2007年12月03日

明治の正月点景

日本の歳事1

 今回ご紹介している「ドイツ歴史学者の天皇国家観」の原著者ルートヴィッヒ・リースは、東大から招聘を受け、明治二十年(1887年)二月に横浜に到着し以来、明治三十五年七月まで、今日の東京大学史学科で歴史を学を講じた人物です。
本書ではドイツ人を対象とした日本紹介のために書いた論文が中心となっています。
写真はリース夫妻
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引用開始
 十二月という月は日本のビジネスマン、大小の商人にとって一年中で最も骨の折れる月である。誠実な人間として通りたかったら、古くからの慣習に則って、新年を迎える前に未清算の勘定書を一括して提示し、支払いを済ませなければならないのである。それで借金を翌年に持ち越さぬため、伝来の家宝を相当数売却するということがいまだに決まってなされている。それでも足らないとなれば、いつでも借金に応じてくれて、しかも返済にはうるさくない友達に無心をする。万策尽きたら、人目につかない宿に密かに引き移って、押し寄せる債権者を避けることとなる。従って、日本では一年の最後の日は重大な支払いの日であり、夜遅くまでお使いが請求書をもってやってくる恐怖の一日なのである。「ダンナサン キライ ナ オオミソカ」と手まり遊びをしながら歌う小さな女の子たちは、この歌詞に込められた奥深い真実を知らない。

 新年の本当の始まりは、夜中の十二時を境に、突き手が大きな釣鐘の前にぶら下げられた丸太を時々刻々引き寄せ、この日だけ特別に百八回打鐘することによって告げられる。しかし、これは大晦日を越す喜びを騒々しく呼び起すものではない。借金の取立てや支払いを終えたものは、床につく方を選ぶ。もう翌日の早朝には元旦の儀式が待っているからである。
 晴着をまとった家族全員が新年最初の軽い食事のために集る。畳に座っている各々の前に、さまざまの意味ありげな料理をのせたお膳が並べられる。祝い酒は最年少の子供がはじめに飲み、それから年かさの方へ順々に、そして厳かに盃を回していく。
 神棚の前には、子供たちの関心を一手に集めるお供えが置かれている。それは、丸型の分厚い塊(鏡餅)で、上下紅白の二段重ねになっている。・・・・てっぺんには、ゆでて殻が深紅色になった大きなロブスター(伊勢海老)がでんと構えており、裏白、昆布、藁等が幸福をもたらす飾りつけとして添えられている。・・・・
 母親が小さな子に破魔弓を与え、女の子には新しい羽子板の羽根と板を、年かさの男の子には凧と凧糸を与えると、この可愛らしい子供たちは大喜びで外に飛び出して行き、戸口の前に据えられた祝いの飾り付け――竹のまわりに松をあしらって藁縄でしばってある――を見てびっくりする。そうこうするうちに、早々と最初の訪問客がやって来る。日本ではわずかのつながりしかない者同士でも、新年には皆お祝いを述べ合うのである。やがてこの家の友人もやって来る。賀詞を述べるため、多少の時間留まっていなければならぬ者もいるが、そそくさと祝い酒だけをよばれていく者もいる。・・・・

