2007年12月29日

日本移民の排斥(下)

日米抗争の史実5

 今回引用している書籍は、昭和七年三月に発行され、同年四月には五十八版を重ねた、海軍少将匝瑳胤次著「深まりゆく日米の危機」です。昭和七年頃までの米国の動きから、当時の日本と日本人が米国に対してどのような感情をもってどのような状勢判断をしていたかを知る資料になるものと思います。
写真は日比谷公園のポーツマス講和反対集会
hibiya.jpg

引用開始
 明治三十八年五月サンフランシスコに於て、市長シュミッツが公然日本人排斥協会を組織してから、米国に於ける排日思想は当初西部の一地方的労働問題に過ぎなかったのであるが、日本の満洲経営と米国の東洋政策とが交錯して、漸次全国的に瀰漫し、爾来四半世紀に亘って幾たびか日米外交の危機をもたらした。その間流言蜚語は絶えず流布し、『日本は台湾と一衣帯水のフィリピン群島を奪おうとする意志がある』とか『満州の戦場から引揚げた日本の装丁が争って渡米し、白人労働者の職業を蚕食しつつあり、今に於て何とかせなければ加州否ロッキー山脈以西は忽ちにして日本に併合される』などと狂気じみた怒号を始めたこともある。或は『ハワイは有事の日に於て米人のものではない、多数の日本移民は軍隊教養の済んだものである』『日米戦争が起れば歴戦の日本軍隊は忽ち無防御の米国太平洋岸地方を占領すること容易である』等の一種恐日的宣伝が盛んに流布され、東洋知識に比較的暗愚なる米人に異常のセンセーションを与えた。
 
 ホーマー・リーの『盲蛇』ヘクトル・バイウォターの『日米戦争』等の著書は更に薪に油を注ぎ米人対日憎悪の感情を煽った。然し是等は単に思想的方面に過ぎないが、其の真の利害関係に立って考えれば、米国の東洋貿易の増進、資本団の支那投資企業、支那に於ける米国政治的地歩の推進等は、門戸開放、機会均等主義と相俟って、日本の発展並びに対支政策と競争衝突の必然的経路に向かい合ったのであるから、そこに疑懼、憎悪の念を生じせしめたのもまた自然の勢いであった。かくの如く感情の変化が現れて行く際に、生憎支那人の日本に対する感情もまた漸く一変したのである。
 元来日本は北清事変以来清国のために尽したことは少なくないのである。殊に日露戦争の如きは、日本が支那に代わってその領土保全のために戦ったものであって、支那が今日尚満洲を保有し、且つ該戦役後に於て著しく列強の圧迫を免れ得たのは、全く同戦役の賜物であったにも拘らず、彼らは却って日本の行動を非難し、日本の野心を訴え、新米制日の政策を採って努めて日本を不利の地位に置かんとするようになった。

 これに在東洋外人の排日宣伝が加わり、事情に疎き本国米人の反感をそそったことは蓋し少なからざるものがあった。これらの傾向は満州に関する幾多の争議と日米移民問題に関連して、漸次その根底を深くしていったのである。
 彼の学童問題の紛糾した際も、彼らは合法的手段を待つまでもなく、1907年5月にサンフランシスコ在留日本人は街路に於て種々の暴行を加えられ、日本人経営の商店に対してボイコットをやって其の営業を妨害した。まるで支那人をそっちのけのモップ行動であった。・・・
 大統領ルーズベルト(セオドア)は国務省内に東洋局を新設して東洋方面の事務を分掌させて居ったのであるが、終に一大艦隊を太平洋に廻航せしむるようになった。この艦隊は戦艦十六隻、駆逐艦六隻、運送船二隻、修理船一隻より成る厖大な艦隊であり、先ず大西洋岸を出発して南米マゼラン海峡を経、北上サンフランシスコに廻航し後日本フィリピン支那を訪問すると云う計画であった。・・・
 同艦隊の出発に当り、大統領ルーズベルトは『我が艦隊の廻航目的は、我が海軍の威力を列国に宣伝するにある。今日の我が海軍は、兵力を二分して、両洋艦隊が戦時に急速な合同を行うことが出来ないほど、互いに隔離することは許されない。それは海軍の大拡張が行われてからのことである。然しながら太平洋岸の長さは大西洋に少しも劣るものではないから、我が海軍はパナマ運河の開通するまで、毎年又は隔年に太平洋へ大艦隊を派遣しなければならぬ。いわんや長途の航海に於て戦時に起こるべき状況の下に演習を行うことは、艦隊の戦闘力を増進する唯一の途である』と豪語した。・・・・

 当時移民問題は一段落着いたが、満洲鉄道問題で日米互いに睨み合っていた時であるから、日米衝突の風説に危殆を抱いて、同艦隊中には逃亡兵が続出し、これが補充に多大な苦心を払ったような喜劇もあった。・・・
 桂内閣に代わった西園寺内閣は、これを好機として、1908年(明治四十一年)三月駐米大使高平小五郎に命じて国務卿ルートに宛て、米国艦隊の日本訪問を乞わしめた。・・・
 かくて米国艦隊はマニラより北上して十月十八日横浜に到着した。・・・
 この米国艦隊の訪日は、ホプソン、ミラード等の一部政客により日米衝突の危険を煽動せられて居った米人に、我が国に於ける未曾有の熱誠なる歓迎によって日本の平和的意識を諒解せしめて、両国感情の融和に絶好の機会を与えたのであった。またこの機会に於て重要なる日米協商の覚書が交換された。・・・
 然しこれを以て日本外交の成功と認むる訳ではない。寧ろジョン・ヘイの宣言を裏書して米国をして益々太平洋方面に発言の自由を与えたものとなった。されば米国民主党の連中は共和党が上院の批准権の届かぬ覚書によって、かかる政策を樹立したことを攻撃したが、一般国民は協約そのものに反対せざるのみか、却って米国の太平洋に於ける発展なりとして非常に喜んだのである。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の戦争
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