2007年12月08日

はじめて見る日本4

明治四年九月・江戸の店舗

オーストリア・ハンガリー帝国の外交官だったアレクサンダー・F・V・ヒューブナーは、職を辞した後1871年5月から世界一周旅行に出発、同年(明治四年)七月二十四日に横浜に上陸しました。彼の『世界周遊記』中の日本編を全訳した「オーストリア外交官の明治維新」という本から、彼の見た明治初年の日本の様子を抜粋引用してみます。
写真は当時の呉服店舗
kimonos.jpg

引用開始
 今朝、江戸の主な店をいくつか訪問。横浜の日本人地区にはヨーロッパ市場向けにわざわざ製造された品物があるが、ここ江戸ではそれとは逆に、物はすべて日本人の好みに合わせて作られている。こういうさまざまな数々の品物をつぶさに眺めることほど面白いことはない。・・・
 美術品と工芸品を比較して言えば、ここ日本では、芸術家は職人に極めてよく似ており、また職人はある程度まで本質的に芸術家なのだ。ヨーロッパにおいても中世はこれと同じ状況だったのである。
 玩具を売っている店には感嘆した。たかが子供を楽しませるのに、どうしてこんなに知恵や創意工夫、美的感覚、知識を費やすのだろう、子供にはこういう小さな傑作を評価する能力もないのに、と思ったほどだ。聞いてみると答えはごく簡単だった。この国では、暇なときはみんな子供のように遊んで楽しむのだという。私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た。・・・・

 私はごくわずかなお金でたくさん珍しい品々を買い込んだ。そのうちのいくつかは本物の美術品といってもよいものだ。たとえば、小さな青銅品、さまざまな動物が描かれた文鎮、亀の群像といったものだ。滑稽さをねらっている意図は明らかだ。他の店でも同じような群像、同じモティーフを見つけたが、しかし複製ではなかった。これは機械的に同じ型が再生産されるのではなく、発想が同じなだけなのだ。職人は、というか芸術家は、模倣しつつも自分の創意工夫を盛り込むのである。
 それから、柔らかく光沢のある紙で私の買った品物を包んでくれる女性たちの華奢で綺麗なほっそりした手にも私は感嘆したのだった。
 我々は最も有名な二軒の絹織物店も訪れた。我々は顧客でいっぱいの二階の大広間に通された。顧客の中には身分の高い婦人も数人いた。男も女もみんな一フィートほどの机の後ろに正座し、その上に薄手の縮緬や、無地あるいは模様入りのずしりと重い厚手の織物など商品を広げていた。着物の色は目を見張るほど鮮やかだ。値段さえあまりに高すぎなければ、喜んで家具や壁掛けの織物として用いられるところだろう。教会の壮麗な装飾にも使うことができるだろう。ここ日本ではこういう織物で男女の正装用の衣装を作るのである。・・・・・

 今日は東京の茶店はどこもかしこも、さぞかし大事件の話で持ち切りになるだろう。・・・みんなの話題をさらうほど今日はすごい出来事があるのだ。つまり身分の高い一婦人が今晩英国公使館の晩餐会に出席するのである。日本の有力者数人との交際関係を培ってきたアダムズ氏が、その関係を利用してこの画期的な出来事をお膳立てしたわけだ。招待者は松根とその夫人、現中国大使宇和島の令嬢である。うら若きこの貴婦人は十四歳になるかならないかというくらいで、たいへん小柄だ。眼は少し切れ長だが美しい大きな眼で、可愛らしい手足をしている。頭が少々大きく見えるのは、たぶんふさふさした豊かな髪のせいだろう。髪の毛は真ん中で分けられて、鼈甲の大きな二つのかんざしで留められている。白い襦袢の上には、薄灰色の絹の着物を着ている。これはとても幅が狭く、足回りは特にそうだ。胴回りに締められた薄黄色の幅広の帯はたいへん短く、端の結び目はふくらんで、ほとんど肩先までの高さになっている。・・・・
 私は彼女の夫の隣、彼女の正面の席に着いた。彼女を観察するほど面白いことはなかった。生き生きした聡明な眼を食卓の回りにすばやく走らせ、我々と同じように振る舞おうとする。日本人の勘のよさが大いに助けとなって、肉料理が出る頃にはもうすっかりフォークの使い方を呑み込んでしまった。少しずつ遠慮もとれ、食卓を離れるときには子供のように無邪気で気楽な態度になって、広間をくるくる歩き回った。何もかもが目新しいのだ。それから夫の却下の足台に腰かけ、葉巻を吸った。我々がいるのも忘れているようだった。

