2007年10月24日

共産党の横車とその味方

共産党の横車と新聞の煽動

 今回は「徳富蘇峰終戦後日記2」をご紹介しています。以前にご紹介した「徳富蘇峰終戦後日記」の続編で、「頑蘇夢物語」続編として06年12月の発行となっています。
写真は官公労組員のデモ1946年8月
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引用開始
(昭和21年5月15日午前)
 普通選挙で、婦人までが参政権を得た今日では、日本の世論といえば総選挙の結果によって判定する外はあるまい。それによれば、共産党は物の数でもない。眇たる蒼海の一粟という程ではないが、ともかくも466人の議員中僅か5名である。即ち百分の一強というところだ。しかるに今日の政界は、ほとんどこの共産党によって撹き廻され、引き摺られ、勝手次第に振舞われている。もし世の中に不合理といえば、これ程不合理の事は無く、また不思議といえば、これ程不思議の事はない。しかもそれが現実である。而して誰もそれを当り前であるかの如く見ている。
 殊に国民の世論を代表すべき新聞そのものが、最もその通りである。我等はここに於て、二つの腑に落ちぬ事実を見出す。一は共産党の横車を押す事であり、二は共産党の横車を押す事を全国の新聞がほとんど我等の眼に入る限りに於ては、囃し立て、そそのかし掛け、煽ぎ立てつつある事である。

 今日の政界の混沌という事には二つの原因がある。一は幣原内閣の「勘」の悪い事である。他は共産党の横車を押す事である。幣原内閣の勘の悪い事はしばらくここに預りとして、共産党の横車について観察する。まず表面の事実をいえば、五名の共産党員は、それにほとんど二十倍する程の社会党を引き摺って勝手次第に操縦している。百名に近き社会党は、ほとんど独自一己の意思を失って、あたかも蛇に睨まれたる蛙同様、その運動の自由を全く封鎖されている。共産党の勢力は、社会党を通して、また自由党に及ぼしている。語を換えて言えば、社会党は共産党に致され、自由党は社会党に致され、進歩党は自由党に致されている。その他協同党とか無所属一派もご多分には洩れず、詮じ来れば衆議院における466名の議員は五人の共産党に勝手に振り回されている。今日で言えば、五名の共産党は一疋ではあるが、猫であり、爾餘の各党派、もしくは無党者は鼠である。而してこれが議会外の政治の局面にそのまま実現して、あらゆる事件となって、出来しつつある。即ち名を挙げて言えば、今日の我が政界は、徳田球一とか、野坂参三とかいう、昨日までは地上に光を見る能わざる国家の犯罪人共が、ほとんど思うように振り回している。・・・・
 さてかく条理を以て思議し難き事件がほとんど常識でもあるかの如く、出で来りたるは何の為であるかといえば、共産党には彼らにとって大なる味方がある。第一はマッカーサーにして、第二は幣原である。第三は食糧飢饉である。これは半ばは幣原内閣の賜といってもよかろう。
 マッカーサーは共産党を何やら秘蔵息子であるかの如く取扱っている。他の党派には随分辛く当り、つらく当った。現に進歩党と自由党がそれである。社会党さえも若干の風当りを受けた。しかるに共産党については、いかなる旧悪も敢えて問うところではない。過去は一切帳消しで、恰も彼等はマッカーサーによって蘇生復活せられたるものである。而して彼等が如何なる行動をなすも、マッカーサーでは、見て見ず、聞いて聞かず、知りて知らぬ振りをしている。

 今日日本で極端の自由を得ているものは、ただ共産党あるのみというべきである。而して誰がこの自由を与え、誰がこの自由を共産党の為に擁護しているかといえば、マッカーサーである。マッカーサーは実に共産党の大恩人である。マッカーサーなかりせば、とても今日の如き行動を逞しくする訳には参らない。共産党は、いわばマッカーサーに於ける社鼠城狐の徒というべきものである。即ちマッカーサー神社に於ける神狐の類というべきものであろう。
 第二の恩人は、何といっても幣原である。詳しく言えば、幣原及びその一味である。昔、孟子は「湯武の為に民を駆る者は、桀と紂となり」と言った。今日に於て、共産党に国民を駆り立てる程ではないが、国民が共産党に向って同情といわずんば不好意でない態度を持つに至らしめたるものは、幣原内閣である。而してその幣原内閣の勢子となって国民を共産党の網に駆り立てつつあるは、あらゆる日本に於ける新聞雑誌の類であるというべきであろう。
 第三の食糧飢饉は、世界通有の事であるが、日本では官僚の放漫、懶堕、非常識、不親切等などによって、自然の飢饉に更に人造の飢饉を加え来った。而して食に窮した民衆は遂に共産党の赤旗にくっ付いて、宮城の門内に闖入するまでに至った。赤旗に煽動されて坂下門を潜ったとて、それで決して腹が膨るる訳でもあるまいが、人間は腹が減れば如何なる事でもなしかねまじき者である。しかしこの三つの中で、最も大なる共産党の味方はマッカーサーであるといわねばならぬ。・・・・

支那人の投書

 今日の日本国民は、総てとはいわぬが、少なくとも日本国民を代表すると称する新聞のほとんど総ては、常識を失墜している。その新聞に、最近支那人の投書が載っている。それを一読するに、如何にも我等が言わんと欲する所を言っている。如何なる料簡でかかる投書を掲げたか、恐らくはいつもこれに反対の意味の投書のみを掲げ、自分ら自身までが同様の事を囃し立てているから、たまには読者の眼に公平であると見せる積りで、これを掲げたのであろう。とにかくこれは砂漠の中に於いて緑地を見出したような心地がするから、今ここにこれを掲げておく。

一中国人より
◇私は永年日本に居住して日本人の気質はよく知っているが、近ごろ諒解のしにくいことが大変沢山ある。
◇日本の降伏後進出してきた共産党は、綱領その他立派ではあるが、私の祖国の今日の姿を見て、戦乱絶えざる国の者として黙過し得ない。それと共に戦後日本の第一線に出て来た人達の一部が果して戦中何をしていたか、大きな疑問を持っている。かりそめにも敵なるわが中国に走り、日本を敗戦に導くことに力を注いだ人達が果して真の日本人なのか。叛逆者、売国奴、鉄面皮、我々から見ても一応そう眺められる。それが真の愛国者だ、デモクラシーの第一人者なりと時局に便乗して、英雄的進出を企図している。敗戦までは必勝を堅持した軍人の方が立派だ。厳正に過去を詫びて裁かれる軍閥の方が潔い。日本人諸君も自重せよ。・・・・
(群馬・陳雲階)(「毎日新聞」建設欄、昭和21年5月)
引用終わり
posted by 小楠 at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の国際関係
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