2007年11月12日

東京裁判弁護資料10

ローガン弁護人冒頭陳述「太平洋段階第二部・日本に対する聨合国の圧迫」

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
これは昭和22年8月4日のもので、結果は全文朗読です。
写真は日米交渉に政治生命をかけた近衛
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引用開始
 我々は法廷に対し次の如き供述を致し、これにより日本に対する聨合国側の圧迫に関する日本側の見解についての証拠を爾後我々が提出します時、これを法廷御一統が充分に御了解下さいます事を希望いたします。我々の第一の目的は、次の事実を証明することであります。即ち、先ず欧米諸国は、日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行う事、又、真珠湾に先立つ数年間、右の諸国は、故意に、計画的に、而して共謀的に、日本に対して経済的軍事的圧力を加え、しかも、その結果が戦争となることは充分に承知であり、そう言明しながら、彼等が右の行動をとったという事実であります。又肯定的弁護として次の事実が証明されるでありましょう。即ち、情勢はいよいよ切迫し、益々耐え難くなったので遂に日本は、欧米諸国の思う壷にはまり、日本から先ず手を出すようにと彼等が予期し、希望した通り、自己の生存そのもののために、戦争の決意をせざるを得なくなったのであるという事実であります。

 その結果から見て、かくの如き希望が果して正しかったか否かということは、将来の歴史のみが大局的に判定するでありましょう。今ここで我々が問題とするのは、日本を遮二無二戦争に駆り立てるために用いられた手段であります。・・・・・
 1911(明治44)年以来日米両国間に結ばれて来ました通商航海条約は1939(昭和14)年米国側の廃棄するところとなり、1940(昭和15)年一月を以て失効することとなりました。対日物資輸出禁止は米国の政策の一つとして採用されました。月を経る毎に益々多くの品目がこのリストに付加されました。かかる差別待遇に対して日本側からは厳重な抗議がなされました。米国軍部と国務省官辺とは日本に対する措置について屡々意見を異にしながらも協力して事に当りました。1941(昭和16)年7月26日の最後的対日経済制裁を米国大統領が真剣に検討していた時、彼はかかる措置の当否について軍部首脳の意見を求めました。これに対する軍部の答申は断然「対日貿易はこの際禁止すべからず、もし禁輸を行えば、恐らく極めて近い将来に於て日本はマレー及びオランダ領東インド諸島を攻撃するに至り、而して恐らく米国を近い将来に太平洋戦争の渦中に投ずることとなるであろうから」というのでありました。

「現実主義的権威筋が殆どこぞって」、日本に対し「徹底的経済制裁を加える」ことは「重大なる戦争の危険を意味」することを主張したのみならず、忌憚なき日本側の米国国務省官辺に対する批判もまた、かかる行動は「日本をして早晩ゴム其の他の物資確保の為めマレー半島及び蘭印に南下する以外に途なき」状態に立ち至らしめるであろうと言うのでありました。かかる日本の反応は、大統領の、米国は飽くまで英国を援助するであろうという明白な声明と共に、戦争の実際的発端は果して真珠湾攻撃にありや否やの疑問に対し明確なる返答を与えて居るのであります。
 1941年(昭和16年)7月26日遂に凍結令が発せられるや英帝国及び蘭領印度もまた時を逸せずこれに倣いました。彼等は条約上の義務に反して即時同様の手段を採ったのであります。これ等の凍結令は直ちに日本に対し恐るべき衝撃を与えました。かかる状態がある程度継続するならば日本の経済は不具状態に陥ることは明らかでありました。かかる「輸出禁止」及び凍結令は日本の全経済を麻痺せしめうる能力を持っていたのであります。これ等の手段は生産能力及び原料の徹底的な消耗により日本が支那に於て屈服してしまわねばならない様に目論まれたものであります。日本に致命的打撃を与える主要物資の一は石油であります。これ無くしては日本の国内経済も、全ての国家的安全性も圧殺されるのでありました。かつて日本が蘭印から充分の石油を得ようとした平和的企図は失敗しました。日本から観ればこれ等の輸出禁止や凍結令は日本の生存権を拒否するに等しいものでありました。

 ロシアの五カ年計画成功の報道は日本にもう一つの脅威を与えました。然し日本経済の国際的孤立を語るだけでは未だ状勢の説明には不充分であります。まだ語らなければならぬものがあります。即ちこれと同時に列強の軍事当局もいわゆる「オレンジ」に対し戦争を目論んでいたのであります。「オレンジ」とは日本を指す彼等の常套語でありました。・・・・
 すでに早くも1938年後半、合衆国及び英国海軍の巨頭はロンドンに於て秘密会談を催し、日本に対し太平洋に於て相互に協力し作戦すべきことを討議し立案して居りました。これらの計画は1941年初頭にワシントンで開催された秘密会談に於て討議され、更に具体的なものとされたのであります。・・・・
 尚我々の引用せんとする証拠は日支紛擾に対する米国の介入は未だ如何なる非交戦国間にもみられなかった程度のものであった事実をも明らかにするでありましょう。中国に対する全面的援助はアメリカの大胆な政策となり、それが文字通り日本をして益々多くの血を中国の土に流さしめる結果をもたらしたのであります。中国に対する援助は次の如きものであります。
 弁済の期待が殆ど無きに拘らず即時借款を提供したこと、米国飛行士が米国機によって中国のために対日空中戦に従事する事実を巧妙に官辺が黙認し暗に奨励したこと、或は蒋介石に対する経済、軍事顧問の派遣、戦争資材、食糧の提供等でありました。
 この期間米国は決して太平洋上に於ても眠って居ったのではありませぬ。増援軍は絶えずフィリピンに送られて居りました。比島周辺海面への機雷の敷設、シンガポールの要塞化、遠距離基地の急速なる改良等が着々進行して居りました。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判
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