
引き続き「南京事件」日本人48人の証言より引用してみます。
大阪朝日新聞・山本治上海支局員の証言
――山本さんが南京に行くのはいつですか。
「蘇州に行った時も上海に戻り、前線に行っては上海にいるということを繰り返していましたが、その時は橋本さんと一緒だったと思います。
入城式の日は、上海を最初から従軍取材しているというので、陸軍の飛行機が連れて行ってくれました。着いたのは午後で、入城式の終わった後でした」
――南京の様子はどうでした?
「城壁の周りには中国兵の死体がありました。中山門から見た時、城内には何ヵ所も煙が上がっているのが見えました」
―城内の様子はどうでした?
「特別変わったことはありません。南京で印象的なのは城壁で中国兵の死体を見たくらいです」
――虐殺があったと言われてますが・・・。
「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。誰もそういうことを言ったことがありません。朝日新聞では話題になったこともありません」
・・・略・・・
「徐州作戦に従軍した後、私は体を悪くして昭和十三年夏に日本に帰ってきました。神戸へ着いたところ、神戸のホテルで、南京では日本軍が暴行を働いたそうですね、と言われてびっくりしました。なんでも外字新聞には出ていたということです。
上海にいる時、私は中国の新聞を読んでいましたが『決戦光華門』などという文字が大きく載ったのは見たことがありますが、南京についてのそういうことは何も出ていませんでしたから、不思議に思ったものです」
・・・略・・・
東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言
橋本登美三郎氏は佐藤内閣で官房長官、田中内閣で自民党幹事長を務めた。
――南京では大虐殺があったと言われていますが、南京の様子はどうでした?
「南京での事件ねえ。私は全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話しに出てるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは話しをするし、それが仕事だからね。噂として聞いたこともない。
朝日新聞では現地で座談会もやっていたが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとかそんな話が出るはずだ。南京事件はなかったんだろう」
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――当時の報道規制をどう感じましたか。
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていたよ」
東京日々新聞(現在の毎日新聞)・金沢善雄カメラマンの証言
――南京城内の様子はどうでした?
「日本軍の一部は揚子江沿いに行き、杭州湾から来た軍は、大きく迂回して南京に進みましたから、南京は完全に日本軍の包囲態勢になってます。ですから中国軍の大部分は揚子江から逃げ、チンピラ兵がおさえに各門にいて、この兵と日本軍が最後に戦ったのです。そういう状況で日本軍は南京に入りました。私も光華門から入りました。
戦後、この時、何万人からの虐殺があったと言われていますが不思議でしょうがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ兵隊から聞いたこともありません。毎日新聞は、あの時、連絡員も入れて五、六十人もいたでしょうか。・・・略・・・
私はここに一ヶ月ほどいましたが、戦後言われているようなことは、何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから、虐殺があったと言われていますが、ありえないことです。
引用おわり。
記録映画には、陥落直後の様子が撮影されていますが、爆竹で遊ぶ中国の男の子や女の子たち、お正月の準備で、お餅つきやシメナワを作る兵士たち、沢山の中国民間人が列を作って、順番に日本軍から安全保障のための証明を貰っている様子などが映されています。
支那兵はゴロツキの集まり、役得は民家からの掠奪品らしいですね。
日本兵はちゃんとお金を払って物を買っていた。留守の場合は書付を置いてきて、後で取りに来るように言ってたようです。