2007年12月12日

はじめて見る日本7

無理やり要求した京都御所内部見学

 オーストリア・ハンガリー帝国の外交官だったアレクサンダー・F・V・ヒューブナーは、職を辞した後1871年5月から世界一周旅行に出発、同年(明治四年)七月二十四日に横浜に上陸しました。彼の『世界周遊記』中の日本編を全訳した「オーストリア外交官の明治維新」という本から、彼の見た明治初年の日本の様子を抜粋引用してみます。
写真は京都の賀茂(葵)祭り
kamo.jpg

前回からの続き引用開始
 六つの門のうち閉まっているものが若干あり、半開きになっているものもあった。私がこの聖域に入るようなふうをしていると、参事の哀願するような眼差しが私を引き止めたのだった。エンズリー氏(英国副領事)が参事の懸念を取り去るのにふさわしい理屈をあれこれ並べていたが無駄だった。その答えは判で押したように同じだった。曰く「御所の管理は行政の管理ではない」。曰く「御所の管理官は、新政府や進歩派やとりわけヨーロッパ人を毛嫌いする宮廷内の守旧派に属している」云々。最後の妥協案として、参事は我々を御台所門まで連れて行き、若干のちっぽけな殿舎の低い屋根の上から御所の大御殿の切妻を垣間見せてくれた。彼は作り笑いをしながらこう叫んだ。「それでは、これでご満足いただけたでしょうか。ヨーロッパにご帰国の際には、貴殿らは誰もが目にできないもの、つまりは天子の御所をご覧になったし自慢話がおできになることでしょう」。そして、もう遅いし、府知事が我々を屋敷で待っておられるし、道程は長いし、暑い盛りだし、昼食のこともそろそろ考えなければならない時間であると付け加えて、彼は急いで引き返そうとした。

 私はこう切り返した。

「そうはいきませんよ。私は貴殿らの態度に満足していません。なんということなのです。あなたがたは我々の習慣の真似をし、我々の服装を変に着込み、文明の全き途上にいると思っておられるというのに、我々を天子の住みかから閉め出そうとなさるほど迷信深いとは。天子の台所を一瞥するお許しが貴殿らの文明の極みだと分かったら、ヨーロッパではさぞかし物笑いになることでしょう」。エンズリー氏がこれらの言葉を訳し終わらないうちに、我々の周囲に沈黙ができた。参事は、蒙古人種の肌色のぎりぎり一杯まで、赤面した。彼と補佐との間で、低い声での短い会話が始まった。彼は我々に言った。「おっしゃる通りです。我々は笑い者になることでしょう」。彼は御所の管理官に会いに行こうと申し出たけれども、この交渉からなんら良い結果も期待できない、と言った。・・・・・
 程よい距離を保って我々の周囲には、人の群ができた。公家の侍女なのだった。我々は彼女たちの独特の服装と艶やかな髪型に気付いた。・・・
 こんな調子で、半時間が過ぎた。やがて、我々の使者らが喜々として駆けつけてきた。我々は中に入ることが許されるのだ。管理官と補佐は、宮廷の正装を羽織る時間だけをくれと要求した。二人はやってきた。彼らはかなり無愛想な様子をしていたけれども、とうとう決断してくれて、我々に禁じられた一画の敷居を越えさせてくれた。我々は公家門から入った。・・・・


 回廊の端までやってくると、管理官は、誰の目にも不機嫌と困惑が見てとれたが、我々がやってきた所へ我々をつれ戻すような素振りをした。けれども今度は、我々の人のよい参事が公然と外人の肩をもってくれ、身振りをし、叫び、真っ赤になって怒った。エンズリー氏も能うかぎりに参事を応援したので、補佐の怒気を含んだ抗議にもかかわらず、管理官の懸念をついには打ち負かすことができた。同じようなやりとりは、どの門でも繰り返えされたが、幸にも門は開いていたので、役人たちの煮え切らない態度を目にするやいなや、私は門を越えてしまった。江戸では、こう言われてきたのである。日本の役人は尻が重く、難癖をつけるのが好きだが、辛抱と礼儀正さと威厳をもってすれば、なんなく事をうまく運ぶことができる、と。今日は、この助言が大変役に立ってくれた。・・・・
 結局のところ、御所は、公家や御所侍の住む二つの界隈を除けば、それほど大きくない地所を占めているにすぎないのだが、屋敷と区別するものと言えば、建物の少々大きな規模と何よりも神聖な風格だけなのだった。・・・・・
 仕切り(障子)は、他のどの人家のそれとも似ており、動かすことができ、白い紙でできた基盤桟がついている。時には天然の木の格子が仕切りを守っている。私は多様であると同時に、質素で上品なそのデッサンに見惚れたものだ。雨戸は歳月と樹の種類に従い、明るい灰色か、淡いマホガニー色かになった、木の天然の色を宿していた。・・・・

 全体の印象は筆舌に尽くしがたかった。眼を欺くどころか、むしろ眼から逃れていくような色彩の地味で柔らかい調和、細部の美しさ、装飾模様の仕上げ、これら神秘的で近寄りがたい場所を支配する、得も言えぬ趣味、優雅さと気高い質素さの故に、建築物の荒削りな性格を忘れてしまうのだ。江戸の芝で感嘆したような、豪華な彫刻や透かしにした高浮彫りの痕跡はどこにもないのだ。おそらくは天子の趣味と神道の伝統とがそれらの価値を認めなかったのだろう。
「それで、天皇の居所、寝室はどこにあるのですか」
「庭園の中です」
「庭園の中に入りましょう」・・・・・
エンズリー氏はそう早くは匙を投げなかった。彼は門番たちの話に加わり、彼らをまるめこむことに成功した。・・・・
天子の庭園が置かれている自然な佇まいは、管理官が我々をその中に入れるのを極度に嫌ったわけを説明してあまりあるだろう。すべては主の不在をはっきり物語っていたのだ。小さな池は、枯れ葉と植物で覆われ、雑草が小径にはびこり、家屋の前に並べられた若干の鉢植えだけが庭師がいることを示していた。とはいえ、手入れがされていないことを除くと、樹木以外はすべて小振りで、貧弱だった。歴代の将軍が営々と築いた江戸城の真に堂々とした庭園と、天子のこのみすぼらしい茶室の庭とのなんたる違いだろう。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
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