2007年11月05日

東京裁判弁護資料4

ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述

 戦後レジームの根元と考えています東京裁判の内容が如何なるものであったかを実際の弁護記録から知っておくのも大切なことだと考えます。
 今回も小堀桂一郎氏編「東京裁判日本の弁明[却下未提出弁護側資料]」から抜粋して、東京裁判が茶番と言われる所以が判りやすい部分を記述してみます。
これは昭和22年2月25日のローガン弁護人冒頭陳述の一部からですが、これも部分却下となり、陳述で予告された後日の書証提出の多くが却下となっています。
写真はローガン弁護人
lowgan.jpg

引用開始
第一 降服、本裁判所の創設、諸条約、並びに日本の憲法その他諸法規に関する基本的証拠書類の最終部分から。
(書証提出却下部分)
 日本の諸国策の樹立されたのは、軍事的諸事件発生後のことにして、その前にあらざることを立証致します。かくて、その後の諸政府は、当時の状況をそのまま受け容れざるを得ざりしものであって、これら諸事件の局地的解決のために・・・の企てが為されたのであります。

第二 国際法を創設するものとしての諸条約に関し他の諸国家の為せる行動及び声明、個人的責任の存せざること、外交上の責任免除、並びに訴追され居る犯罪の性質、に関する証拠より
 検察側諸国家中には自己の行動並びに権限によって、自ら、各種条約の規定約定を犯し、且つこれを無視したるが故に、これを日本に強要せんとすることは禁反言の原則により為し得ざるものなることが立証せられます。例えば特に、ロシアのフィンランド侵略、ロシアの国際聯盟よりの追放、ロシアのバルト諸国侵略、ロシアの満洲侵略及び、イギリスとロシアのイラン占領に関する証拠を提出致します。

 諸国家代表の公式声明、及び諸委員会の議事録を証拠として提出致します。これはある種の条約の効力並びに解釈に対する諸国家の意義並びに意図に関する疑念を一掃するものであります。
 何故に或る種の条項が国際法に照して、一部は採択され、一部は拒否せられたかの理由及び決定を明らかにするものであります。更に条約違反に対する個人的責任を創定したり、或はそれに対し個人的処罰を規定したりするような意図乃至は協定は、諸列強に絶対に存せざりしことが検察側諸国の代表の行動及び声明中より立証せられます。これは周到なる準備がなされたるにも拘らず、遂に採択せられざりし、ブカレスト約款によって立証せられます。
 同様の禁止例は1922年の潜水艦戦闘条約、ヴェルサイユ条約に伴って持たれた会議及び委員会会合並びにハーグ条約第二章、第三条の四項中に証明されております。更に、太古より、外交官に対しては責任免除の権限を与えんと諸国家が常に企図せることは、エ・ラ・シャベル条約、ウィーン条約、及びウェストファリア条約の立証する通りであることが示されます。

 起訴状中に訴追され居る各種犯罪の性質に関し法廷のご参考となす為、各国代表者の声明を提出致します。特に戦争中の殺人は、その始めの状況の如何に拘らず、昔から殺人罪を構成するものではありません。このことを立証する実例並びに類似例簡単に提出致します。
 諸国家は、明白なる条約侵犯に対する対策として賠償を考えしも、個人的責任を他国家によって裁くことは考えざりしことを証明するため、パネー号並びにレディーバード号事件に関して証拠を提出致します。1933年の会議、侵略戦争を定義せんとする試みは失敗に終わったということも立証されます。
(書証提出却下部分終わり)

第四 日本の国民経済並びに、太平洋及びアジア地域に於ける世界諸列強による日本包囲に関する証拠より
・・・・・日本は生存上大量の輸入を必要とする国であり、従ってその外国貿易は昭和七年に於ける「英帝国優先」なるオタワ会議の決定によって、特に損害を蒙ったのであります。
 ちなみに本決定は米国を始めとし、英帝国以外のほとんどあらゆる交易国より非常なる非難を受けたのであります。朝鮮を含む日本の経済状態に関する証拠は、かかる目的に対する検察側が主張したるが如き細工、組織化或は統制の皆無なりしことを、一点の疑いもなく示しているのであります。

 太平洋戦争以前の日本の対外貿易が八割まで聨合王国、オランダ及び合衆国を相手としていたことを立証致します。これにより法廷は、ABCDブロックの輸出禁止令及び資産凍結令が、日本の経済に対し如何に甚大なる打撃を及ぼしたかお分りになりましょう。殊にそれは、日本をして中国に於ける降服を余儀なくせしめんとの差迫った脅威を伴っていたのであります。証拠は、日本に対する経済的包囲、並びに日本の実状及びかかる制限及び制裁が日本経済に及ぼした惨憺たる結果を示すでありましょう。証拠は更に、侵略戦争と主張せられた戦争遂行の為のこれら被告による予備的経済侵略及び同じく彼等による、これに関する共同謀議の欠如を明らかに致します。
 日本が世界の諸列強により経済的且つ領土的に漸次包囲せられ、日本の存続が危機に直面したことを地図及び図表によって立証致します。
 即ち日本は純然たる必要に迫られておりました。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 書棚の中の東京裁判
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Excerpt: 1648年、ウェストファリア条約が締結され、三十年戦争は終結する。ハプスブルク家が弱体化する一方で、スイスとネーデルランドが独立する。
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