2007年11月16日

明治初年市井の生活

ブスケ 日本見聞記1

「ブスケ 日本見聞記(フランス人の見た明治初年の日本)」の中からご紹介します。ブスケは1872年[明治五年]に日本政府の法律顧問として四年間滞在しました。
 先ずその緒言の一部で「この好機を逸せず、まだまだ知られていないこの国民の外的及び内的生活を事実に基いて知ることができた。私は、我々の文明よりもはるかに古く、同じように洗練され、これに劣らず成熟した文明が私の眼前で花を開いているのを見た。私は、その文明の花と我々西洋文化の花との違いに心をうたれ、根元まで探り、この国の芸術的・精神的表現をこの国の構造に基いて尋ね、その国民の心理をその作品の中に求めようとするに至った。私は利害に捉われない・良心的な観察者として、この調査を体系的でもなく、また成心もなしにつづけてきた。私は自由な証人として語るのである・・・」と述べています。
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引用開始
 大川は大商業活動の舞台であるばかりでなく、大衆の娯楽の舞台でもあり、この娯楽は呑気で陽気な一国民の大きな行事であるらしい。
 最も凝った行事は両国橋のたもとで毎年6月28日に行われる大花火である。川の両岸には、夕方6時から早くも、派手な着物をきた大勢の人々が集ってくる。赤づくめの着物をき、鳥の羽で作った一種の帽子をかぶった何人かの子供が通行人の前でとんぼがえりをうってみせる。橋は人で一杯であり、左岸の本所から流れでてきた水路は船で一杯である。好奇心をそそるような仕掛けをしたアーチがつぎつぎと空に描かれるのを見るのはすばらしい。

 これらの大勢の人々を見るだけでもかくも強い喜びの印象を生むのは、この多くの人々の上にどんな不思議な威力が働いているのだろうか。日が落ち、見世物の場所が変わり、舞台はもう河岸ではなく河自体の上である。船がひしめき合い、各船は上機嫌の市民を満載している。こちらには、昨日は商売に用いられまた明日も商売に用いられる船の中に、真面目な商人一家が質素に化粧もせずに見せるためでなく見るために乗っているかと思うと、あちらには非のうちどころのないほど化粧をし素晴らしい着物をきた婦人たちが夫と共にいる。彼女らは静かに楽しんでいる。もっと遠くには、「ゲシヤ」(芸者)――舞妓――が数名きわめて優雅な無言劇を演じており、楽人が三味線で彼女らにあわせている。
 隣の船には白絹の長いマント(羽織?)を着た一人の若い男が悠々と横になり、そばでは三人の女が坐り、代わる代わる彼をあおいでいる。彼はすでに「サキ」(酒)に酔っており、目は輝き微笑をたたえ、やっと立上がって岸にある鯨幕と吹流しのはためいている茶屋に入ってゆく。夜になるとすぐに、一万か一万二千の船が、暑い夜のそよ風の下で各種各様の図柄をみせまた無数の蛍のようにゆらぐ、あらゆる形の、あらゆる大きさの、あらゆる色の提灯をかかげる。

 最初の花火が打ちあげられると、狂熱的な歓声が二十万の胸から沸きあがり、爆音のおこる度毎に繰返される。ひけ時がくると、各船はこの紛糾している混乱から抜けでようとする。そして一同はよろめく「ムスメ」(娘)――若い女――と眠った老人を伴いながら彼らの目的に向って静かに流れてゆく。
 このような混雑の中なのに強くぶつかり合うことも粗野な言葉を交わすこともない。これが民衆の生活である。その目的とするところは、生活するに必要なだけの充分な金を儲けて、楽しむ機会を逃さぬことである。
 民衆はこのように幸福であったが、西洋が彼らを締めつけている。勤勉な労働の必要がヨーロッパという競争相手とともに入ってきた。幼年時代の気楽な楽しみよ、さらば。苦労の多い時代が遠からずやってくる。

非宗教的祭
・・・彼らの国民的な好みとしては、その自然の風景好み、彼らの草木や花に対する愛好以上の特徴的なものはない。金持ちがその住居の周りに植木を植えるだけでなく、どんな質素な家でも境や庭になんらかの潅木を植えまた瓶に生けた花で家の中を明るくしていないような家はない。
 彼らはそれで社寺を飾り、それで祭壇を飾り、菓子や盛りものをそれとともに供えさえする。気に入りの花の種類にはそれぞれその名所がある。その季節となると多くの人がそこにやってくる。春には、東海道の「ムメ・ヤシキ」(梅屋敷)に「ムメ」(梅)の咲くのを見に行く。少しあとの四月には向島、上野、王子に、桜の木からばら色の雪が降りそそぎそれを囲む樅の木の濃い緑と見事な対照を作っているのを見にゆく人々が群をなして赴く。

 朝から夜まで、これらの庭園はあらゆる年齢、あらゆる境遇の散策者で一杯になり、それらの人々にとっては紙の提灯で飾られた小さい竹の小屋がしばしの憩いの場所となる。そこでは菓子、茶、桜湯が供され、おもちゃが売られている。若い娘が音楽を奏で、皆が幸福、無頓着、陽気を味わっている。
 六月は、こんどは「フジ」(藤)の番である。野外の宴が催される。詩人は詩情を吐露し、記念の歌を彼らを憩わせてくれた木の枝にぶらさげる。
 それからほどなくして、江戸の人々はその親しい川の岸にゆき、附近の沼地の中でさまざまな色や姿でおひただしく生えている菖蒲を賞でにゆく。最後に、秋になると「キク」(菊)が愛でられる。これが植えられている庭は、凍った霧が地平線を曇らせ、花が枯れ、日本人が家に閉じこもるようになるまでは、おとなう人がたえない。そこでもまた、裕福な人々は驚くほどの忍耐と心づかいがつくり上げた、なお生き生きしている盆栽、苔、目を楽しませる箱庭を観賞することができる。この自然に対して捧げられた崇敬は流行でもなく、また月並みの興奮でもない。これは本当にこの民族の天賦の本能である。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
久振りに貴サイト拝読。
世界でもっとも平和を尊び(争わず)季節の移り変わりと花鳥風月(単なる草木をも)を愛で深い高い文化水準を持った少なくとも江戸と明治の日本人に敬意を顕わします。
Posted by 田中信俊 at 2007年11月16日 13:39
田中信俊様
激動の時代であっても、心の余裕というか、肚が坐っているというか、当時の日本人は立派ですね。
外国からも高い評価を受けていた独自の日本文化を、もっと真剣に子供たちに教え、自信と誇りのある日本人になって欲しいと思っています。
Posted by 小楠 at 2007年11月16日 17:29
「この民族の天賦の本能」は失われてしまったのでしょうか。
たまたま今日、「御意見番日記」さんのエントリを拝見したタイミングで
http://blogs.yahoo.co.jp/dune01220227/50421162.html
この記事を拝読しましたので、ちょっと考え込んでしまいました。
Posted by おばりん at 2007年11月16日 18:25
おばりん様
私も「御意見番日記」さん覗いて見ました。
当時の外国人は必ずと言っていいほど、日本人の正直、礼儀を賞賛しますね。
さて今の日本人を、特に夜の街をうろついている日本の若者を見たら何と思うのでしょうか。
Posted by 小楠 at 2007年11月17日 07:45
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