戦後日本の歪んだ思想、歴史観、国家観の大きな原因がこの米軍の検閲と真相箱などによる洗脳の結果でしょうが、今なお左翼やマスコミ、擁護論者などは、ここから抜け出せないのか、或いは抜け出さない方が都合がいいのでしょう。
甲斐弦著「GHQ検閲官」(1995年初版)より

引用開始
占領期間中にGHQが行った郵便物や出版物に対する検閲への一般の関心は、今(1995年)でもそう高いとは言えない。多くの日本人は、敗戦によってわれわれは軍のくびきから解放され、大幅の自由を与えられたものと無邪気に信じ込んでいる。
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新憲法第二十一条を読むたびに私は苦笑を禁じ得ない。
「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」
何というしらじらしい言葉であろう。言論及び思想の自由を謳ったポツダム宣言にも違反し、GHQ自身の手に成る新憲法にも抵触するこのような検閲が、憲法公布後もなお数年間にわたって実施されていたのである。民間検閲局(CCD)こそがこの違法行為の実行者であった。・・・略・・・
私が属した福岡の第三民間検閲局は、特に峻烈だったとの評判がある。
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おれは米軍の犬だ、とある時は自嘲し、ある時は、妻子を養うためにはいかなる汚辱にも堪えよ、と自己を励ます。時にはまた開き直って、よし、この機会にメリケンの正体を見極めてやろう、と唇を噛む。・・・略・・・
今一つ、読者に考えていただきたいことは、米軍の検閲が行われていた頃の 日本の庶民生活の実態である。
農民そのほか食べ物に不自由しなかった一部の人々を除けば、国民の大半が悲惨・窮乏のどん底にあった。飢餓に瀕しながら、ともかくも動物的な意味で生きて行くことが、生活の第一条件であった。
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読んだ(検閲のため)手紙の八割から九割までが悲惨極まりないものであった。 憲法への反響には特に注意せよ、と指示されていたのだが、私の読んだ限りでは、新憲法万歳と記した手紙などお目にかかった記憶はないし、日記にも全く記載はない。繰り返して言うが、どうして生き延びるかが当時は皆の最大の関心事であった。憲法改正だなんて、当時の一般庶民には別世界の出来事だったのである。
今はかなり年輩の人たちでさえ、我々は昭和二十一年十一月三日あの新憲法によって絶対不戦を誓ったではないか、とおっしゃる。戦争の悲惨をこの身で味わい、多くの肉親や友人を失った私など、平和を念じる点においては誰にも負けないと思うのだけれど、あの憲法が当時の国民の総意によって、自由意志によって、成立したなどというのはやはり詭弁だと断ぜずにはおれない。
はっきり言ってアメリカの押し付け憲法である。我々庶民は蚊帳の外に置かれていた。己の意見を率直に表明する機関もなく、機会もなく、ただ毎日いかにして生き延びるかに必死だったのである。
戦時中は国賊のように言われ、右翼の銃弾まで受けた美濃部達吉博士が、「これでは独立国とは言えぬ」と新憲法に最後まで反対したこと、枢密院議長の清水澄博士が責めを負って入水自殺を遂げたこと、衆議院での採決に当たって反対票を投じたのは野坂参三を始めとする共産党員たちであったことなど、今の多くの政治家(いや政治屋か)や文化人たちは果たして知っているのだろうか。
引用終わり
当時の米国が、それも共産主義容認のニューディーラー達が一週間ほどで作ったといわれる現憲法は、当然米国を始め連合国の国益に沿ったものとなって当然だと思います。お隣の盗人国家などには大変受けることでしょう。
本当の意味での日本人の意思に基づく
憲法を早急に制定したいですね。
この際、日本の破壊を企てる、左翼や反日は無視しましょう。
そのうち奴らが肩身の狭い思い、今までやってきたことで世間から徹底非難される世になってほしいですねー。