2007年11月19日

GHQの日本洗脳工作1

米軍発表「太平洋戦争史」論、奉天事件・比率建艦

江藤淳氏の著「忘れたことと忘れさせられたこと」の末尾付録1に、昭和20年12月8日大東亜戦争開始四周年を期して発表された、米軍司令部当局提供特別記事「太平洋戦争史」がいかに米国に都合よく、日本=悪の思想を日本国民に浸透しようとする意図のものであるかを批判する、総務局資料課の富枡嘱託の論が掲載されていますので、ご紹介しようと思います。なお、文中同文とあるのは米軍司令部当局発表の「太平洋戦争史」のことです。(旧漢字やカタカナの原文を読み易くしておきました)
写真は奉天事件、今ではスターリンの命令と言われる張作霖爆殺現場
bakushi.jpg

引用開始
 昭和20年12月8日大東亜戦争開始四周年を期し在東京米軍司令部当局は都下各新聞紙に其著述せる「太平洋戦争史」なる長文の記事を発表し[「パールハーバー」奇襲より「ミズリー」艦上無条件降伏に至るまで]の太平洋外交関係、特に日米支三国関係に関する外交を論評したり。
 其の目的とする所は「日本国民は是に依って如何にして敗れたか、又何故に軍国主義に依ってかかる悲惨な目に遭わねばならぬかを理解」せしめ、更に「是に依ってのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し国際平和社会の一員としての国家を再建する為の知識と気力とを持ち」得せしめんというにあり。

 然るに同文はワシントン会議以来過去ニ十余年に亙るいわゆる「極東問題」に関係する日米外交、日支状勢ならびに戦争突発の推移を叙述するに委細を極め従来唱導せられたる米国観点に準拠し、一応前掲目的達成に努めたる形跡歴然たるものあれども、然も精読検討すれば、第一次大戦終了より第二次大戦開始に至る日米支三角関係を基調とする一連の「原因結果」順環を正視せず、国際政局上に現出する不断の連鎖中に於て、専ら自己に有利なる観点に従い特殊事件のみを断片的に論過し去りたるの弊あり。即ち米支両国が「能動的」に執りたる政策に関し日本が対応策として「受動的」に執りたる所を「単独的」又は「孤立的」に指摘、特記し居れり。且つかくの如く日本の「結果的」政策を米支の「原因的」政策より分離せしめたるのみならず、是を誇称して一に日本の「自発的」なる「侵略政策」なりとする誤謬に陥れる所少なからず。
 是を要するに、高所に立ちて国際政局の全面的運行を鳥瞰眼的に洞察するの公示を欠き、前掲の如く従来米国に於ける極東問題観察の通弊たりし「原因結果」なる一連不離の連鎖を無視し、徒に日本誹謗を目的とする独善的過失を繰返したるの非難を免れざるなり。
 今同文中主要なる適例を列挙考察すれば、左の如し。

1、奉天事件
 「太平洋戦争史」は劈頭満洲事変を論じつつ「第二次世界大戦は何人も気付かぬ中に極東に於いて開始された」と説起し、日本を誹謗する事急にして其のここに至りしゆえんを故意に観過し、且つ根本的「原因」を没却し去りたり。
 そもそもワシントン会議後に於ける日本政府の対支政策はいわゆる「幣原外交」を以て知られたる善隣外交に基調を置きたるに拘らず、国民政府はワシントン会議に於ける帝国の協調を誤測して「裁判官たる米国の面前に拉致すれば、日本は組し易し」となし、会議終了後漸次在満ならびに在支我が国の権益を駆逐し去らん事を意図するに至れり。其の結果として支那全域に亙る排日排貨ならびに排日行為は劫火の如く蔓延し、従ってワシントン会議の精神は勿論「九カ国条約」規定にかかる条文,項則は全く水泡に帰するに及んで東亜の天地再び寧日無きに至るの惨状を現出したりというべし。
 要するに同記述は、ワシントン会議後数年間に於て顕著且つ重要なる極東問題に関する国際政局上に於ける時代思潮としての「幣原外交対支那革命外交」なる意義を健忘せるの罪ありとす。

2、比率建艦
 同文は日米海軍問題に言及して「米英海軍建艦は1922年以来遅れていたが、日本海軍は極東水域に於ける支配力を強化するため条約の制限界まで建艦を進めていた」と暗に又は含蓄的ないし推論的に日本建艦を非難し居れり。同種の日本誹謗は1935、6年の交海軍条約破棄当時米国に於て繰返されたるが然も日本海軍の「極東水域に於ける支配力」はワシントン会議に於て米英両代表がしばしば承認、闡明したる所にして同時に「条約の制限界まで建艦」は彼等の快諾、調印せる所なり。依って日本海軍の比率充実は正当なる条約履行の外ならざりしなり。
 是に反して米英両国の建艦遅滞は其の理由経済的なると政治的なるとを問わず、条約の命ずる比率割当の精神に違反したりと言うも過言ならず。更に米英の建艦遅滞又は怠慢理由は第一、優大比率を有する両国は当然の結果として速時建艦せずとも自国の安全保障を確保し居りしが為にして、第二、世界政局に於て米英は不測の危機に際し急速に共同協力の確信ありしを以てなり。
 従って条約下に於ける建艦を以て米軍司令部当局が自国の条約精神違反に帰する怠慢を悟らず反って依然として日本を誹謗するはワシントン海軍軍縮条約其者を非難するに同じく其の当らざるや遠し。
 尚、付言すれば、そもそも短小武力所有者が優大武力所有者に対して取るべき戦術の奇襲に外ならざるは古今世界各国兵法の通義たり。依って「パール・ハーバー」奇襲は多年日本政府の継続的反抗に拘らず短小比率を我方に強要したる米国政府の対日海軍政策に「原因」したるものなり。換言すれば「パール・ハーバー」奇襲は米国政府のワシントン会議に於ける比率工作が誘致したる「結果」に外ならずして、根本的にいえば其の責任たるや米国政府の上にあり。
 翻って別種の考察なるもこの際我等の内省留意すべかりし二点あり。即ち第一、当時日米政局危機打開策として「パール・ハーバー」奇襲強行なる作戦法が相当の成果を挙げ得べしとの予測が我が方開戦に関する直接原因の一となりたるにあらざるや、第二「パール・ハーバー」奇襲が「ロ(ルーズベルト)」大統領をしていわゆる「トレチャラス・アタック」に遭遇し防禦という美名、口実の下に敵党なる共和党ならびに孤立派に対し国内結束を強要せしめ得たるの政治的意義を我が方が観過ごし去りたるきらいなかりしや。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中のアメリカ
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