2006年07月05日

列強のアジア進出

 近現代史の復習1
 カテゴリー<近現代史の復習>で、正しい日本の近現代史の一連の流れをまとめておきたいと思います。
 ここでは、「近現代史の必須知識」を参考、引用して、日本人として知っておくべき近現代史を簡潔に掲載していきます。学校では習わなかった(教えられなかった)ような内容も多々あると思いますが、その部分が戦後の日本教育の歪であると理解されれば、反日や左翼の意図が見えてくるのではないでしょうか。

 【外国の開国要求】
 ペリー来航(1853)よりかなり前から、日本近海には開港を求める外国船が頻繁にやって来ています。
 1779年にはロシア船が蝦夷に来て、松前藩に通商を要求。
 1792年にはロシア使節ラクスマンが根室に来航して通商を請いますが、幕府は拒絶。
 1796年にはイギリス船が室蘭に来航。1811年には国後に来たロシア軍艦長ゴローニンが捕らえられ、逆に翌年には高田屋嘉兵衛がロシアに捕らえられました。
 1837年にはアメリカ船モリソン号が漂流民を伴って浦賀に入港しましたが、1825年に発布された「異国船打払令」によって撃退されました。

 【アヘン戦争】
 イギリスは清国から茶を輸入していましたが、その支払いに大量の銀が流出するため、その防御策として、インドで作らせたアヘンを清国に輸出していました
 清国がこのアヘンの輸入を禁止したため、イギリスが軍艦を派遣して始まったのが1840〜42年のアヘン戦争です。清は南京条約により香港の割譲、広東の開港などを余儀なくされ、半植民地化されていきます。
 このアヘン戦争の結果は日本にとって大きな衝撃でした。時の老中水野忠邦が「アヘン戦争は外国の話しだが日本の戒めにしなければならない。そのためには改革を厳格に行い、国内政治を立て直さなければならない」として取り組んだ天保の改革(1841〜43)にはこの戦争の影響があらわれています。
 アヘン戦争で清国が敗れたことは日本の対外認識を大きく改めさせました。その13年後(1853)にペリーが来航、その15年後(1868)に明治維新が断行されました。
 【欧米によるアジアの植民地化】
 19世紀前半には、アジアのほとんどの国が欧米列強の植民地となり、かろうじて日本とシャム(タイ)だけがそれを免れていました。タイは英仏の緩衝地帯として免れていたと言えます。当時の列強の勢力は、
 ≪オランダ≫ 1602年に東インド会社を設立、インドネシアを植民地支配した。
 ≪イギリス≫
 1842年の南京条約で香港を獲得、1867年シンガポールを植民地化。インドではセポイの反乱(1857)により、ムガール帝国が滅亡した。これにより東インド会社は解散し、インドはイギリスの直接統治領となった。1877年にはイギリスの女王がインド皇帝を兼ね植民地化が完成し、1886年にはビルマ(現ミャンマー)を英領インドに編入、1895年、マレーシア連合州を前身とする英領マラヤ連邦が成立した。
 ≪フランス≫
 1863年カンボジアを保護領とし、1887年に現在のベトナム、カンボジアをまとめて仏領インドシナとし、1899年にはこれにラオスを編入した。
 ≪ロシア≫
 1858年、アイグン条約により清国から黒竜江以北を割譲。1860年には北京条約で沿海州を割譲、ウラジオストク港を建設。1881年にはイリ条約により新疆の清国との国境を有利に画定。
 ≪アメリカ≫
 1803年、フランスからルイジアナを買収、1819年、スペインからフロリダを買収、1845年テキサス、1846年オレゴンをそれぞれ併合。1848年、アメリカ・メキシコ戦争に勝ってカリフォルニアを獲得、さらに1867年、ロシアからアラスカを購入した。
こうして太平洋岸に達すると、今度はアジアに目を向け1853年に、日本に開国と通商を求める大統領親書を携え、東インド艦隊を率いて日本にやってきたのがペリーです。
 1861〜65年の南北戦争時期、領土拡張は一時休止するが、その後1898年ハワイを併合、同年スペインとの米西戦争勝利でキューバを保護国としプエルトリコを獲得、さらにグアム、フィリピンを獲得した。
 南北戦争によってアジア進出が遅れ、清国がすでに列強によって分割された後であったため、そこに割り込もうとして主張したのが、1899年、ジョン・ヘイの「門戸開放宣言」です。

 他のアジア諸国が欧米列強に拒絶反応を示したのに対し、日本はその知識や技術を学び自分のものとしてしまった。これが明治維新の世界的意義です。
posted by 小楠 at 07:14| Comment(3) | TrackBack(0) | 近現代史の復習
この記事へのコメント
当時の日本の為政者が現代の如く間抜けな犬程度だったらと思うと背筋がぞっとしました。欧米列強の毒牙から日本だけが免れたのは大和民族の誇りがそうさせたんでしょうね、きっと。現代日本人にも民族の誇りはとても大切だと思います。国家というものはドブのボウフラの如く自然に湧いて来たんではないことを青少年に再教育する必要が有ります。自分たちの手で骨身を削って勝ち取った日本国家ではないから、国家・国歌・国旗の有り難さが解らないんでしょうね。お馬鹿さんとしか形容のしようがありません。
日本はこの地球上で類稀な歴史の長い国です。大事にしなければいけないと思います。2000年以上も継続している国は、今思いついた国ではエチオピアくらいなもんでしょうか。あとは出来立てのホヤホヤばっかりですね。中禍畜民共和国なんてたったの60年足らずです。下種な北鮮にまでに舐められるようになったなんて泪が出て停まりませんよ、ケイさんは。失礼しました。
Posted by ケイさん語録 at 2006年07月05日 18:29
日本は開国のずっと以前から国家としての体をなしていましたから、欧米もなかなか植民地にはできなかった点もあるでしょうね。男女の識字率などは彼らよりずっと高水準で驚いたようです。
世界でも稀な一貫した歴史を持つ国は、国民以上に外国からその価値が認められてもいますね。コメントの心情は本当によく解りました。
Posted by 小楠 at 2006年07月05日 21:48
>世界でも稀な一貫した歴史を持つ国は、国民以上に外国からその価値が認められてもいますね。
そうなんですよね、これが大事なんですよね。日本の青少年はこのことに気が付いてそうなった理由を理解してくれたのなら自ずと民族の誇りが生まれてくるんですが。それにしても"歴史の長さ"というものは不可侵なんですね。禽獣の欧米人でも日本を食いちぎることが出来ない何かが働くんですね。あの暗黒大陸でエチオピアだけ?が植民地化されなかった理由も同じなのかしら。
こういう歴史を教えられる教職が日本には絶滅したんでしょうか。または日教組に故意に歪められて去勢されているのかも。悲しいことです。「教職員」が「会社員」になっちゃったのが諸悪の根源ではないかと思います。
Posted by ケイさん語録 at 2006年07月06日 11:33
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