『日米開戦の悲劇』ハミルトン・フィッシュ著より
ハミルトン・フィッシュは1888年ニューヨーク生まれで、1919年から1945年まで12回にわたり米国下院議員に選出されました。

引用開始
フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるというルーズベルトの最終目的を達成させることであった・・・
ルーズベルトはわれわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである。
米国民の85%は、第二次世界大戦はもとより、いかなる外国における戦争に対しても米軍を派遣することに反対していたという現実にもかかわらず、ルーズベルトは、欧州戦争の開始当初から、米国は同戦争に参戦すべきであると確信していた。この大戦は、結果として、30万人の死亡者と70万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらしたのである。
今われわれが教科書で教わっているところによれば、われわれが第二次大戦に参戦した理由は、日本によるパールハーバーへの攻撃である。しかし、その後明らかになった諸事実によれば、これは現実的ではない。
ルーズベルト大統領およびコーデル・ハル国務長官は、パールハーバーの10日前に、日本に対し、意図的に最後通牒を送っている。そのメッセージは、「日本の陸・海・空軍および警察を、インドシナ(ベトナム)と満州(中国)から引き揚げよ」というものであった。これによって日本には、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されなかった。
この“戦争”への最後通牒は、1941年11月25日に秘密裡に行われた。ルーズベルト自身の“戦争内閣”会合の翌日に、ルーズベルトにより送付された。・・・略・・・
戦争内閣は、ルーズベルトの他に、次のメンバーを含んでいた。
ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、ジョージ・マーシャル将軍、ハロルド・スターク提督、このすべては、戦争賛成派である。
彼らの11月25日の会合の議題は、いかにして日本に戦争を押しつけ、戦争に導き、あるいはだまして戦争に陥れるか、であった。・・・略・・・
その二日後、大統領は、スティムソンに対して、どうして日本はいまだにわれわれを攻撃しないのであろうか、と口にしている。
長年にわたって、私はほとんどの米国人と同様に、われわれが参戦した理由に関するルーズベルト政権のプロパガンダを信じてきた。当時、私は外交委員会における共和党主要メンバーとして、大統領がわれわれを戦争にまきこむことを防止するための闘いを下院において指揮していた。私は、共和党下院議員の90%の支持および、おそらくは民主党側の半数の支持を得ていた。
パールハーバー翌日の12月8日、私はラジオを通じたものとしては初めての、下院からのスピーチを行った。このスピーチは、宣戦布告であり、ルーズベルトの「恥ずべき行いの日」宣言を支持し、日本を、和平交渉継続中に米国を攻撃した戦争挑発者として非難したものである。・・・・・
いったん宣戦布告が行われてしまえば、たとえその時点で、米国がいかにして戦争にまきこまれたかに関する真実を知っている者がいたとしても、その真実を明かすことは反逆行為となってしまったであろう。
真実が次第にもれはじめたため。ルーズベルト政権は、米国史上始まって以来、最大のプロパガンダ機関を動員した。つまり彼らは、対日最後通牒発出をはじめとした種々の事実を隠すための大がかりな作業を行ったのである。
引用終わり
この書の導入部分で、ハミルトン・フィッシュ他の議員たちは、最後通牒に関しては何も知らされておらず、ごく一部上記の戦争内閣の者たちによって、それが秘密裡に行われたことが示されています。
ご指摘のように、日本が真珠湾を奇襲攻撃したことで、ヒトラーは三国同盟に基きアメリカに宣戦布告した。ルーズベルトは基本的に敵とみなしていたドイツと戦争する切符を手に入れたことになった。ルーズベルトこそ孤立主義的な国民を大規模な戦争に導いた張本人であった。
真珠湾については色んな書籍が出ていますが、ハミルトン。フィッシュは当時の議会の中にいたということで、私も信憑性が大であると思っています。あと二回ほど掲載する予定です。
今後ともよろしくお願いします。
本当に日本人のまじめさ、純粋さは美点ではあっても、陰謀の渦巻く国際間では通用しないですね。政治家、官僚には、他国が歴史上やってきたことを十分研究して、史実に基づいた世界観と交渉術を身につける必要が切望されますね。