2007年11月28日

仏人の見た明治京都2

ベルソール、京都の魅力(下)

フランス人、アンドレ・ベルソールの「明治日本滞在記」は、1897年(明治三十年)12月から翌年8月にかけての日本旅行を記したものです。
 彼は小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、この本の中でも、日本についても、しばしば遠慮のない評言をしています。
写真は当時の東本願寺東山別院
betsuin.jpg

引用開始
 私の住む通りの外れにカトリック教会が立っている。そこの司祭オーリアンティス神父は、伝統あるいは歴史の中でキリスト教に対する最も仮借ない敵の一人に数えられる大名の屋敷跡住んでいる。・・・・
 元の主がしつらえたままに残った庭には、珍しい樹木や奇妙な石などが配置されている。・・・・ほとんど毎日、私が訪れる時刻には、オーリアンティス神父は数人の日本人へのフランス語の授業を終える。これらの生徒は、既婚者、家庭の父親、軍人、公務員、あるいは外国語愛好者等さまざまだが、わが国の言語を学ぶことを望んでおり、大男で、ひげが半白になり始めているオーリアンティス神父は、わが国の子供たちが使う読本を彼らに使わせている。・・・・

 昨日、オーリアンティス神父は、ある職人の家で宵を過ごすのだと私に告げ、同行しないかと私を誘ってくれた。・・・
 われらが知人たちは、職人の住まいが両側に並ぶ狭い袋小路の奥に住んでいた。窓と引戸式の表口はまだ開いていて、二つか三つの小さい部屋の中を見ることができた。この種の家はたいていこんな間取りである。木蓮の大きな花のような白い角灯が投げる白っぽい光の下で、子供たちがひざまずいて勉強のおさらいをしていた。光の陰に隠れたいくつかの顔からは、穏やかな話し声や笑い声が洩れていた。
 われわれが入った家は大きくはなかった。一室とそれに板の間である。板の間は台所に使われている。父親、母親、それに四人の娘が、その部屋に人を迎え、食事をし、そして眠る。しかし、この人たちは貧民ではない。その部屋は、六人が住んでいるのに、わが国の屋根裏部屋の入口で感じる貧しい不潔感がない。その部屋は清潔で、魅力的ですらあった。部屋には、夏にはいっそう涼しい藤のござのようなものが敷かれていた。小さいたんすが二、三、奥に並んでいた。鏡の入ったごく小さい化粧台が、部屋の隅に見えていた。ニスか漆を塗ったごく低いテーブルが二脚あり、一つには茶道具と菓子が、他の一つには、元サムライで、今は扇子作りの職人である父親の刀が載っていた。

 同じくキリスト教徒の隣人たちが、この集いに招かれていた。一人は陶工、一人は彫金師、一人は提灯張り、他の一人はやはり扇子作りで、誰もが自分の家で仕事をし、輸出商人にそれぞれの品物を納めているのだった。・・・
 女たちがやって来た。その中の一人で、若くて愛想がよく、ばら色の顔をした女は、哺乳瓶に吸い付いている赤子をかかえていた。彼女はわれわれと同じようにひざまずいて、赤子を前に寝かせた。そして、神父がおしゃべりのような調子でキリストのたとえ話を説明している間、その幼い子に笑いかけ、愛撫し、自分の宝をうっとりした目で見つめ続けるのだった。
 神父の話が終わり、茶菓が振る舞われると、男たちは今しがた聞いたことについて思いきって意見を述べ、それから自分らの商売の話に移って、日に日に苦しくなっていく暮らしのことを嘆いた。年とった人たちと、とりわけこの家の娘たちは、赤子のまわりに群り、代わる代わる抱き合った。・・・・

 私が東京で知った前田という男は、京都で役人をしていたが、東京生まれのせいか、自分を島流しにあった人間のように見ているところがあった。東京生まれで、文明を鼻にかける男の目には、京都の住民は軽率で、口が軽く、ぶらぶらしていて、あまりにのどかな人間に映るらしい。・・・
 私たちは、京都の町から少し離れた桂川の急流のほとりで、私の京都での最後の午後を過ごすことに決めていた。鉄道が、桜の花盛りの一週間、花の香に酔ったあらゆる人びとをそこへ運ぶ。・・・・
 私たちは、舗石の敷かれた並木道の奥の小さい料亭を選んだ。扇の形をした透かし彫りのある塀がこの料亭を囲んでいる。
 日本の諺に、「立っている者は、親でも使え」というのがある。美しい景色を前にし、酒の杯を手にして、あるいは夢想に耽りながら、日本式の畳の上に坐り、半ば身を横たえた時に人が覚えるあの甘美な怠惰の情を、これ以上に表現しうる言葉はないだろう。われわれヨーロッパ人が快適な安楽椅子から身を起すのに要する努力は、日本人ガ立ち上がり、身を動かすために求められる努力とは比較にならない。
 前田と私は、二階の一室に横になった。欄干からは、身をくねらせる川の流れが見渡され、森の深いしじまが聞えんばかりである。小舟の行き交うのが見える。川岸のしだれ柳を静かにゆするそよ風には、稲の香がかすかに混っている。
 最初の酒を飲みほした時に、私は前田に言った。「京都を去るのが私にとってどんなに辛いことか、あなたには分かりますまい。京都はまことにユニークな都市です。ここでは旧き日本の心の鼓動しているのが、今も聞かれます。その数々の宝を知らせて下さったことに、心からお礼を申します。・・・・・」
引用終わり
posted by 小楠 at 07:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
狭い家に住んでいるけれど貧民でないというところに苦笑してしまいました。こちらは大きい家が多く、私が「狭い家の方が好き。掃除が楽だから。」と言うと、「えっ、そんな理由で?」と大変驚かれます。
狭い家を丁寧に掃除して、気持ちよく暮らしたいというのは、日本人独特の感覚かもしれません。
林真理子さんの小説に『胡桃の家』というのがあって、胡桃材でできた柱を長年手入れしてピカピカにしているという逸話が出てきます。話の筋は忘れてしまったけれど、「そんな暮らし方がしたい。」と思ってその部分がとても印象に残っています。どんな話だったか、もう一度読んでみたくなりました。
Posted by milesta at 2007年11月29日 07:57
milesta 様
最近は家の規模も結構大きくなってきましたが、いつも思うのは、家族の人数に応じた規模が最もいいのではと言うことです。
その理由の一つが掃除であることに、私も同意します。
遣わないような部屋まで手が廻りませんよね。
Posted by 小楠 at 2007年11月29日 11:57
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