2006年05月31日

朝日新聞の南京報道2

「朝日が明かす中国の嘘」田中正明編著より。
 南京での虐殺事件は、陥落直後から六週間にわたってなされたと言われていますが、では、陥落直後から年末にかけての様子を朝日はどのように報道していたのでしょうか。
 陥落後の南京城内の記事を要約して引用してみます。

 昭和十二年十二月十三日の朝日の記事は、
≪本社上空の南京攻略祝賀飛行≫として伝えている。
 一面には飛行している写真、二面の見出しはまたすごい。
「空のサーカス団乱舞、天地・祝勝に揺らぐ、街には千人音楽行進、蜿蜒(えんえん)五町の音波」とある。飛んでいる民間機二十六機中五機が朝日新聞社機となっている。

十二月十六日掲載
写真の見出しは≪南京の公共防空壕から女這い出す≫
nankin01.jpg
 十二月十四日角野特派員撮影のこの一枚の写真は、日本軍入城後のすべてを物語っているといってよい。
 「厳しい闘いの間女たちは耳を塞いで土鼠のようにこの中に潜んでいた、銃声がやんで入城した日本軍の安民布告に女たちはいそいそと穴倉を這い出して来た
南京陥落の翌日にあたるこの日、中国婦人には笑顔があり日本軍人も笑っている。

 昭和十二年十二月十八日掲載
見出しは≪万歳の嵐・けふ南京入城式の壮観≫
 南京攻略後には約百二十人の新聞・雑誌の特派員とカメラマン、そのほか大宅壮一、小磯良平、小林秀雄、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三などの詩人、画家、評論家、作家も入城している。戦後組合運動に熱心な二、三人の新聞記者以外、だれ一人として虐殺事件を見たとか、噂に聞いたと証言したものはいない。
 
 昭和十二年十二月二十日掲載
 組写真その一タイトルは≪平和甦る南京 皇軍を迎えて歓喜沸く≫
nankin02.jpg
 十七日河村特派員撮影とあるから占領五日目の写真である。
写真?は「兵隊さんの買い物」で、
占領5日目に早くも露天商が出て、兵隊が銃も持たないで買い物をしている。南京攻略戦に参戦された須山道男さん(平成五年当時七十六歳)はこの写真を見て「なつかしいですネ、これが本当の占領直後の南京風景です。
 入城式のあった一七日の午後からは、銃も持たずに支那人街の露天をひやかして歩いた経験があります。この写真のように子供も大人も手製の日の丸の腕章をつけて、私たちに近づいてきましたよ」と言う。
写真?は「皇軍入城に安堵して城外の畑を耕す農民たち」
写真?は「皇軍に保護される避難民の群」
城外のどこかに避難していた市民は、城内がもはや安全とみて続々と帰ってきた。その市民を誘導している写真である。ここには護衛の日本兵の姿さえ見えず、市民の表情も明るい。
写真?は「和やかな床屋さん風景」

組写真その二タイトルは≪きのうの敵に温情 南京城内の親善風景≫で、写真の説明は以下の通りです。
写真?は「治療を受けている支那負傷兵」
唐生智らは守備軍の傷病兵を置き去りにして退却、逃亡したため、この中国傷病兵を日本軍の軍医や衛生兵がねんごろに治療にあたっている写真である。
写真?は「皇軍将兵の情に食欲を満たす投降兵」
写真?は「砲撃止んだ南京城内に描かれた親善風景」
写真?は「田山部隊長と語る敵の教導総隊参謀沈博施少佐」
写真?は「南京城内の親善風景」で、
手製の日の丸の腕章をつけた大勢の市民が、いかにもくつろいだ風情で、道路いっぱいに広がり交歓している様子がうかがえる。
引用終わり

 南京陥落直後のこの頃は、それこそ「大虐殺」の真っ最中!!
ところが朝日の記事に、それを暗示させるようなものは皆無です。国民党も、これぞとばかりに満州の時のように、国際連盟に訴えればいいのに、そんな記録もありません。何故でしょうかねー朝日さん??
posted by 小楠 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 反日マスコミ
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