2007年10月04日

支那事変前の米中日4

元中国駐在米国公使のメモランダム4

「平和はいかに失われたか」という本から掲載しています。
この本はアメリカの外交官ジョン・マクマリーが1935年に書いたメモランダムで、「ワシントン会議」以来の極東状勢と、アメリカのとるべき政策を論じ、特にワシントン体制の崩壊を論じた部分が中心となっています。今回は米国の国際協調放棄を記した部分です。
写真は昭和二年の南京日本領事館掠奪の跡
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引用開始
 結局のところ、南京事件全体の処理の仕方は、当時の状況や中国人の心理を我々が理解しての現実主義よりも、我々の寛大さを裏書きすることとなった。それは“帝国主義列強”を威嚇しその尊厳を傷つけるような暴力が正当化されるという、国民党の思い上がりに迎合する結果となった。
 国民党は、他の諸党派との散発的な戦闘や騙し合いをくりかえしながら、揚子江流域でその勢力を固めつつあった。外国人やその権益に対する暴行もしばしば見られた。一方では、北方党派がいままで通り国家としての政府機能を有すると自称して、条約締結国の法的地位について、国民政府とあまり変らない恣意的なやり方で論争を続けていた。

 1926年の秋、“1865年のベルギー条約”に、十年期限の一区切りが到来し、ベルギー政府は、形式的には一方通告できる片務条項に従って、改正のための交渉を申し入れることになっていた。ところが、当時北京を支配していた北方党派は、この機会に、本条約を直ちに廃止する権利があると勝手に主張していた。・・・・
 そこでベルギー政府は、この問題をハーグ国際法廷の調停にゆだねるよう提案したが、中国はこれを拒否した。この係争問題は、中国が「不平等条約」からの自由を得るための政治的な権利であり、司法判断になじむ問題ではないと主張したのである。この件に関し米国の北京公使館は、次のような意見を本国へ電信(1926年11月12日付)した。

中国のベルギー条約の廃棄通告は、中国の条約履行義務拒否に対して、条約関係諸国が、どこまでこれを許容するかを測るための計算された試みである。・・・・この行為で我々は、重大な転機に立たされている。・・・・中国の対外関係を取り仕切っていると自称する人々は、義務拒否の政策の採用が自分たちの個人的利益につながっていると思っている。
 我々がいま直面している事実はこうである。中国を国際的に代表すると主張してきた組織は、実際には外国の認知を受けていた旧体制の残りかすに過ぎないのに、今回のベルギー条約の場合における行為によって、条約の拘束力を無視すると条約加盟諸国に通知してきた。
 我々は、公正な取り扱いと理解に基く中国の国際的発展を我々の利益であると考え、この点に真の共感を覚えるものである。こうした見地から、我が政府は機会をとらえて、中国の国際的無責任主義には同意できないと非公式に示唆するべきである。この国際的無責任は、我が国がロシア政府を承認していない理由と同じ性質のものである。このような趣旨の非公式示唆を国務長官自らがなさるなら、中国の暴走の抑制に大いに影響力を発揮すると、謹んで提案する次第である。中国の現在のような行動は、それほど遠くない将来に極東に新しい戦争を招くであろうと、私はそれを深く憂慮している

 この現地意見に対し、国務省は(同年11月15日付の電信で)こう回答した。

「米国がロシア政権を承認してこなかったと同じ理由で、中国の国際的無責任主義に同意できないと長官が示唆すべきだとの趣旨だが・・・・
この提案の目的が理解できない」

 我々は当初からベルギーの立場に同情し、ベルギー政府の要望通りこれを支持することを確認の上進めてきたはずであるのに、そのための具体的な形の協力ということになると、こうした消極的な指示が来たのであった。なお国務省のこの回答には、(ロイター通信の報道について米国公使館の問い合わせに関連して)11月8日に国務長官が記者会見で表明した、「中国によるベルギー条約廃棄通告に抗議しているベルギー政府を、米国政府がなぜ支持しなければならないのか、私はその論拠を理解できない」との言明が付け加えられていた。
 この場合の論点は、列強諸国と中国との関係の基礎となる典型的な条約の一つについての、その法的拘束力である。従ってこの問題は、ワシントン会議において国際協調に必要不可欠なものとされた権利と義務を、一体として考えなければならないことは明白である。ところが我が政府はこれまでのところ、この事件に関心を持とうとしなかった。・・・・
 それは、共通の利益にかかわるいかなる問題についても、中国に好きなようにさせるということだった。
 近年まで協調政策の推進者であった米国が、こうしてベルギーを支持せず、それどころか無関心を公然と宣言したため、ベルギー政府は、本件をハーグの国際常設法廷へ提訴し、中国の主張する条約廃棄が法的に有効であるか否かを裁判で決着することにした。しかし中国は、訴訟手続きを軽蔑してこれに応じなかった(これは新しい先例となった)。結局ベルギー政府は、条約上の立場の防衛を断念しただけではなく、条約締結国の国民と同様の待遇与えるという、やや疑問のある中国側の一方的保障を確保するために、対中交渉の補強材料として同国の天津租界の返還を申し出た。このような屈辱的な後退がもくろまれているとき、ブリュッセルの米国公使館は、1927年1月20日付電報で次のように報告した。

「・・・・中国におけるヨーロッパ諸国の強固な団結は既に過去のものとなっている。今や各国は、・・・自国の利益に最も役立つと思われることなら、どんな進路でも突き進んでいくことになるであろう」

この報告は、まさにワシントン会議の閉会後五年も経過しないうちに、極東における国際協調の理想が、もろくも崩れてしまった挫折の度合いを表しているといえる。それは主として米国政府が、最近まで国際的な支持を得ていた伝統的政策の遂行を、自ら意図的に放棄してしまったためである。
引用終り
posted by 小楠 at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書棚の中の日中関係
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