2006年04月21日

東京裁判史観の克服2

 ここでは、東京裁判自体が成立する根拠が無かったことを指摘しています。1907年10月18日のハーグでの「陸戦の法規慣例に関する条約」中の条約付属書、規則、第四十三条には「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及び生活を回復確保するため施し得べき一切の手段を尽くすべし」とあります。
 占領軍はこれを全く無視して、しかも事後法で裁くという暴挙を平然と行った訳です。
関連記事星空の下でさんもご参照下さい。
「世界がさばく東京裁判」より
引用開始

ロバート・A・タフト上院議員の講演
 アメリカの生んだ偉大な上院議員としてキャピトル・ヒルに壮麗な記念碑が建てられているタフト議員は、裁判開始からわずか半年後の1946年10月5日、オハイオ州ケニヨン法科大学で開催された学会で、「アングロサクソンの伝統たる正義と自由」について講演した。この講演の最後の部分で、彼はドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判に言及し、事後法による裁判は将来の侵略戦争の発生をくいとめる役に立たないこと、また、この裁判は正義の実現ではなくして復讐心の発現であることを力説し、次のように述べた。
「勝者による敗者の裁判は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、決して公正なものではありえない」。
そして、「ドイツ戦犯12名の処刑はアメリカの歴史の汚点となるであろう」と断言し、同じ過ちが日本において繰り返されないことを切に祈る、なぜならば「日本に対してはドイツと異なり、復讐と言う名目が立ちにくいから」と説いた。

 
ジョージ・ケナンのマッカーサー批判
 ソ連封じ込め、共産主義封じ込め政策を立案したことで有名になった国務省政策企画部初代部長ジョージ・ケナンは1948年(昭和23年)に来日し、実見した占領行政の過激さに驚愕している。「マッカーサー将軍の本部に寄って、その時点までに実施された占領政策の性質は、一見して、共産主義の乗っ取りのために、日本社会を弱体化するという特別の目的で準備されたとしか思えないものだった」と書き、さらに日本語と家族制度の無意味ないじくり回しを非難した。当然のことながら、東京裁判に対しても手厳しい批判を加えている。
 「(東京裁判を成立させる)このような法手続きの基盤になるような法律はどこにもない。戦時中に捕虜や非戦闘員に対する虐待を禁止する人道的な法はある。BC級戦犯の裁判はそれに則っている。しかし公僕として個人が国家のためにする仕事について国際的な犯罪はない。国家自身はその政策に責任がある。戦争の勝ち負けが国家の裁判である。日本の場合は、敗戦の結果として加えられた災害を通じて、その裁判はなされている。といっても、これは勝利者が敗戦国の指導者を個人的に制裁する権利がないというのではない。しかし、そういう制裁は戦争行為の一部としてなされるべきであり、正義と関係ない。またそういう制裁をいかさまな法手続きで装飾するべきでない
国務省の一官僚が、次期大統領候補とまで言われたマッカーサー元帥をここまで正面切って批判するのはよほどのことと見なければならない。
引用終わり

 当時の戦勝者側からみても、東京裁判がいかに異常なものであったかが判ります。その上、日本の憲法、法律、宗教、言語他にまで干渉、改変を強要した行為は、ドイツと比較して明らかに人種的偏見を抜きにしては考えられないと思います。
posted by 小楠 at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の東京裁判
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