 松根は顔立ちこそ整ってはいないが、なかなかの美青年だ。しかし多くの同国人と同様、彼自身も変身途上にある。彼は上から下までヨーロッパ人のような格好だった。パリ到来の深靴をはき、丁髷(ちょんまげ)を切り、もう後頭部は剃らずに髪を伸ばし縮らせ逆立てている。そのため気品が失われていた。なぜ日本の髪型を捨てたのかと私はたずねてみた。風邪を引くからだと彼は答えた。なかなかの政治家だ。進歩に傾きながらも、まだあえてそれを認めようとはせず、両派の間を泳いでいるというわけだ。彼はもはや保守反動ではないが、さりとて進歩主義者でもないのだ。これが現今の多くの日本人の立場である。しかしこれだけは言っておこう。丁髷を切る者は改革に味方する者であり、その数は増加しているのだと。日本は激動しているのである。

 今夜、晩餐会で西郷と知合った。彼は薩摩公の平時から九州第一の実力者の一人に成り上った人物だ。改革事業を順調に推進するためには、彼の協力をとりつけ、その仲介によって日本南部の有力諸侯の支持を固めることが必要不可欠である。そこで岩倉が九州の奥地まで西郷を迎えに行き、新計画に協力するよう求め、江戸に戻ってくるよう説得したのだ。
 西郷はヘラクレス像のように巨大な体躯をしている。彼の眼は知性の光を放ち、顔立ちは精力のあることを示している。格好には無頓着で、軍人らしいなりをしている。態度物腰は田舎貴族といったところだ。巷間伝えられるところでは、彼は宮廷にうんざりしており、帰農したくてじりじりしているということだ。
引用終わり
posted by 小楠 at 09:56| Comment(6) | TrackBack(2) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
戦後の日本がよくわかるインパクトがあるフラッシュを見つけました
http://f45.aaa.livedoor.jp/%7Ecrazy/yamato/yamato1.htm
http://f45.aaa.livedoor.jp/%7Ecrazy/yamato/yamato2.htm
http://f45.aaa.livedoor.jp/%7Ecrazy/yamato/yamato3.htm
http://kandou-ch.com/sensou/s_08.htm
洗脳を解くのに有効だと思います
Posted by じん at 2007年12月08日 12:12
 前回の部分もそうでしたが、庶民にまで行き渡っている美意識についての観察がとりわけ印象深いです。もちろん現代のわれわれはそれを受け継いでいる面はありますが、もっと大事にしないといけないと教えられるような気がしますね。
Posted by のらりひょん at 2007年12月08日 13:01
それは言わないで!
朝鮮人もビックリ!
正直でまともな韓国人による近現代史動画
http://jp.youtube.com/watch?v=xOguQsyK08M

http://jp.youtube.com/watch?v=AAr95eQnRCo&feature=related

http://jp.youtube.com/watch?v=7iDDqOkNJRA&feature=related
Posted by joo at 2007年12月08日 17:11
じん様
これらのフラッシュもよくできていますね、どんどん広めて欲しい内容です。
有難うございました。
Posted by 小楠 at 2007年12月08日 20:10
のらりひょん様
外国人は自分達にない日本人の特性をよく見抜いていますね、いや外国人でないと、そのよさが分からないのかも知れません。
大切なDNAは、もっと強化されて受け継がれるべきですね。
Posted by 小楠 at 2007年12月08日 20:16
joo様
彼の半島人であるに拘わらず、勇気ある方です。
この本も読みましたが、半島は真実を恐れているのでしょう。
ただ、昔からあちらに関わるとろくなことがなかったことを、政治家はもっと強く認識すべきでしょう。
Posted by 小楠 at 2007年12月08日 20:20
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