 こうして果てしもなく客人が行きつ帰りつするあいだ、奥方は一人でかれらを出迎えて挨拶しなければならない。彼女の夫も、世話になっている人や上司のところに年始回りに行かねばならないからだ。この日ばかりは、通りじゅう、人でいっぱいである。歩く人あり、馬や馬車に乗る人あり、またある人は特別に人力車を仕立てて、皆、絹のドレスや軍服などを着込んで年始回りに躍起になっている。
 若い娘たちは新年の晴れ着を着ることによって、染色芸術の傑作を現在に伝えている。蝶の羽根にも似た長い袖の大きな振の合間から、これまた可愛らしい襦袢の付け根が見え隠れして、これがボーイフレンドをちょっといい気分にさせる目の保養となる。自分の足元の淡黄色の足袋を飽かずに眺めているちっちゃな女の子が、足を進めるたびに、ぽっくりにはめ込まれた鈴が自分の存在を示してくれるのを喜ぶ姿が思わず微笑を誘う。新年最初の日、ぽかぽかとした陽気の午前中に、人間であることの喜びに心が晴れやかにならぬような者は血の通った心、人間愛のかけらもない者である。
 あちこち年始回りをするうちに、盃に注がれるサケを飲み過ぎて酔っ払い、千鳥足になって馬車に乗り込む姿――特に将校にそういうのが多い――があちこちに見られる。嬉しいことには、酒を飲むと気持ちよく酔って陽気になり、これがまたお祭り気分によく合うのである。こうした年賀の期間は十日間も続くが、これだけの期間があっても、多くの人にはまだもの足りなさが残る。

 日本の若者たちの遊技もたいてい路上でおこなわれる。羽子板は正月にはもってこいの娯楽手段である。小さな男の子や女の子、少年少女が輪になって立ち、羽のついた小さな玉を板で互いに打ち合う。玉を落すと罰を受けるが、たいていは顔に墨で棒を引かれる。黒く髯を描かれた娘などは、通行人の遠慮のない大笑いの的となる。要するに、そこそこの技術を持ち合わせた者にとっては大変面白い遊びであるが、初心者は戦々兢々である。わずかのあいだに、顔じゅうまっ黒にされる羽目に陥るのだ。
 都会では、男の子が凧上げに熱中するのをもはや誉めてやることはできなくなった。電話線に凧糸が引っかかると通話に障害が発生するため、警察が都市部ではごく幼い子どもを除いて、このスポーツを禁止してしまったのである。田舎に行けば、この小さな凧の飛びっぷりがどんなにすばらしいか、ピンと張られた竹組が風に抗ってどんなにブンブンと唸り声を上げることができるか、十分に堪能することができる。また、この紙でできた空中船がいかに電線に引っかかりやすいかを知って、大いに驚くことにもなろう。かわいそうな新年の凧は、やがて春が来て雨に洗い落とされるまで、切れ端のまま長々とぶら下がっていることになる。

 正月はあちこち年始回りをする期間である一方、家の中でみんなでゲーム興じるときでもある。文学の香あふれるカード遊び(かるた)は特に愛好されている。これは、七百年ほど昔に、ある宮中人が上下二句からなる短歌百人分を山荘の壁紙(障子)に書き連ねたのが元になっている。この撰集はまことに人気が高く、我々が九九を暗記するのと同様、日本人は今日でもみなこれを暗記する。使用するのは百枚で一式のカード二組である。そのうち一組には上の句が記され、もう一組には下の句が記されている。下の句の記された方のカード百枚を十二人ないし十五人からなる参加者に分配し、競技に加わらない者一人が預けられた束を大きな声で読み上げていく。読み上げられた上の句に見合う下の句を自分のカードの中に見つけた者は、すばやく手を上げ、歌を完成させなければならない。最初に自分のカードを全部読み上げた者が王様である。暗記の正確さに関する人間の潜在的能力を正しく判断しようとするなら、このゲームにおける日本人の子供の頭のよさを観察しないわけにはいかない。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
年度末の支払いや新年の準備のため金策に駆け回る・・・よく昔の小説などに出てきますね。
また私の子供の頃は、大晦日までと元旦では、まるで世界が違うようにがらっと家や町の雰囲気が変わって「年が明けた」という実感がありました。
最近は、お店も早くから開いていたりして、何となく新年の実感が薄くなっていますね。
Posted by milesta at 2007年12月04日 09:30
milesta 様
昔は家に店屋の通帳があったのを覚えていますが、あれに購入した商品が記録されていたようで、ほとんどが掛売りだったようです。
盆と正月の年二回払いで、店もやっていけたのだから、悠長ですね。
Posted by 小楠 at 2007年12月04日 13:21
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