2007年11月20日

GHQの日本洗脳工作2

米軍発表「太平洋戦争史」論、排日移民法・満州国

江藤淳氏の著「忘れたことと忘れさせられたこと」の末尾付録1に、昭和20年12月8日大東亜戦争開始四周年を期して発表された、米軍司令部当局提供特別記事「太平洋戦争史」がいかに米国に都合よく、日本=悪の思想を日本国民に浸透しようとする意図のものであるかを批判する、総務局資料課の富枡嘱託の論が掲載されていますので、ご紹介しようと思います。なお、文中同文とあるのは米軍司令部当局発表の「太平洋戦争史」のことです。(旧漢字やカタカナの原文を読み易くしておきました)
写真は満洲皇帝即位のため龍袍を着用した溥儀
sokui.jpg

引用開始
3、排日移民法
 次に同文は、近代世界政局に於て、日米両国間相互離隔又は離反の契機として重大意義を有するに至りたる1924年7月1日排日移民法を全然黙殺せり。同法規定特に「重大なる結果」(「最後通牒」用語にして出先官憲に依る使用厳禁を犯したる埴原大使の明白なる過失)用語を口実として同案通過(筆者は三日前に用語の危険性を指摘し且つ爆発後善後策に関し大使の相談を受けたり)に関連したる米国上院の横暴は、痛く我国朝野の識者を刺戟したり。然も我が政府が隠忍、自重ただ善処せんとの努力も遂に水泡に帰するに至りたるを以て、爾来我国政府当局は勿論国内一般識者は移民問題、支那問題、比率問題其の他を網羅する広義の「太平洋問題」に於て日本は遺憾ながら一切の重要争議事件を米国と商議、談合の下に善処するの到底不可能たるを(一字不詳)得し、一度時期到来し国力充実するに至らんか、米国の好むと好まざるとに拘らず単独行動を以て解決せんと決意するの止む無きに至りたり。是を以て日米外交史上一大回転契機となす。今ここに太平洋戦争覇史を通観し、日露戦争以来歳と共に漸次加速度的に深刻の度を増加したる米国の対日圧迫政策が事ごとに我国の進路を阻害し其の進展を阻止するに在りたる事、益々明瞭たりしを想起すれば、這般(しゃはん)日本の決意は当然たりしというを得んか。・・・・
 要するに今日米軍司令部当局が「太平洋戦争史」を叙述するに当り「日本大陸政策の原動力」としての米国排日移民法に関し何等言及する所なかりしは、同文が所論の公正を欠き且つ如何に我田引水に終始せるかを例証するものとなすべし。

4、満州国
 満州国建国に関する一連の日本政策は、少なくとも従来米英両国が各々自国発展の過程として世界政局史上に印跡し置きたる国際慣例に準拠したるものというべし。即ち米国の「テキサス」国独立ならびにハワイ合併は其の先例に外ならず。但し右慣用手段に表われたる国際道義面に於ては筆者が米国に於てよく弁証、弁護し得たる所なるも、然も我国軍部に取りここに銘記すべかりし点は其の国際実行面に於ては米英両国が相互協力の下に、日独両国の如く「持たざる」後進国をして自己と同一なる国際道義を以てしても既に今日となりては発展、膨張するを許容せざる決意と武力とを有するという重大事実なりしなり。

5、不戦条約
 同文は不戦条約中に重要なる保留項ある事を故意に没却し居るも、米国はいわゆる「モンロー主義」に関する広潤なる保留をなし、我国もまた自衛権に関する明確なる保留をなし、米国をして是を承認せしめ居れる事実あり。而して我国自衛権は本文第一節に掲げたるワシントン会議後に於て支那全面に亙る「九カ国条約」の精神は勿論其の条項に違反して公然と行われたる国民政府の排日、抗日政略に対して発動するに至りたるものなり。
「リットン」報告書に於てすら我国の出動に至りし我国の窮境を叙して「満州に於ける日本権益の駆逐を目的とする支那の排日、抗日ならびに北方より満州に南下する共産ソ連の威嚇に対する深大なる憂慮」に起因したりと論ぜし程なり。尚同報告書が聯盟理事会に対し満洲事変解決法として「満州の国際管理」を勧告したる事実其の者は以て「九カ国条約」中主要眼目たる「支那領土保全」ならびに「行政権保全」主義を無視したる破目となり、ひいては当時「スチムソン」一派により唱道せられたる米国政府主張にかかる「九カ国条約」主義の破滅を招致すべかりしとす。

6、廣田三法則ならびに天羽声明
 同文は廣田三法則ならびに天羽声明を指摘して、我国政府を難じ居るも、要するに両者の内容を検討すれば、日本は米国が西半球に於て永年行い来りたる所を、支那全面に於て実現せんとせし努力に外ならず。即ち1823年以来米国が自己の仮想的に対し「大西洋の此方に来るべからず」なる同一根本思想を、国際政治上日本が「太平洋の此方に」適用せんと主張したるに過ぎざるなり。而してここに留意すべきは、同一主義を適用するに当り後者が専ら左顧右眄、臨機善処に没頭し前者の「ブルドッグ」的執拗性を以て同主義を固持し得ざりしは、我国国策遂行上に脆弱性多かりしに依らずんばあらず。
 以上第一節〜第六節に於て検討したる処に依り約言すれば、ワシントン会議より満洲事変終了に至る前掲米軍司令部当局の記述は、左に挙ぐる極東問題に関連する「原因結果」の連鎖順環の方程式を無視したるものなりというべし。
支那革命外交(日本権益駆逐)
米国の対日刺戟(排日移民法)+日本出動=支那−満洲
ソ連の軍力撃退(革命余波)

引用終わり
posted by 小楠 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中のアメリカ
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