2007年12月07日

はじめて見る日本3

明治四年八月・箱根・江ノ島

オーストリア・ハンガリー帝国の外交官だったアレクサンダー・F・V・ヒューブナーは、職を辞した後1871年5月から世界一周旅行に出発、同年(明治四年)七月二十四日に横浜に上陸しました。彼の『世界周遊記』中の日本編を全訳した「オーストリア外交官の明治維新」という本から、彼の見た明治初年の日本の様子を抜粋引用してみます。
写真は箱根の関所跡付近
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引用開始
 昨日我々は江戸を離れた。私の旅の道連れは、英国代理公使アダムズ氏と英国公使館書記官兼通訳官サトウ氏である。富士山麓に行くときにとったのと同じルートを通って、我々は午後、湯本に到着した。宮ノ下へ向う北東方向の道はここから分かれるのだが、我々は東海道を進み続ける。急流に沿った東海道を辿っていくと、畑村に出た。これはその風光明媚なこと、茶屋とその庭とで有名な所である。・・・・
 読者諸氏にはこういういわく言いがたい幸福感を思い描くことがおできになるだろうか。つまり、しのつく雨が絶え間なく朝から晩までどしゃぶりに降って快い涼しさをふりまいているなかで、自分の力と元気を意識しながら、庭に向ってぱっと開け放たれた瀟洒な部屋で、とても綺麗な畳に寝転がっているという幸せを。その気持ちよい感覚を、私は幸せにもみんなと分かちあうことができたのである。・・・・
 宿を発つときの光景は、いつもながら賑やかだ。物見高い連中の立ち並ぶ二列の人垣の間を部屋から部屋へと通り抜けていくのである。宿の主人と女将が、両手で仲介人から勘定を受け取った。二人は何度も繰り返し繰り返し感謝と礼の言葉を述べた。姐さんたちはあとを追いかけてきて、笑いながら手を振って、道中ご無事で、またいらしてね、などと言う。家の出口の敷居のところでは、到着した時に脱いだ靴を探す羽目になった。そしてそこで、村のお偉方の市長と側近たちが我々にお辞儀をして、村のはずれまで先導してくれたのである。・・・・・

 日本人は自然が好きだ。ヨーロッパでは美的感覚は教育によって育み形成することが必要である。ヨーロッパの農民たちの話すことといえば、畑の肥沃さとか、水車を動かす水量の豊かさとか、森の値打ちとかであって、土地の絵画的な魅力についてなど話題にもしない。彼らはそうしたものに対してまったく鈍感で、彼らの感じるものといったら漠然とした満足感にすぎず、それすらほとんど理解する能がない有様なのである。ところが日本の農民はそうではない。日本の農民にあっては、美的感覚は生れつきのものなのだ。たぶん日本の農民には美的感覚を育む余裕がヨーロッパの農民よりもあるのだろう。というのも日本の農民はヨーロッパの農民ほど仕事に打ちひしがれてはいないからだ。肥沃な土壌と雨と太陽が仕事の半分をしてくれるのだから、あとはそっくりそのまま時間が残ることになる。この時間を、日本の農民は小屋の戸口に寝そべり、煙管をくゆらせ、自分の娘たちの歌声に耳を傾けながら、どこを見ても美しい周囲の風景に視線をさまよわせるのである。
 もしできれば、日本の農民は小川のほとりに藁葺きの家を建てる。そしていくつかの大きな石を使って、それを適当な場所に置き、小さな滝を作る。水の音が好きだからだ。


 そばにはヒマラヤ杉の若木を植える。枝を何本かまとめ、他の枝は離して、そうして小さな滝の上に傾けるのだ。こういうモティーフは、色刷版画で表現されているのを諸君は幾度も見たことがあるだろう。
またその脇には杏の木が植えられる。木が花盛りになると当人も家族も大喜びする。こういう自然に対する感情は、とりわけ日本の絵画作品に反映している。この国においては、ヨーロッパのいかなる国よりも、芸術の享受・趣味が下層階級にまで行きわたっているのだ。どんなにつましい住居の屋根の下でも、そういうことを示すものを見いだすことができる。たとえば、造花、精巧な子供の玩具、香炉、偶像、その他もろもろの物。こういうものの目的は、ひとえに目を楽しませることにある。我々ヨーロッパ人にとっては、宗教のために用いられるのでなければ、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ。・・・・

 我々は、みごとな針葉樹が立ち並ぶ凹んだ道を進みつづけた。隘路を越すと、道は内海の入り江の浜に下った。この入り江は小さな丘に囲まれ、美しい小島が点在している。金沢の町のちょうど正面にあたる場所だ。ここで我々を待ちうけていたのは、日本の高貴な礼儀作法の顕現される場面であった。それはそもそもこういう次第だからだ。つまり、私の同行者の中に江戸の名家の一つに数えられる家の家長とかねてよりたいへん親密な間柄の者がいたのだが、その家のある若い女性がたまたまここに海水浴に来ており、私の同行者の、その彼がやって来る知らされるやいなや、その女性は自分が訪ねていく旨を知らせてきて、かかりの老医者をお供にすぐさま現れたのである。十八歳くらいのとてもきれいな女性で、生まれは京都。ヨーロッパ人のように色が白い。顔が少し青ざめているが、それは気分がすぐれないからだ。それにまた、あっさりとした上品な服装をしているからでもある。こういう着こなしは上流婦人の身づくろいの特徴なのだ。
 彼女の挨拶の物腰は自然で慎ましく優雅である。まずひれ伏し、大きく叩頭の礼をする。つまり、畳にその美しい額をつけるのである。腕を床につけ、手は内側に向けてしばらくしばらくひれ伏してから、身を起す。脚は曲げたままで、手は膝の上におく。そうして正座して挨拶の言葉を一通り述べてから、やっと会話が始まるのだ。わが友人は紳士だし、日本での作法も心得ているので、同じように順序よく挨拶の礼を行った。私は彼の軽妙さに感嘆した。それなのに自分だけ真面目くさったままでいられようか! しかし、最後に笑うものがいちばんよく笑うというものだ。若い日本女性は身を起し、魅力的な微笑を浮かべて私を見つめてから、深々とお辞儀その他の所作をしたのである。このような礼を尽した挨拶にこたえるには、今度は私自身が同じ所作を順々に行わねばならなかった。礼儀正しい婦人と医者は、私の無器用さを見とがめず、再び雑談を始めた。実のところちょっと陳腐な話だったが、しかしなかなかいい言葉もあったし、笑いも結構まじっていた。別れて帰ってから、彼女は我々に果物と砂糖菓子のいっぱい盛られた籠を贈って来てくれた。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
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