李志綏は1920年生まれ。1954年より76年9月まで毛沢東の侍医兼医療班長をつとめ、毛沢東の最後を看取った方です。
この本は、最近出版されたユン・チアンの「マオ」より十年くらい前に邦訳されていますが、「マオ」の内容と非常に通じるものがあります。
共産党の歴史は、昨日の同志は明日の敵、それも殺害の対象です。
勿論、北京政府では発禁の書です。著者は「もし私が殺されてもこの本は生き続ける」の言葉を残し、本書発売の三ヵ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見されました。

引用開始
「李先生、張玉鳳が言うには、主席が先生に会いたがっておられるそうです」。私は主席の枕頭にかけつけた。
張玉鳳はかつて毛沢東が国内の巡察旅行に使っていた特別専用列車の服務員だったが、いまは主席付き機密秘書になりおおせていた。毛が長沙でダンス・パーティーを催した際、はじめて主席の目にとまった。まだ無邪気そうな十八歳の娘で、目を大きく見開き、すばらしく白い肌をしていた。彼女は主席にダンスを申し込んだ。毛は衆人環視のなかで彼女を宿舎に連れて行き、一夜をともにすごした。
ふたりの仲は時として険悪なものになった。毛沢東が他に多くの女を引き込んでいたからである。いまわの際でも、かつて毛とベッドをともにした二人の若い踊り子が非公式に臨時の看護婦として勤務し、毛の体をスポンジでふいたり、食事を口元に運んだりしていた。しかし毛との関係は張玉鳳が一番長く、その間に品性も粗野になって・・・略・・・
1974年彼女は党中央弁公庁主任の汪東興から正式に主席付機密秘書に任命されたのだった。
主治医として私はいつでも自由に主席と面会を許されたが、私を除く人達は張玉鳳を通さなければならなかった。毛夫人の江青はじめ政治局のお歴々でさえ張を介さなければならなかったし、彼女は相手が党の最高首脳だろうと尊大に扱った。・・・略・・・
その毛沢東もいまは83歳、肉体は数え切れないほどの疾患でぼろぼろになっていた。・・・略・・・
たまさかの緊急事態が発生したりすると、私たちはニクソンの大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーが最初の隠密訪中後に送ってくれたアメリカ製の人工呼吸装置にたよらなければならなかった。
・・・略・・・
毛沢東は、じつは不治の奇病、しまいには命取りとなる神経組織変性病、つまり筋萎縮性側索硬化症、欧米で俗にいうルー・ゲーリック病にかかっていると診断されたのである。
この病状の一般的な特徴は咽喉、咽頭、舌、右手、右脚をコントロールする骨髄や脊柱の運動神経細胞が変質、壊死したあげくに筋萎縮、ついで影響を受ける部分の麻痺を引き起こす。病状の進行につれて患者は話したり、食物を飲み込んだりする能力をうしない、鼻腔を通じて胃に達するチューブによって栄養を補給しなければならない。
・・・略・・・
「大丈夫ですよ、主席」と、私は毛の手を軽くささえたまま言った。「われわれはかならずや主席をお助けします」。その瞬間、主席の目の色は満足しているように見えた。徐々に赤みが点々とその頬にあらわれはじめた。毛は息を深く吸い込んだ。瞼がとじられた。右手がだらりと私の手から滑り落ちた。心電図は上下の線が消えてすっと一本の直線にかわった。私は腕時計をのぞきこんだ。1976年9月9日午前零時十分だった。
「私は毛の死に悲しみひとつおぼえなかった。二十二年間、私は主席の側にあってほとんど毎日、彼とともに暮らし、あらゆる会合にも、また行先がどこだろうと旅のお供もした。私は主治医ばかりでなく多年、主席の個人的、政治的な側近として、また実生活のもっとも私的な部分をくわしく知る者としてすごした。おそらく汪東興をのぞけば、私だけがだれよりも長く毛主席の側ちかくにつかえたのではないだろうか。
最初のうち、私は毛沢東を賛美した。彼は中国の救済者、国家の救世主だった。しかし1976年までには、そんな想いも遠い昔語りになっていた。私が新しい中国にいだいた夢、全人民が平等に暮らし、搾取に終止符が打たれる国家という夢はとっくに打ち砕かれていた。党員でありつづけながらも、共産党にはまったく信をおいていなかった。
・・・略・・・
9月7日、毛沢東が重態におちいり、死期はちかいと医師団が判断したとき、江青はやっと私たちに会いにきた。部屋の中を歩き回って医師や看護婦とひとりずつ握手をかわし、めいめいに同じ挨拶をくり返した。「これであなたもご満悦でしょう。これであなたもご満悦でしょう」。江青は夫の死後に権力をにぎり、その指導下に入ることを私たちが喜ぶだろう、と信じきっているかのように見えた。
はじめて江青に会ったほかの医師たちは、主席夫人の無神経さにあっけにとられてしまった。「なにも不思議なことじゃないよ」と、汪東興は私に言った。「江青は確信してるんだ、究極の権力を手に入れるのを邪魔だてしてるのは自分の夫だけだ、とね」。彼女は毛が死ぬのを待っていたのである。権力闘争は主席が死の床にあったときからも弾みがつき、からだが冷たくならないうちから激化していたのだ。
引用終わり
この本の上下では、毛沢東の人間性と中国共産党の歩みがかなり詳しく判ります。現在の中狂も文明は最新のものに変わってきていますが、共産党の体質(反共は抹殺、徹底鎮圧)は全く変わっていません。地方の農民は徹底して搾取の対象であり、今も何ら変わっていないようです。
生涯一度も歯磨きをしなかったとか、毎日添え寝の女を替えたとか、要するに支那の野蛮人ですよね。為政権を掌握する"手段"として土地開放と言うアメを農民に与え狂賛党を結成した後は搾取というムチを駆使した。要するに詐欺師・山師・匪賊の親分ですね。
死ぬ間際まで権力闘争の殺し合い、共産主義の行き着くところは一緒ですねー。