2007年11月30日

ロシア皇太子襲撃事件

新聞の外国人排撃煽動

今回ご紹介する「ドイツ歴史学者の天皇国家観」の原著者ルートヴィッヒ・リースは、東大から招聘を受け、明治二十年(1887年)二月に横浜に到着し以来、明治三十五年七月まで、今日の東京大学史学科で歴史を学を講じた人物です。
本書ではドイツ人を対象とした日本紹介のために書いた論文が中心となっています。
写真はロシア皇太子
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引用開始
 明治二十四年五月十一日、訪日中のロシア皇太子を日本人巡査が襲撃した事件の概要は次の通りである。・・・・
 京都から二マイル半ばかりのところにある大津駅目指して出発したが、それは山並みに囲まれた大きな湖、琵琶湖の素晴らしい景色を大津から展望するためであった。五月十一日の正午、一行は最初用意されていた知事の車を使うのをやめて、人力車で湖に向った。・・・山間の道幅は狭く、また本道からそれた場所にある名所旧跡に立ち寄るためにも、この乗物のほうが便利であり、だからこそ皇太子はこの交通手段を選んだのであった。・・・
 警備の巡査が立ち並ぶ通りをこれらの小型蓋車の行列は大津の市街から郊外の美しい自然の中へと進んで行った。・・・数キロ進んだあたりで、道端に立っていた巡査の一人がサーベルを振りかざして皇太子の車に駆け寄り、左側から彼の頭上に一太刀くわえた。巡査の名は津田三蔵である。・・・
 機敏な車夫は向ってくる巡査の足に果敢にタックルし、サーベルが打ちおろされんとする刹那、彼を地面に押し倒したのである。サーベルは皇太子の頬骨と頬をかすり、ふた筋の浅い傷跡を残したが、骨にはなんら異常はなかった。この勇敢な車夫は倒した相手のサーベルをすばやく拾い上げると、急所をそらして彼の頸部に思い切り二太刀をくわえ、さらに背中にも傷を負わせて巡査を叩きのめした。・・・
 電信でこの凶行の知らせを受けた天皇は、ただちに特別列車をしたてさせて侍医を京都に遣わせた。・・・翌日の五月十二日朝六時、天皇は負傷したロシア皇太子を自ら見舞うため特別列車で京都に向った。・・・・

 以前から日本ではこのような狂信的な犯行によって多くの外国人が殺傷されてきたが、明治二十一年以来ふたたび排外的世論が勃興、明治二十三年九月十一日条約改正反対の列国声明が出されるに及んでそれは全国に広まった。学校の生徒や大学生の乱暴狼藉に始まり、公の集会における狂信的な演説、さらには新聞のしばしば声高な誹謗に至るまで、外国人排撃の運動はとどまるところを知らなかった。・・・・
 新聞を通じて人々の怒りはまさに爆発寸前であった。そして津田三蔵のような人物に対して、新聞のこのようなアジテーションがいかなる効果を及ぼしたかは想像に難くない。津田は生粋のサムライの生まれで、二十四歳にして西郷の反乱の鎮圧に当って功をあげ、勲章を得たほどの勇敢な兵士であって、その彼が悪意に満ちた新聞報道に煽動され、人気のない山間の警護地点で憂国の念に駆られて凶行に及んだとしてもなんら不思議はない。・・・・

 日本の新聞が日本人に対するヨーロッパ人の無法な振舞いをことさらあげつらうような「事件」を取り上げるようになったことがあげられる。たとえば日本の警察は横浜で脱営した二等水兵の逮捕命令をアメリカ総領事からしばしば委託されたが、あるとき捜し求めていた水兵を発見し逮捕しようとした巡査たちが、彼の激しい抵抗にあい、その上パークという名のイギリス人の二等水兵がそこに助っ人として加わり大立ち回りを演じたことがあった。
 回りにいた日本人の人夫が劣勢の巡査を助けなかったならば、二人の荒れ狂っている水兵を取り押さえることはできなかったであろう。ともかくアメリカ人の水兵とその助っ人は逮捕されたが、公務執行妨害で起訴されたのはイギリス人のほうだけであった。
 しかるにイギリス領事による尋問の際、このアメリカ人水兵は、日本の巡査によって乱暴されたのはむしろパークのほうであると証言し、巡査にはそれに反証する機会が与えられないという事態が起ったのである。イギリス領事は、日本の警察は被告人に対する逮捕命令を受けておらず、したがって彼を逮捕する権限はないという理由で被告人を無罪とし、巡査たちの無法な振舞いに対してはそれを正当防衛として黙認した。イギリスの慣習に従い領事は判決を下す際に形式ばらずに警察官の義務というものに言及し、むしろ巡査はパークに殴りかかっていった人夫の手から彼を守るべきであったと彼らを非難した。この事件はイギリスの地方新聞において日本の警察に対する激しい非難の嵐を巻き起こしたが、それには尾ひれがついて、そもそもヨーロッパ人全部が日本の警察にきわめて不当にそして乱暴に扱われているという怒りの報道がイギリスの地方紙を賑わすことになった。

 他方これに対し日本の警察は声明を発し、巡査らは職務に忠実に行動したのであって、なんら文句を受ける筋合いはないと言明した。公平な立場から見るとどう見ても日本の巡査たちの方に分があるように思われる。周知のように、横浜港を訪れる商船や捕鯨船やカワウソ漁のスクーナーの多くの船員たちの中には、乱暴者もずいぶん見受けられるからである。下船休暇の最中、彼らは大衆酒場に足しげく通い、エネルギーを充填し理性を失って表通りで乱暴狼藉の限りをつくすのである。巡査がやって来て取り締まると、ヨーロッパの水夫が、制服に身を包んだこの矮小な体躯の男が髯もはやしていないくせに自分に命令しようとするのを見て、「こやつに一発くらわせてやれ」と思うのは残念ながらよくあることである。そして実際殴りかかってゆくのであるが、かくなる上は巡査としても権威を保つために暴行者を連行し、彼の国籍を問いただし、その国の領事に逮捕状を請求するしかないのである。連行されまいと取っ組み合いが始まるが、屈強なヨーロッパ人で、たとえしらふであっても、まず勝目はない。というのも日本の巡査は「柔術」というよその国の人々が知らない格闘術の達人であって、それを以てすれば、どんなに強い相手でも、否、サーベルを持った相手であってもたちどころに組み伏せることができるのである。
 格闘の際彼らは柔術の教えるところに従い、飛び掛ってくる相手のはずみを利用し適当な個所につかみかかることでバランスを失わせ、同時に相手の腕とか足を独特な仕方でねじ上げて動かすことができないようにしてしまう。巡査たちが反抗する暴漢をこのように無傷のまま組み伏せた後、格闘の際受けたパンチのお返しを数発くらわせたとしても、それは心情的に理解できる。パークの場合もそんな具合だったのだろう。今や日本の新聞はこの審理の様子をとらえ、一体イギリス人は日本人に対しどれだけ厚かましい態度をとれば気が済むのかと書いている。・・・
引用終わり
posted by 小楠 at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本A
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