「日露戦争下の日本」
ハーグ条約の命ずるままに、ロシア軍人捕虜の妻の日記

少し引用してみます。
ある日私(捕虜の夫人)は、高浜の赤十字社のテントの中で、その日与えられた自分の仕事をしていた。そして昼から四時ごろまで、遼陽戦で敗れた捕虜が上陸してくるのを、日本側が食事の世話をし、看護治療して豆列車に乗り込ませる手配をしているのを見た。
負傷兵たちは衰弱し、失望落胆して、憐れな有様だった。下士卒の多くは、この意地悪な小人(日本人)たちが自分をコマ切れにして苦しめるだろうとまだ思い込んでいた。
将校たちは、気の毒にも、屈辱と言い難い不面目さのために苦しんでいた。ひどく傷つけられた誇りは、射撃された痛みや負傷した身体の激痛にまさるものだった。希望もなく、意気消沈して苦しみながら、目を閉じて動こうとしない。満州のあの不毛の丘陵や泥の海とはうって変わって、今彼らの周りに開けている美しい緑の丘や碧い海を眺めようともしなかった。
このような活気を失った人達に私が話しかけると、そのロシア語を聞いて、彼らの顔がいきいきと輝きはじめるのだった。
私にはそれを見るのがとても嬉しいことだった。
「ああ、神様!つらい日々が続いた後で母国の言葉を聞けるなんて、ここは本当に日本なのか。あなたはロシア婦人だ!どこから来られたのですか?あなた、捕虜なのですか」
そして、私が自分のことを話して聞かせると、彼らはとても驚いた。この人達は、日本人が私をここに滞在させて私の負傷した夫を毎日看病させていること、あるいは私が安全であることを、ほとんど信じられなかったのだ。
「なるほど!日本人は僕をびっくりさせています。何故なら何時も僕に親切でしたから。僕たちは日本の負傷兵と同じように扱われてきました。僕たちが大連へ向かう列車の中でうめいていた時、日本人は心配して本当にこう言ったのです。『この負傷したロシア兵たちはこれから先がたいへんだ。日本に着いてからあまり気楽になれないだろうって・・・』。
確かに鉄道の旅はこの上なくひどかった。だから、日本兵が戦場で僕を見つけた時に、コサックがやるように銃剣で突き殺してくれたらよかったと思うくらいだった。僕は殺されると思っていたのです。ところが僕は拾いあげられて、軍医の所へ運ばれた。傷の手当を受け、食事を与えられ、団扇であおいでもらい、口に煙草をくわえさせて火までつけてくれました。こんなことを僕は全く予想していなかった!それからフランス語の通訳が来て、僕がロシア側の報告で行方不明になっているから、家族が心配しないように、自費で電報を打ったらどうかと教えてくれました。
僕にとってすべてが不思議に思えてびっくりしています。おまけにあなたをここに滞在させているなんてますます驚かざるを得ません。こういう日本人はまったくわからない!僕はここへ来るまでこんな日本人の話を聞いたこともなかった」
彼は、もっと私と、いつまでも話していたかったらしいが、私は彼の話の内容について日本のご婦人たちには詳しく説明しなかった。何故ならいずれここのご婦人方が彼によくしてあげて彼を驚かせ、私の代役以上に熱心に尽くして下さるにちがいないから。
引用終わり。
この他にも、日本の婦人に誘われて、お月見やお花見に行き、そこで見る日本人の感性の繊細さには驚嘆しています。この本は是非一読をお薦めします。
Nikaiとかなんとかいう売国奴がShineと脅迫されたそうでYukaiです(笑)。
日露の戦いでは日本軍は世界から賞賛されましたねー。アジアだけでなく、トルコ、北欧諸国もロシア嫌いでしたから。
ケイさん、
やつぱり二階が脅迫されましたか、こんな奴は政治家でも何でもない、どんどん肩身が狭い思いをさせるべきですよ。
相互リンクしていただき、恐縮です。&勝手にジャンル付けしてしまってスミマセン^^;
日露の陸戦では、休戦をとりお互い自分達の仲間の死体を片付けたという話を初めて読んだときは衝撃を受けました。
ここ100年の日本の近現代史。
闇ばかりかと思ったら壮大な光が存在していたことを確信し、いろいろ学ばせていただきたいと思います。
こちらこそ有難うございました。
本当はずっと沢山あるこの光の部分をどんどん訴えていきましょう。
宜しくお願いします。
ここでご紹介したのが新人物往来社のものです。
著者もエリザ・R・シドモアになっていますよ。