2006年04月23日

東京裁判史観の克服4

 アメリカの国内世論は、真珠湾までは大多数が参戦反対であり、ルーズベルトも大統領選挙では「絶対にアメリカ国民の子弟を戦場には送らない」と訴えていたのですが、本心は、いかにして対独戦に参加するかを考えていたと言うことです。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

アメリカの戦争責任
「開戦責任」

 日本は「挑発を受けない先制攻撃」を行った国だと、法廷で連合国から批判された。・・・・
 ルーズベルトは対独参戦のためにしきりにドイツに挑発行動を仕掛けていたが、日本に対してはもっと露骨であった。
 アメリカは1937年に支那事変が始まると、中国国民党の蒋介石政権に借款を与え、武器を売却するなどして、日本に対する非友好的行動を続けた。更に1940年初めには一個の義勇航空隊を対日交戦中の重慶政権に派遣し日本軍と交戦させた。この義勇航空隊はフライイング・タイガーと命名され、指揮官はクレア・シェンノート少将であった。彼らは撃墜する日本機一機につき、500ドルの契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」であった。ことにアメリカ参戦前の二年間はインド・重慶の空路を受け持ち、軍需兵器を輸送したり、日本の海軍航空隊と交戦したりしていた。これらの行為が局外国としては国際法違反であることは明らかであり、アメリカは1940年初頭には既に実質的に対日開戦をしていたといわれても仕方がないだろう。


ローガン弁護人の「アメリカの戦争責任」論  「日本は連合国が行いました経済封鎖は日本に対する戦争行為に他ならないものであると断定する権利を有っていたのであります。が、それにも拘わらず日本はその特有の忍耐力を以って、円満にこの争いを解決しようと試みたのでありました。然るに経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威と相俟って、遂に日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えさせるに至ったのでありました。日本がこの連合国の経済封鎖を以って直ちに宣戦布告に等しきものなりと解釈する事無く、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求致しましたことは、永遠に日本の名誉とするに足る処であります。・・・其れ大東亜戦争は不当の挑発に起因した、国家存立のための自衛戦争であったのであります」と述べている。
引用終わり

 東京裁判でのアメリカ人弁護人たちは、まさに正論でこの裁判に臨んでいました。中でもべンブルース・ブレイクニー弁護人は「原爆を投下した者がいる!この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる!その者たちが裁いているのだ」と述べましたが、この時は法廷における日本語への同時通訳が俄かに停止し、最後まで復活しなかったのです。これこそ「人道に対する罪」の最たるものではないでしょうか。以後の世界平和のためという大義名分は、勝者の罪は問わないという欺瞞に満ちた裁判故に、ご存知の通りすぐ数年後の朝鮮戦争の勃発と続きました。
posted by 小楠 at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判
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