2007年12月10日

はじめて見る日本5

明治天皇に謁見

オーストリア・ハンガリー帝国の外交官だったアレクサンダー・F・V・ヒューブナーは、職を辞した後1871年5月から世界一周旅行に出発、同年(明治四年)七月二十四日に横浜に上陸しました。彼の『世界周遊記』中の日本編を全訳した「オーストリア外交官の明治維新」という本から、彼の見た明治初年の日本の様子を抜粋引用してみます。
写真は向島の庭園
mukai.jpg

引用開始
 明治四年九月十六日、今朝、侍従が四人乗り無蓋軽四輪馬車のような馬車に乗って我々を迎えにやって来た。・・・・
 外門に到着したとき、我々は武装した軍隊に気がついた。これは中門でも、城の近くでも同じことだった。ヨーロッパ風の服装をした者も中にはいる。こういう武装した兵士たちは、見た目にはなかなか立派だった。ただ彼らは少々こういう仮装に当惑しているようではあった。そのかわり、役人や、その他の文武に携わる騎兵たちは、日本古来の服装をし、武器を持っており、堂々としてほんとうに立派だった。城の大きな堀に架けられた最後の橋を渡ってから、我々は馬車を降り、ごく稀な例外を除いては絶対誰も入ることのできない天皇専用の庭園に通された。・・・・

 我々は五分ほど歩いたころ出迎えを受けた。太政大臣三条、岩倉、木戸・大隈・板垣の三参議、それから長州・肥前・土佐三藩の代表者たちが我々を迎えてくれたのである。この三藩の代表者たちは、この時は姿を見せなかった薩摩藩代表の西郷とともに、明治維新を成し遂げたのであった。
 つまり我々は、ある観点から見るならば日本の改革者とも破壊者ともいえるような人物たちの前にいるのだった。・・・・
 少し話しをしていると、天皇は謁見の準備がおできになったと知らせがあった。我々は大礼服を着たこういう高官貴顕に付き添われてふたたび歩き、瀧見茶屋と呼ばれる建物の開いた扉の前に着いた。私は天皇の御姿を一目拝見したいと好奇心を燃やしていたのだが、自分の回りに視線を投げかけて、この場所の詩的な美しさにただもう感嘆せずにはいられなかった。・・・・
 我々は中に入り、神々の子孫の前に出た。その部屋は奥行約二十四フィート、間口十六から十八フィートであった。床は極上の畳で覆われていた。天皇が腰かけている高さ二フィートの台座の他はまったく家具はない。入口のところは暗かったが、幸い偶然にも太陽の光が鎧戸と障子の隙間から射しこみ、天皇の御体の上に強い光を投げかけたのであった。

 公式な謁見そのものが稀なのだが、それもつねに城で行われるのであって、そのときには、近づく人間の無遠慮な視線を遮るために御簾が半分ほど下ろしてあり、天皇の御顔を隠しているのだという。ところがここではそういう類いの用心はまったくされてはいなかったのだ。天皇は腰掛けに座って御足を組まれ、合掌なさっていた。これこそまさに仏像にとらせているポーズと同じ姿勢である。・・・・
 玉座の左、障子の前には三条と三人の参議、右側には岩倉が控えていた。アダムズ氏と私とは、サトウ氏と宮廷側の通訳官に伴われて、部屋の中央、天皇の正面のほんの数歩というところにいた。最初のあいだ、深い静寂がこの小さな四阿をつつんでいた。いまここにはこの大帝国の命運を左右する人々が集っているのである。蝿のうなり声と蝉の鳴き声しか聞えてこなかった。岩倉から紹介を促されたアダムズ氏は、目下オーストリアの代表が上海滞在中で日本を離れているため、自分が謹んで陛下に私を紹介するものだ、という旨のことを述べた。天皇は二言三言アダムズ氏に言葉をかけられ、それから私に大海をいくつもよく越えてきたとお誉めの言葉があり、それに対して私はこういう場合にふさわしい言葉を返した。

 それから天皇はふたたび口を開いておっしゃった。
「聞くところによれば、そなたは長いあいだ国で重職を担い、さまざまな大国にていくたびとなく大使の責務を果たしてきたということだ。そなたの仕事がどのような性質のものか、我にはしかとは判じかねるが、もしそなたの実り多い経験のうちで、我々が知っておいた方がよいと思われるようなことがあるなら、遠慮なくわが顧問官たちに申し伝えるがよい
 作法に則ってのことであろう、天皇は私に話しかけられながらも、不明瞭で聞き取りにくい声で呟かれるだけであった。三条がそれを大きな声で復唱し、それから宮廷通訳官が英語に直すのだった。我々の返答はサトウ氏によって日本語に翻訳された。天皇は口を開くたびに我々の方を向いてじっと見つめられるのだった。その時には天皇の御顔が突然生気をおび、優雅な微笑と優しい表情に包まれるのだった。しかし口を閉ざすとすぐさま真面目な表情に、というか無表情になられるのであった。・・・・

 そろそろ腰を上げようかという頃に、三条が主上の命令どおり日本についての意見を披瀝するよう私に求めた。私は自分の無知を詫びつつ、日本の現状を改善しようと新内閣が行っている努力と有益な諸改革を賞賛した。それから付け加えてこう言った。「この食卓のまわりに集っておられる傑出した方々は、その英知ゆえにかように困難な仕事に向っているわけです。諸氏はこの国の風俗習慣、思想を考慮すべきですし、またヨーロッパにおいてよいことでも、そっくりそのまま日本でもそうなるとは限らない、ということも肝に銘じていただきたいと思います。あまりに急激な変化は避けるべきでしょうし、慎重の上にも慎重に行動すべきでしょう」
こうして我々の謁見は終った。・・・・夕刻、天皇から我々に、変わった形の砂糖漬けとさまざまな種類の砂糖菓子(落雁)がいっぱい入った箱が贈られてきた。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
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