2006年05月10日

日露戦争開戦へ

 ヘンリー・ダイアーは、明治の初期より約10年間、日本の科学工業発展を支える多くの教え子を育成してきました。同時に、当時の世界における日本人と日本国の立場を、国際状勢から客観的に見ていたのです。
 どこかの国が日露戦争までを侵略戦争などと馬鹿げたことを言い出しているようですが、これは言いがかりのための嘘だということをはっきり認識させてくれます。
『大日本』ヘンリー・ダイアー著より。
引用開始
「日本歴史の建設」
 不平等条約の改正交渉に長い歳月を費やし、日本人がつくづく思い知ったのは、自分達の正当な主張に相手の耳を傾けさせるには、日本がもっと強い国になるのが先決で、そのための国の政策が必要だという認識である。ヨーロッパの列強、とりわけロシアという強国が侵略してくるのではないかという恐怖心から、日本人はそういう意識をますます高めていった。日清戦争に勝利を収めた直後、そのロシアがフランスおよびドイツと組み、日本が清国から手に入れた遼東半島の返還を迫ったことは、日本人の敵愾心に火をつける結果となった。日本人は決して急ぎはしなかったが、しかし着々と陸海軍の戦力の増強に励み、国内の交通通信網の充実を図って、やがて自分達の国を一大軍事強国に育て上げたのである。
 日本人は、だからといって自分達に外国を侵略する意図などはまったくないことを明らかにしていたが、それと同時に極東の情勢の推移を注意深く分析することを怠らず、もし不法にも自分達の繁栄を脅かしたり国の存在を危うくするような行為に出る外国勢力があれば、断固として最後まで抵抗する決意を固めていた。
 ロシアの行動は長いこと日本人の不安の種だったが、とりわけ日清戦争後にロシアが満州で示した振舞いは、日本人に重大な危惧の念をいだかせるに充分なものだった。日本はこの問題についてロシアと意思を疎通したいと切望し、忍耐強くロシアに働きかけてきた。日本の自制的な態度は、日露両国の対立に中立の立場をとる国々から称讃を浴びた。・・・略・・・
 こうした提案は、しかしロシアを満足させなかった。まさか戦争に訴えるようなことはあるまいと高をくくったロシアは、その野心をあからさまにした対案を日本に突きつけてきた。・・・略・・・
 その上でロシアはさらに、�@朝鮮海峡の韓国沿岸には、海峡の自由航行を妨げる要塞の設置を認めない、�A北緯三十九度以北の韓国領土を非武装中立地帯とし、軍隊の引き入れを禁止する、�B日本は満州における政治的権益をすべて放棄する、という一方的な要求をしてきた。こうした要求は、ロシアが日露間の懸案事項について、穏当な解決を図る意思がないことをはっきりと示している。

「日露開戦へ」
 日露両国の外交交渉は、一進一退を繰り返しながらその年(1903年)の年末まで続いた。12月21日、日本政府はそれまでの交渉内容を踏まえ、ロシア政府に対し日本としての協定の<最終確定案>を提出した。この最終提案は、満州の占領を続けるロシアの態度を断固として否認し、清国の独立と領土の保全を保障することを目的としていた。
 明けて1904年の1月中旬、サンクトペテルブルグ駐在の栗野慎一郎全権公使は、日本側最終提案に対する<速やかな回答>をロシア政府に促すよう、本国政府から訓令を受けた。
 そうするうちにも、ロシアは極東における陸海軍の増強に狂奔していた。ロシア海軍の予備艦艇を一隻余さず極東に回航したのも、明らかに日本を威圧しようという狙いからだった。1月26日、サンクトペテルブルグの栗野公使はロシアの外相ウラディミール・ニコラエヴィッチ・ラムスドルフ伯爵から、ロシア政府は満州問題に関してはいささかも譲るつもりはないが、その他の件については日本の要求にかなりの譲歩をする用意があるとの通告を受けた。しかし、日本の最終提案に対しては、依然としてロシア政府の正式回答を示そうとはしなかった。ロシア側が時間稼ぎを狙っているのは、あまりにも歴然としていた。
 2月5日、日本の外相小村寿太郎伯爵は栗野公使に対し、「現下の徒労に属する談判はこれを断絶する」旨をロシア政府に通告するよう訓令した。その時すでに、ロシア軍部隊は満州から鴨緑江を越えて韓国北部に侵入しつつあった。・・・略・・・
 係争中の問題を戦争という手段で解決しようとロシア政府が決心していたことは、交渉の決裂に先立つ一年前にロシアがとったいくつかの行動がはっきりと裏付けている。ロシア政府は、1903年の4月までに満州から撤兵を完了すると約束をしていたが、その約束を履行するどころか、出来る限り急いで陣地の増強を進めていた。その年、ロシアは極東海域に向け戦艦三隻、装甲巡洋艦一隻、その他の巡洋艦五隻、駆逐艦七隻、砲艦一隻、機雷敷設艦二隻を回航した。他に駆逐艦七隻を鉄道で旅順港に陸送して合流させ、また<義勇艦隊>の二隻の商船にウラジオストックで武装を施し、ロシア海軍のエンジンを搭載した。その一方で、かなりの数の陸軍部隊を満州に送り込んだ。
引用終わり。

ヘンリー・ダイアーの「大日本」では開戦の経緯をこのように述べています。彼は1882年に帰国していますが、「大日本」全19章で完結予定のところ、日露開戦に伴って急遽第20章を補遺―日露戦争の勃発として追加しました。
posted by 小楠 at 07:31| Comment(3) | TrackBack(1) | 書棚から真実を
この記事へのコメント
昨日、経済同友会が小泉首相の靖国神社参詣を批判したと報道された。
対中貿易に支障をきたすから止めよという趣旨であるが、真に情けない話だと思う。
商売のためには民族・祖国・国家の名誉も誇りも投げ捨てよといっているに等しいことではないか。
独立した主権国家に、こういうことを迫る相手、つまり商売を人質にとって祖国を裏切ることを求める国に媚を売ってまで取引する必要があるかと問いたい。
戦後日本の堕落は、こういう企業ないしは組織のトップの精神的堕落、アイデンテイテイーのメルトダウンに起因している。
Posted by Minesan at 2006年05月10日 08:08
我が日本の戦前は階級社会で"人材/Noblesse oblige"と言われる人たちが大勢居て国の威信を保つため命を賭けて頑張ったのに・・・。それなのに百年も経たないうちに堕落した国に成り下がってしまいました。これは戦勝聯合国特に米国の陰謀でしょうか。日本人の資質でそうなる命運なんでしょうか。政官財界ともに人材が居ない育たないのは日本人が去勢されたんだと諦めないで早速年少者の教育内容を見直すべきです(時間がかかります)。教育が普及し過ぎて浮薄だけが蔓延した日本再生の為に階級制度を復活すべきだと思います。反日さんのBlogを読むたびに実感します。
Posted by ケイさん語録 at 2006年05月10日 20:23
>>Minesan
経済同友会は本末転倒も甚だしいですね、国家の存続がなくてどうして商売が成り立つのでしょうか。やはり経済的な地位と人格は全く別ものですね。

>>ケイさん
>>早速年少者の教育内容を見直すべきです(時間がかかります)
確かに時間がかかりますが、一番の早道でしょうね。
一年の計は穀を樹(う)うるにあり、
十年の計は樹を樹うるにあり、
百年の計は人を樹うるにあり。
と言う古典の言葉を思いだしました。
Posted by 小楠 at 2006年05月10日 21:31
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