著者はCIA(米中央情報局)工作員を振り出しに、最後に駐中国大使として外交官のキャリアを登りつめるまで、日本、台湾、香港、フィリピン、カンボジア、ラオス、タイ、韓国、中国など十以上の国・地域を舞台に活躍した。
この本の中から、リリー氏が中国大使として赴任し、天安門事件に遭遇した時の部分を紹介してみましょう。

引用開始
ジム・ハスキーは、アジア研究で博士号を取り、中国語をマスターしたのち、三十九歳で外交畑に転じたという大使館員きっての変わり種だった。
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ハスキーは数週間前から天安門広場の常連となっていた。政治部員のドン・ヤマモトと組んで深夜零時から午前六時の警戒シフトを担当した。
・・・略・・・
日付が六月三日から四日に切り替わる真夜中、長安街の西方を眺めていたハスキーは、立ち上る煙の中を、バリケードを突破して向かってくる戦車を目撃した。高まる銃声が響く方向をめざして民衆が突入する陰鬱なシーンが夜明けまで何度も繰り返された。まるで人々が自らの意志の力で銃と戦車を圧倒できると信じているかのようだった。あるいは彼らは、こみ上げる怒りで危険に盲目になっていたのかもしれない。
戦車と装甲車の一隊がヘッドライトを闇に突き刺すように突っ込んできて、広場での路上に築き上げられたバリケードを次々と粉砕した。ハスキーは、近くにいた人々が倒れるのを見て、一瞬、なぜ彼らが路上の石につまずくのかと思ったが、彼らが再び立ち上がろうとしないので、弾丸に当たって倒れたのだと悟った。ハスキーは群集とともに広場の東側に避難した。
ハスキーは隣の若者と、解放軍が実弾発砲をしていることについて言葉を交わした。さらに話そうとして彼のほうに向き直って見ると、若者の額にぽっかりと赤い穴が開き、弾丸が頭部を貫通して、彼は路面に倒れた。ハスキーは長安街の街路樹に身を隠し、呼吸を整えた。戦車と装甲車の隊列が広場の北西の端で停止するのが見えた。
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ジム・ハスキーは午前二時半まで広場にとどまり、一連の凄惨な事態を目撃することになった。午前二時頃、北京飯店近くの長安街の北東の角で、民衆は百五十ヤードの距離から、機関銃の銃座を積んだジープのバックアップを受けて横一列に並んだ臨戦態勢の兵士に向かってにじり寄った。
ハスキーは「自国民を撃つな」「中国人は中国人を殺すな」と叫びながら前進する人の波を見た。市民の中には、兵士たちに武器を放棄するように説得しようとする者もいた。しかし、無防備な人々に向かって機関銃が火を噴き、四十五秒もの連続掃射で無差別殺戮が繰り広げられた。この後の数時間で同じような凄惨な光景が少なくとも四回繰り返された。人々はいったん後退した後、倒れた者を助け起すために再び同じ場所に戻った。 無差別な殺傷に怒った民衆は、無謀といえるほど大胆になり、兵士に呪いの声を投げつけながら詰め寄ったが、またしても致命的な一斉射撃を浴びせられたのだった。
午前二時半頃、ハスキーは北京飯店にたどり着き、ドアを叩いてボーイに中に入れてもらった。彼は大使館が確保していた十七階の拠点から、レイ・バーグハート副大使代行とともに人民解放軍が身に寸鉄も帯びない民衆に猛撃を加える光景を見下ろした。銃声とサイレンの音が途切れると民衆は自転車で引くリヤカーに死傷者を乗せて運び去った。
一方、ホテルから四分の一マイルほど離れた広場の中心にある人民英雄記念碑の周りに集まった学生らに対して、当局はより穏やかな方法を使っていた。
午前三時頃になると学生指導者と軍当局は交渉に入り、午前四時までに記念碑周辺に残っている中核グループの数は二、三千人ほどに減っていた。
午前四時ちょうどに広場を照らしていた照明が一斉に消え、占拠者のあいだにパニックが走った。広場からの退去を命じるアナウンスが再び行われ、学生たちは発声投票で自らの退去の意思を確認した。三十分後に再び照明が灯されると、着剣銃を構えた武装兵士が横一列に並んで広場を横切り、学生たちを囲い込んだ。 ほぼ同時に戦車と装甲車が占拠者たちのテント村に襲いかかり、すべてを押しつぶした。民主の女神は軍用車両によって押し倒された。騒音と銃声と絶叫が一帯を覆った。午前五時頃、広場に残っていた学生と市民は列を作り、戦車や装甲車のあいだを縫って、広場の南口である前門に向かった。
ジム・ハスキーの広場からの目撃報告は、六月三日から四日にかけて人民解放軍が天安門広場周辺で行った虐殺行為を確証する基礎となった。
事件後にブッシュ大統領に宛てた報告の中で私はハスキーの立派な任務遂行を褒め称えた。「彼の報告は正確、迅速、適切であり、当該大使館の報告の主要部分を占めた。ジム・ハスキーは中国語に精通し、民衆と心を交わすことができる英雄だった」・・・略・・・
病院に出向いたジム・ハスキーから初めての信頼できる死傷者の数が伝えられたが、それは驚愕すべき内容だった。北京全体では少なくとも死者数百、負傷者数千という規模になることを示していた。
引用終わり。
これは国家を守るというのではなく、共産党独裁を守るために行われた自国民の虐殺です。共産党はその成立過程から、自国民の反体制の大量虐殺は当たり前のことでした。
結局,天安門広場内という極々狭い領域内での虐殺はなかっただけということですね.
それをもって,媚中派は天安門事件での虐殺はなかったかの印象を持たせる喧伝をしていますからね,困ったものです.
あれを無かったことにしようとする神経は大したものですねー。世界に放映されていたのに。隠し事が一杯あるのは取りも直さず悪事が一杯ということを言っているのと同じことですがねー。
カピタンさん
隠蔽工作はすればするほど知りたくなる人間の本性を分かっていないのでしょう。そしてバレた時にはよけいに反動が強いでしょうね。
今も毎日のように暴動で、官憲による自国民の殺害が行われているようで、共産主義者は殺人が重要な仕事ですか。
共産党は何でもありですからね、嘘も隠蔽も歪曲も平気でやれるようでなければ、立派な共産党員ではないのでしょう。
それと、虐殺も。