日本人は核の恐ろしさを実体験しています。国内での核廃絶の訴えは当然なのでしょうが、まだまだ先の見えない遠い未来の話か、或いは理想を訴えているだけでしょう。但し、核が無くなったとしても、戦争が無くなる訳ではないし、逆に返って戦争が起こりやすい情勢を作ることになるのかも知れません。理想論は理想であって、現実の国防は現実の情勢に対して対応しなければならないのは当たり前のことです。この議論が現実の中国の脅威にさらされている日本では特に緊急の課題でしょう。核抑止力を含めて自主防衛のための国防軍の充実を早急に進めて欲しいものです。これもアメリカが現在の共和党政権のうちに確約しないと、民主党政権になったとしたら、あらゆる妨害をされるでしょう。
共産中国を軽妙な記事にされているケイさん語録もご紹介します。
伊藤貫著
「中国の核が世界を制す」では、
引用開始
日本の核戦略論議
日本の核戦略をパブリックな場で論議すべき
日本の国民は、核戦略と核抑止力の理論に関して無知である。四核武装国に包囲された現状にあって、日本国民を核戦略に関して現在のような無知な状態に置いておくのは正しいことではない。
「核抑止力とはいったい何なのか? それはどうすれば獲得できるのか? 核抑止力を持たないと、今後の国際関係において、日本はどのような立場に置かれるのか?」等のことを、パブリックな場で明瞭に議論する必要がある。パブリックな場での議論を通じて、日本国民の核戦略・核抑止力に対する理解力を高める必要がある。
日本国民の核戦略に関する議論は「核は恐ろしい。核はいやだ。あんな怖い兵器は、一刻も早く地球上からなくなって欲しい」という、小学校の生徒会レベルの議論に終始している。
ワシントンで長期間、米中露英仏イスラエル等の覇権主義国の外交を観察してきた筆者は、「核兵器の廃絶は、絶対にありえない。アメリカやロシア中国は、冷酷で利己的な覇権主義国であり、これらの諸国が核兵器をギブ・アップする可能性はゼロ」だと確信している。それが国際政治の現実である。
われわれは、パブリックな場で現実的な核抑止力の議論をして日本国民を教育すべきであって、小学校の生徒会レベルの「核廃絶は人類の悲願ごっこ」を続けるべきではない。小児的なセンチメンタリズムに満ちた「悲願ごっこ」を続けるのは、日本の国民を中国や北朝鮮の核ミサイルから実際に守ることには何の役にも立たないから、不道徳である。
さらに、米国の「核の傘」やMDで日本を守ることはできない。このことをパブリックな場で明確に議論しないと、核戦略に関する基礎知識を持たぬ日本国民は、自主的な核抑止力の必要性が理解できない。
連邦下院・外交委のファレオマバエガ議員が、「日本は核の傘とMDで守られているから大丈夫だ、などと日本人に教え込んでいるアメリカ人は、欺瞞に満ちた偽善者だ」と語った。
引用終わり
この「米国の『核の傘やMD』で日本を守ることはできない」というのは、中国やロシアが、複数の弾道核ミサイルと巡航核ミサイルを数ヶ所から同時に発射した場合、米国製MDシステムでこれらすべての核ミサイルを打ち落とせる可能性は、0%である。と言うことです。
2006年04月16日
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さて日本人は極めて情緒的民族であることは誰しも認めているところです。翻って隣の隣の支那大陸漢族は極めて打算的客観的かつ世界をマクロで考えられる能力が本能的に備わっている民族です。簡潔に表すと拝金の徒=東洋のユダ。こんなのが小学生的議論に満ち満ちたひ弱な日本国を強姦するのは朝飯前。この地球がいつまでも常識のバランスで成り立つ宇宙体とは限りません。魔がさすこともあります(笑)。書経:『備え有れば憂い無し』って諺はやっぱり日本人向きではないですね(打算民族支那の古代成句より)。
戦前戦後を通じて、反日の大嘘宣伝を世界中にばら撒く中狂には、腹立たしい思いを超えて、もう立派にさえ思えます。嘘の宣伝はどうしても日本人にはできないこしでしょう。しかし、嘘を嘘であること。中国人がいかに嘘つきであるかを訴えるのは、あの国相手としては大変重要ですね。