2006年06月01日

朝日新聞の南京報道3

 3回にわたって、昭和十二年十二月十三日の南京陥落直後から年末にかけての朝日新聞の記事を取り上げてみましたが、南京城内の平和回復の模様がよく判る記事になっています。もし大規模な殺戮があったのなら、多くの中国人がわざわざこのように日本兵に近づいてくるでしょうか?
 以前に掲載した「中国戦時下の虚偽」も併せてご覧下さい。
「朝日が明かす中国の嘘」田中正明編著より。
 引き続き、陥落後の南京城内の記事を要約して引用してみます。

 昭和十二年十二月二十五日掲載、林特派員撮影
 組写真その三タイトルは≪南京は微笑む=城内点描≫
 この写真の「兵隊さんは子供と遊ぶ/南京の街に見る日支明朗譜」と題するレポートを紹介すると、
〈ヴェルダン要塞もかくやと思わせたあの南京城攻略戦後のわれらの兵隊さんは兵火の余燼がのこっているのに、すっかり子供に還って、抗日の都南京が忽に明朗譜を奏でている。
 今日この頃は鉄砲も宿舎に置いて丸腰の見物である。街の一隅では早くも商売上手な支那人が、行軍また行軍で破れた兵隊さんの靴を見つけて手真似足さしで靴を直させてくれという。いままでの南京には見られぬ親愛風景である。兵隊さんが靴直し賃をやろうとすると、「大人銭不要」と、安心した微笑だ。
 南京総攻撃で慌てふためいて逃げたおもちゃ屋が道路に捨てて行った子供の玩具を拾って来て支那の子供たちと遊ぶ。・・・・支那の子供の無心に遊ぶさまを眺めて、兵隊さんは国に待つわがいとし子を偲んでいるのだ。・・・・いい気持ちだよ三ヶ月振りだと、小春日和のような陽を受けて商売道具を道路に持ち出した支那人の散髪屋にかかって舟をこいでいる。・・・〉
nankin03.jpg
写真@は「玩具の戦車で子供たちと遊ぶ兵隊さん」(南京中山路にて)
写真Aは「戦火収まれば壊れた馬車も子供達の楽しい遊び場だ」(南京住宅街にて)
写真Bは「皇軍衛生班の活躍に結ばれて行く日支親善(難民避難区にて)
写真Cは「平和の光を湛えて支那人教会の庭から洩れる讃美歌」(南京寧海路にて)
 
 昭和十二年十二月三十日掲載
 組写真その四タイトルは≪手を握りあって越年 日に深む南京の日支親善≫
 この写真説明の他にある、「南京の正月/お餅もOK」という記事を紹介すると。
 〈南京城内に正月を迎える皇軍将兵に二十八日各部隊毎に鏡餅やのし餅などが配られた。・・・断たれた水道も二十九日午後から復旧するし電燈も是非今年内に復旧して、南京城内を元通りに明るくさせたいとの皇軍の念願だ。・・・・〉
nankin04.jpg
写真@は「兵隊さんお正月用に靴の修繕致しましょう
写真Aは「さァおっぱいが足らなきゃミルクをお上がり=ヒゲの隊長温情」
写真Bは「坊や、トラホームを治さなきゃお正月はこないよ」=軍衛生班の活動
写真Cは「新しいガーゼをとりかえていいお正月を迎えましょう=軍医部の活動」
引用終わり

以上、朝日の記事のどこにも、南京で大虐殺があったなどとの報道はありません。逆に南京の中国人との親善が写真とともに報道されています。
私も南京攻略戦の記録映画を持っていますが、その記録映像と新聞報道はほぼ一致しています。
posted by 小楠 at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 反日マスコミ
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