2006年07月04日

リリー大使と天安門事件2

 「チャイナハンズ」 ジェームズ・R・リリー著
 著者はCIA(米中央情報局)工作員を振り出しに、最後に駐中国大使として外交官のキャリアを登りつめるまで、日本、台湾、香港、フィリピン、カンボジア、ラオス、タイ、韓国、中国など十以上の国・地域を舞台に活躍した。

 引用開始
 方励之の米国大使館への逃げ込み事件はスパイ小説を地で行く展開で、方自身にとっても危うい綱渡りだった。六月五日、方励之夫妻は米国大使館に出向き、庇護を求めた。彼は中国政府のブラックリストのトップに載っており、マッキニー・ラッセルと副大使代行のレイ・バーガートに安全が脅かされていると訴えた。二人の外交官は方夫妻と三時間にわたって協議する中で、差し迫った生命の危険がなければ、政治亡命は認められないので、亡命申請者は自主的に大使館から退去し、自分で他の手段を探さなければならない、とする国務省のガイドラインを説明した。方励之はそのとおりにした。
 方とその家族はとりあえず、米国人ジャーナリストが使っていた建国飯店の一室に身を隠した。ラッセルは部屋のナンバーを確認した後、ワシントンにそれまでの経緯を報告した。数時間後に国務省中国デスクの高官が緊急電文を打ち返してきた。その内容は「方とその家族を至急、大使館内に保護せよ」だった。
・・・略・・・
 天安門事件後の数週間、私たちが目にし、耳にしたものは、中国指導部とその巨大な宣伝機関による歴史の書き換え作業だった。記者会見や統制メディアで表明された政府の公式見解は、軍の方が民衆より多くの被害を受けたというものだった。それは、人民解放軍の火力、兵力、装甲車両が広場にいた無防備な人々を圧倒していた事実からしても怪しい主張だった。「反革命暴乱」を平定した軍の実力行使を賛美するため、市内のすべての学校で生徒たちが兵士たちを褒め称える手紙を書いて、送るように命じられた。当局は生徒の親たちに「英雄的な部隊」のために贈り物を買うように促した。
・・・略・・・
 北京を離れた中国人の大学教授が六月中旬に、元北京在住の米国人同僚に送った手紙に最も辛辣に反映されていた。「中国では、無知であれば、幸福に生きることができる。しかし、事実を知れば知るほど、痛みを感じる。私たちは息苦しい。この手紙を書きながら、私は涙を流している。虐殺事件後の北京の天気は曇りか雨の日ばかりだ。天も悲しんでいるようだ」
 中国全土で展開された反政府分子の摘発と、神経を麻痺させる容赦なき宣伝キャンペーンによって、中国の民衆は恐怖に支配されていた。途切れることのない宣伝は、天安門虐殺事件の記録を曖昧なものにする狙いがあったが、北京では特に、事件は市民の心に深く刻み込まれていた。中国人が外国メディアや北京在住の外国人とほとんど接触できなかった文革の混乱期とは異なり、一九八九年の北京市民は、事件を目撃した外国人に連帯感を抱いていた。「米国が煽るブルジョア自由主義」とか「米国が後押しする反革命分子」という中国当局の非難は、虚偽の観念を増幅させることにあった。しかし、天安門広場での体験を共有したことが、外国人と中国人のあいだに絆を生んだと私は信じている。
・・・略・・・
 中国市民と在留米国人の連帯感は、天安門事件の遺産である。 武力鎮圧を体験した者は、中国人であれ、外国人であれ、事件を簡単に忘れることはない。「六・四」事件が歴史の忘却の淵に沈んでしまうことはないだろう」
 ・・・略・・・
 
 中国側は、私たちが天安門事件の陰の首謀者と見なす方を匿ったことで、中国の主権を侵害したことを認めるように迫った。そうすることは、米国が中国の内政に干渉したことを事実上、認めることになる。私は、政治亡命には外交上の原則があることを強調し、米国大使館構内は米国固有の領土であると指摘した。さらに方励之は暴力を鼓吹する過激派ではなく、インドのガンディーのような非暴力主義者だと付け加えた。私は、方励之の平和的なアプローチを論述した中国語の書籍を交渉相手に示した。
 ときに私は、家庭不和の仲裁約を演じているような気持ちになった。私は中国側とのやりとりの結果を方に報告し、次の交渉でこちら側の主張に方の意見を盛り込むという具合だった。中国側はと言えば、国外に出た方が中国を批判し、反中国勢力の先頭に立つことを懸念していた。
・・・略・・・
 「方の反中国活動を封じるのは米国の責任だ」と彼らは私に説教した。私は米国憲法修正第一条を引き合いに出し、「米国に来ることになれば、彼の言動を統制することは出来ない。米国政府は彼の政治活動を支持しないとだけは言える」と反論した。
 中国側はさらに、方が中国政府を批判しないとする本人の署名付の誓約書を要求した。これから先は言葉の綾の問題になってくる。方は北京の指導部を批判したり、あるいは中国政府の利益に反する行動の自由を制限するいかなる文書にも決して署名しないと私に語っていた。私たちは最終的に文書の中で「中国」という一般的な言葉を使うことで折り合った。この言葉を選んだことで、方は行動や言論の自由を制限されることなしに、国外に出て自由の身になることが可能になった。方励之は「私は中国の利益に反することは一切行わないが、中国を支配しているクズ野郎どもは必ず批判する」と私に断言した。

・・・略・・・
 後年、私は中国を訪問する前に重要な問題について、じっくりと事前説明を受けた四つ星の将軍たちに会ったことがある。しかし、彼らは短期間の視察の後、中国が完全にわかったような気持ちになって、他人の意見を聞くことをやめてしまった。・・・・将軍たちとなると危険である。
 中国を観察する場合、ロマンティシズムと感情移入を極力排除すべきだというのが私の持論だ。・・・・私の「職業的な」アプローチは、中国という国とその意図を一定の距離を置いて観察することだ。
 私が「客観的」アプローチと呼ぶ中国分析は、外国人が中国の歴史に果たした役割について罪の意識を持たないことでもある。列強が中国に加えた悪行について、一部の米国人が抱く罪悪コンプレックスを利用することに中国人は長けているのだ。「私たちは弱い。みなさんが原因だ。だから、あなたたちは私たちに借りがあるのだ。何かで埋め合わせをしてほしい」と言う中国人がいる。私は、その手に乗ったことがない。私は、少年時代の体験から、中国人とは概して、外国人に酷い目にあった体験から傷つきやすく、ちょっとしたことで激高する性格を持ち、国際社会に訴える能力があり、人心操縦術が得意な人々であると考えるようになっている。
・・・略・・・
 小うるさい記者や気難しい役人が異論のある問題や感情的なテーマを取り上げて質問をしてくるとき、私はこう答えることにしていた。「この問題には三つの見方があります。私の見方、あなたの見方、そして事実関係です」。それは論議からできるだけ主観を排除しようとする私の試みだった。
・・・略・・・
引用終わり

 平気で歴史の書き換えを行う中狂が、我が国の歴史まで書き換えを言ってきます。またこれに乗ってしまう輩が日本にいることが大きな問題でしょう。
 
posted by 小楠 at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の中国
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/931873
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック