正四)年「日華条約」として調印成立しました。
*他の資料によれば、「最後通牒」として欲しいと言ったのは袁世凱の方からで、そのほうが国民の納得を得やすいからと言う理由からでした。
 これについては、K・カール・カワカミ著「シナ大陸の真相」もご覧下さい。

 【要求内容の実態】
 第1号は、既にドイツに与えていた山東省の権益を日本が引き継ぐもの。
第2号の「旅順・大連租借と満鉄等の租借期限延長」は既存の権益の期限延長であり、99年間という期間は、香港等他の西欧列強の租借期限と同じで、当時の租借期限としては他国と同一内容です。「満洲・蒙古での日本人の居住営業・土地所有」については、既に支那は外蒙で同様の特権をロシアに与えています
 第3号の「漢冶萍公司」は、八幡製鉄所と鉄鉱石輸出・石炭輸入の契約を結んでいました。同社は鉱山を担保として日本からの借り入れしており、さらに辛亥革命で革命軍に没収されそうになったため、日本から資金調達し没収を免れようとし、その条件として、日支合弁の仮契約が結ばれていました。
 第4号は支那沿岸を他国に割譲しないことを求めるもの。これに関しては、1900(明治三十三)年、アメリカが福建省沿岸・三沙澳の租借を企てたとき、日本から「アメリカ自身が主張する支那の領土保全に反する」とクレームされ断念した経緯があります。

 【「二十一カ条の要求」に対する対応】
 「二十一カ条の要求」は、日本の支那侵略のシンボルとされていますが、その内容は、それ以前に欧米列強が持っていた権益と「同程度」かむしろ「温和」なものでした。日本のみが不当な要求をしたというのは当たりません。

☆袁世凱と対立し日本に亡命していた孫文が、革命支援を得るため利権譲渡の密約「日中盟約」を結んだ。「二十一カ条の要求」は、鉱山・鉄道などに外資を導入する場合は日本と協議する、軍と政府に外国人を招聘する場合は日本人を優先するなど、この孫文の日中盟約案を原案として作成されました。

袁世凱はこの内容を著しく歪曲誇張して内外に宣伝しました。「二十一カ条の要求」という呼称自体、誇大宣伝のため創作したものです。
「南満洲の警察と行政権を日本に譲渡」「中国陸海軍は必ず日本人を教官とする」「中国の学校では必ず日本語を教授すべし」「中国に内乱がある場合には日本に武力援助を求める」「中国の石油特権を譲与する」「中国全部を開放し日本人に自由に営業させる」
 以上のように、支那側が勝手に内容を偽って宣伝した。

≪反日プロパガンダ≫
 このような誇張・虚偽による宣伝活動はその後も続き、常に反日・侮日により国民の目を外に、それも特に日本に向けようとしました。それは現在でも少しも変わっていません。
 王毅大使が「1985」(昭和六十)年に、首相・官房長官・外相は靖国神社を参拝しないという紳士協定を交わした」と発言しましたが(日本政府は否定、抗議)、現代においてもこのような捏造した発言を平気でするのですから、「二十一カ条の要求」を歪曲・捏造して誇大宣伝するくらいは朝飯前だったでしょう。
 日本は現在と同じように相手を刺激しないようにと「不拡大方針」を取り続け、そのために侮られて日本居留民などが虐殺されるといったことがしばしば起こりました。

☆袁世凱政府は日華条約調印直後に「日本人に土地を貸した者は裁判なしに死刑にする」という条例を交付します。これは国際条約調印と同時に、法令で条約の履行を妨害するという背信行為です。

☆アメリカは、この「日華条約」を支那の「領土保全・門戸開放に反するので承認しない」と通告してきました。いわゆる「不承認主義」で、その後、日本のあらゆる政策・行動に「不承認」を叫び続けます。

☆第一次世界大戦後のベルサイユ会議で、山東省の旧ドイツ権益を日本へ譲渡することには、アメリカは反対したが、イギリス・フランスは賛成しました。

☆日本が旧ドイツの権益を引き継ぐことが決定すると、北京の学生が「五・四運動」とよばれた抗日運動を起こします。

ワシントン会議の結果1922(大正十一)年、日本は山東省の権益を返還し、満蒙での鉄道に関する優先権を放棄、第5号「希望条項」も全面撤回している。したがって残存しているのは10カ条に縮小されました。

☆イギリスは「アヘン戦争」の結果、南京条約で香港を99年間租借したが、その後日本から山東省が返還されても租借は続き、1997(平成九)年の租借期限にようやく返還しました。
ポルトガルの租借地マカオも同様で、1999(平成十一)年に返還されました。

 当時アメリカは、満洲の権益に食い込もうと、執拗に迫ってきます。ロシアには許すことを日本には許さないなど、ここにも人種差別が表れているように思います。
 つまりアメリカは、根底において、アングロ・サクソン世界制覇の旧秩序の障害となる動きには徹底して邪魔をするのです。
 満洲は日本にとっては死活問題ですが、広大な領土を持つアメリカにとってはただ利益の上にも利益を求める利己主義でしかないと考えるしかありません。
posted by 小楠 at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 近現代史の復習
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