マクマリーの見解の正しさは、日米戦争後に描かれた世界の勢力図にそのまま現れています。おまけに欧米が守ろうとした植民地権益は全て無となり、英米は新たに、より強大な共産国をのさばらせる結果となり、防共の砦であった日本を無力にした結果、多大な犠牲を伴った朝鮮戦争が勃発する事態を自ら招くことになります。
結局アメリカは戦闘に勝利しましたが、戦争目的では敗れたことになったため、「あの戦争は何だったのか」というようなことになったのでしょう。
「平和はいかに失われたか」という本から掲載しています。
この本はアメリカの外交官ジョン・マクマリーが1935年に書いたメモランダムで、「ワシントン会議」以来の極東状勢と、アメリカのとるべき政策を論じ、特にワシントン体制の崩壊を論じた部分が中心となっています。最終回は対日戦の愚かさについての記述の部分です。
写真はパリで日本の満洲撤兵勧告可決の連盟理事会

引用開始
日本の徹底的敗北は、極東にも世界にも何の恩恵にはならないだろう。それは単に、一連の新しい緊張を生むだけであり、ロシア帝国の後継者たるソ連が、日本に代わって極東支配のための敵対者として現れることを促すにすぎないだろう。・・・・こんな戦争でアメリカが勝ったとしても、その成果は恐らくソ連が独占してしまうことになる。
日本に対する米国の勝利は、極東での障害要素であった日本が排除されて、リベラルな路線での米中間の緊密なる理解と協力に役立つ機会が大いに開けていくと予測する平和主義者や理想主義者がいるかも知れない。しかしそれは思い違いである。中国人は、過去も現在も未来も、外国を野蛮な敵と常に見なしており、外国を競り合わせて利を得ようとしてきた。外国のうちで一番成功している国が尊敬されるが、その次にはたちまち引きずり落とされてしまうという始末である。最近における中国国内の政治の紛争と混乱の歴史に集約されるように、ある特定の指導者と組んで権力を握った連合勢力は、そのリーダーに忠実な少数派とそうでない多数派に分裂する。多数派は新しい勢力を結成して、指導者が力を持ち過ぎる前に彼を失脚させ、他の誰かと入れ替えるのである。・・・
ワシントン会議、北京関税会議および米中関税条約に関する我々の経験からすると、中国が、日本の拘束から解放されることについて米国に恩義を感じるとは考えられない。中国人は我々に何も感謝しないだろうし、我々の意図が利己的でないとは信じないだろう。そして、我々が果たすべき責任については、きっちりと我々に迫ってくるに違いない。
よく見ても、日本との戦争は何の利益も得られないし、どう転んでも巨大な犠牲と危険を必ず伴う。したがってこのような戦争の回避自体が、我々の最も重要な目標であることを認識しなければならない。それは、我々が極東で行動するについて、単に付随的に考慮すべきことなどではない。・・・・
日本は極東において我々とずば抜けた利害関係のある国の一つとなってきた。日本は我々の信頼を裏切り、中国の舞台から我々を追い出してしまったとこちらでは思っているのだから、これはあまり気持ちのよい関係ではない。我々が、そう感じるのにもはっきりした理由があるが、日本がそうなった状況を酌量して考えれば、もう少し寛大であってよいかもしれない。
一方で日本は、これもある程度の妥当性があるのだが、実力に訴えようという時ばかりか、平和的解決に努力してさえも、アメリカが邪魔立てしてきたと感じている。このように、日米両国の双方にきびしい対立の感情が存在している。
しかし我々アメリカ人は、自給自足ができる程度に天然資源のある広い国に住み、世界市場への通路となり、同時に侵略に対する障壁ともなる太平洋および大西洋の間にある国で生活している。日本人が、我々が日本を気にする以上にどれほど多くアメリカを意識しているかは、本当のところ我々にはよく理解できていないのである。
日本人は、天然資源の乏しい小さな島にぎっしり密集して住んでいる。日本は、東アジアを除くすべての市場からかなり遠く離れているし、狭い海の向うから二つの国、中国とロシアから過去に威嚇を受けてきた。日本人は、それを彼らの生存そのものの脅威だと、いつもみなさなければならないのである。・・・
プロパガンダによる誇張を割り引いて考えても、ここに我々がなかなか理解しようとしない真の問題点がある。
日本人が、アジアでの自分たちの地位にあれほど神経質で、用心深くて気難しいのか我々は説明できないできた。さらには大多数の日本人が、アメリカが日本を低く抑えつけようとして、いわれのない干渉をしているという憤りに満ちた偏見を持っているのも、そういうところに理由がある。・・・・
――中国は我々にとって、もはや割に合わないゲームになってしまったのだから、米国が、ひそかに中国を日本に対抗させているという深い危惧の念を、はっきりした根拠をもって払拭できる。さらに、我々がロシアを日本にけしかけようと策謀していることのないことを、米国自らの行為で証明することができる。
たとえささやかではあっても国家同士の感じのよい応接は、個人間の社交儀礼と同じように、共感の念を呼び起こすものだ。我々はそうした機会を見逃してはならない。それは、本来もつ重要性以上に役に立つものだ。逆にこれをなおざりにすれば、不釣合いなほど相手をいらいらさせることになる。・・・・
我々の対中国政策は、何年もの間中国に“ごまをする”実験をやったあげく、突然に行きづまってしまった。この事実は、「日本と正常な関係を保つ」よう願っている善意の市民たちの忠告に十分気をつけるべきだという警告として立派に役立つであろう。
中国人も日本人も、双方アジア人である。アジア人は我々と同じ血肉と感情の起伏をもった人間である。我々の普通の考え方とひどくかけ離れていたり、理解ができないというわけでは決してない。それにもかかわらず彼等は全く異なる歴史と文化的背景を持っており、それが彼ら独特の、知的ならびに感情的な反応をつよく特徴づけていて、いくつかの点で西洋人特有の反応とちがうのは当然である。・・・・
来るべき極東での困難な年月、我々はじっと力を貯え、やたらにそれを挑戦的に振り回さないようにしよう。中国での我々の利権は、現在の減少した価値にあわせて帳簿価格を切り下げよう。日本には媚びもせず挑発もせず、公正と共感をもって対処しよう。・・・・
“親中国”だとか“反中国”だとか、“親日”だ“反日”だなどという間違った感情の道に踏込むまい。何よりも、我々が公言した行動の原則と理想に忠実でなければならない。我々が威厳と誠実さをもちつづけるなら、他国はたとえ意見は異にしても我々を尊敬するであろう。
引用終り