最後に少し遡って、1893年[明治二十六年]10月2日から始まるこの日記の中から、1900年の義和団事件の頃の彼女の日記を見てみましょう。
(注:「外国の悪魔を打倒せよ」という貼り紙が既に北京中に貼られていた。北京政府は近年急速にその勢力を増してきた排外的集団「義和団」と手を結び、外国人保護を主張する劉坤一、張之洞、李鴻章らの主張を抑えて西太后を動かし、1900年6月21日に列強に宣戦を布告させて、官軍と義和団は北京、天津を攻撃した。このため北京では、英米仏独その他各国の外交団と外国人居留者が五十五日間の籠城を余儀なくされたが、日本をはじめ各国の連合軍が、官軍と義和団を破り、8月14日に北京に入城し、各国の公使館員その他を救出した。北清事変ともいう。)

引用開始
1900年[明治三十三年]5月25日
公使館の書記官メイ氏が北京から戻ってきた。彼の話によると現地は非常に不穏な状態にあるという。
1900年[明治三十三年]6月14日
清国における事態はますます深刻になってきた。英国軍、ロシア軍およびフランス軍は、英国の提督サー・エドワード・シーモアの指揮の下に海兵隊を上陸させ、北京の公使館保護のため進軍している。技術者の一行が義和団によって殺害されたという噂があり、死者の中に四人のベルギー人がいるという。今や清国政府が暴徒に味方しているのは間違いないようだ。
1900年[明治三十三年]6月16日
北京の外交団の運命について重大な懸念がある。サー・E・シーモアの1400名から成る小部隊は、北京と天津の中間で、連絡を遮断されている。義和団が片側に、正規軍がもう一方の側にいて、十日以来北京から何のニュースもない。公使館が焼け落ちて、住人は命からがら逃げ出したというような、あらゆる種類の無責任な噂が飛び交っているが、信頼すべきニュースは入手できない。・・・・
1900年[明治三十三年]6月17日
ミサに行って、北京に閉じ込められている可哀そうな人たちのために、心を籠めてお祈りをした。北京は包囲状態で、いまだに何のニュースもない。各国の戦艦が救援に向かっているが、河を遡れるのは、喫水の浅い小型砲艦だけである。北京でドイツ公使が殺されたという電報が届いたが、それは信用できないし、他の恐ろしい色々な噂、例えば公使館が焼かれたという噂や、北京にいる外国の居住者が殺されたという噂も同様に信用ができない。
1900年[明治三十三年]6月18日
アルベールと一緒に葉山のキー夫妻の家で一日を過ごすために出かけた。キー氏はアメリカ公使館付の海軍武官である。
キー夫人の妹、コンディット・スミス嬢は私たちの親友だが、数週間前に北京へ遊覧旅行のため出かけて、そこのアメリカ公使館に閉じ込められている。キー夫人は明らかに妹が恐ろしい危険に曝されていることにまだ気がついていない。コンディット・スミス嬢は北京のアメリカ公使館一等書記官の妻、スクワイアズ夫人と一緒に北京から七マイル離れた避暑地西山にいたのだが、そこから三マイルしか離れていない隣村は完全に焼かれてしまった。二人の婦人は真夜中に起されて、北京から護送のため派遣されたコサック兵に守られて、命がけで避難したのである。翌朝、彼女たちが泊まっていた家と英国公使館の夏の別荘は、共に義和団によって焼打ちされた。この二人の無力な婦人たちを襲ったかも知れない運命のことを考えると、身の毛のよだつ思いがする。
1900年[明治三十三年]6月19日
当地における不安はますます募り、気違いじみたものになりつつある。
遂に日本は大量の援軍を送ることに決定した。清国軍が何の警告もせずに、大沽の砲台から軍艦に砲撃を開始したというニュースが入った。しかしそこの砲台は結局連合軍が占領した。ロシア軍が一番苦戦したが、清国兵四百人を殺害した。英国の砲艦が一隻と、同じくドイツの砲艦一隻が沈没したという噂がある。
大沽の砲台に最初に突入したのは日本軍である。それは日本軍と英国軍との先陣争いであった。日本の服部大佐は砲台攻撃に際しクラドック大佐を勇敢に補佐したが、勝利の瞬間に戦死した。(日本兵の先頭は服部雄吉中佐で、敵の堡塁に登り、英艦あらクリティー号艦長クラドック大佐の手を執らんとしたとき、敵弾に当って即死した)
1900年[明治三十三年]6月20日
北京あるいはシーモアの軍隊についてまだ何も情報がない。一体彼らに何が起こっているのか全く不可解である。神のみぞ知る。逃げのびた技術者に関する詳細が新聞にのっているが、そのうち数人はベルギー人で、殺された者が何人かいる。四人だと思われる。その他の者は最終的に救助されたが、負傷がひどく、手足を切断されている。三十人からなるこの一行には多数の婦人も含まれていたが、それに対して義和団の人数は四千人にも達した。
1900年[明治三十三年]6月22日
英国公使館のホワイトヘッド氏を通じて恐ろしいニュースを聞いた。彼は大沽の上級海軍士官から電報を受け取った。それによると清国北部全体が武装状態になり、天津を発した先遣部隊は分断された。シーモア提督についてのニュースはなく、同じ北京にいる不運な人たちの運命についても何もニュースがない。アルベールは公使館で午後四時に外交団代表全員の会議を開いた。・・・
引用終わり。
義和団事件も外国居留民を守るはずの当時の清国が、義和団に協力して排外暴動を助長したため、北京はじめ各所での治安は全く無いに等しい状態で、各国は自国の軍隊に頼るしかない状態におかれました。
中国は伝統的に条約違反は平気ですね、彼の国相手には約束事などは全く役に立たないことを、今中国に進出している企業は分かっているのでしょうか。
数年前から始まった日本企業の支那進出で多くの「貴重」な多くの先端技術が行ってしまいました。その多くは商売に慣れない地方の技術畑の叔父さんたちだったからたまりません。あっという間に騙されて脛毛までむしられて撤退した中小の企業が無数にあると聞きました。その技術を盗用されて、いま支那は世界の貧乏国へ突撃しています。日本政府の良きアドヴァイスが無かったことや日本人の真面目さが禍した一件ですね。もっと支那人と支那の歴史を研究しなければいけないと思います。私も頑張っているところです。
あっ、そうでしたか、オン・デマンドTVにあれば見てみたいですねー。
他にも「上海特急」とかも中国での事件がらみの映画らしいですね。