2007年09月28日

ヤポニカ日本の人々

飴 屋

今回ご紹介している『ヤポニカ』は英国人の詩人、ジャーナリストで、『デイリー・テレグラフ』の編集者サー・エドウィン・アーノルド著で、アメリカからこの本の挿絵を描くのにR・フレデリック・ブルームが派遣されています。アーノルドが来日滞在したのは1889年(明治二十二年)末からで、二回目の来日時に仙台出身の女性、黒川たまと結婚。彼には三回目の結婚で、滞日時の年齢は58〜60歳でした。
この本の挿絵には訳者の解説がついていますので、それも部分的に引用します。
挿絵は飴屋です。
japonica05.jpg

挿絵解説の引用
 画家の解説によると、「本当にその手際は面白いものだ。きわめて単純な方法で、溶けたガラスに息を吹き込んでランプを作るように飴を形作るのだが、その仕上がりは美しく、とても真似できるものではない。確かに職人芸であるとともに十分芸術的だ」という。
 明治中期に大流行した市井の風俗が飴屋(飴細工)であった。管に息を吹き込み、器用な手つきで子供相手に飴で動物などをかたどる技術を間近にした子供たちの、手品でも見るかのような驚きの視線は、外国人も同じであった。彼らには、驚異の職人芸に見えたのである。
 ブルームは、来日前ヴェネツィアでガラスの工房を見たことがあった。その彼の目にも飴屋の技は驚きに映ったのである。
 日本で飴屋のテーマをたびたび描いたブルームは、アメリカに帰国後、それらを集大成し、油彩による『飴屋』を権威あるナショナル・アカデミー・オブ・デザイン展に出品し好評を受ける。この飴屋はブルームの生涯の代表作となった。
挿絵解説引用終わり

本文より
引用開始
 人々がいかにせっせと風呂堂に通うかに注目しよう。人々は世界中で「入浴」の最大の愛好者であり、疑いなくもっとも清いと知られているのである。日本の大衆はどんな臭味もないし、人力車夫は最小の気配りをしながら乗車料をとった後、やたらとたくさんの汗をかく。ほんとうに彼らは下着をつけないし、湯上りには着物、ふんどし、じゅばんを身に付ける。しかし、これらの衣類はまた常に洗濯されている。またすべての手や足がいかに手入れされているか、いかに完全によい状態に保ち、自然であるかに注目しよう。
 木の下駄、なわで作った草鞋によって、実際は足の両側と平にたこができ硬くなっている。ベルベットの糸や草の茎が足の力を保ち、親指を他の指と離して成長させている。しかしほとんどの男性、女性の足は美しく見える。西洋人の男性、女性の足にしばしばみられるいたましいねじれの様子はみられない。そのねじれはきつく尖った長靴や短靴の結果である。とくに日本女性のほとんどの手はいつも上品で、時には絶対的に魅力的である。・・・・・

 オ・タツ・サン! あるいはオ・ハナ・サン! そしてあなた方の小さな手は確かに「鮮やかな白」ではないし、正確には「雪や象牙色」とよばれるものでもない。しかし色白のすっきりとした、やさしい線を秘めた、すべてにかわいい手である。なお芸術家は、平たく、湾曲のないかわいい小さな足、褐色の素手、優雅な小さな手に徹底的に正しい評価をするだろう。しかしこれが、日本女性の中産階級の風呂からでた時のぬれた健康美に輝く平均的な手である。
 東京市には八百から九百の公衆浴場があり、三十万の人が一人一銭三厘(約一セント)、子供たちは三厘の料金で毎日お風呂に入っている。それゆえもっとも貧しい人は、米が高騰していて、お金が貧民に与えられた時、十日一回の浴場券が割り当てられた時にも、入浴をしているし、いつもそうしているのかも知れない。
 公衆浴場施設の他に、家ごとにまた自分の風呂場をもっている。そして眼をさました時の奉公人の第一の質問は「お湯にいらっしゃいますか?」
 日本では非常に熱い湯に入るのは本当である! 華氏110度[摂氏43度]を考えるまでもなく、この熱湯では長く留まれないと理解されなければならない。ほとんどの人が無数にある温泉を楽しみ、大いに贔屓にしているし、温泉はこの火山国のどこにでも湧き出ている。あらゆる所にパイプで引いて、娯楽や健康のために利用されている。例えば草津の温泉は肉体的なすべての病に非常に高く評価されていて、諺に「ここでは恋の病以外すべてを直すことができる!」と
 富士山の周囲の山で箱根から宮ノ下に歩くと、芦ノ湯とよばれる場所で、硫黄泉が掘られ、多くの湯屋に貸しているのが観察されて楽しい。いかに多くの人たち――労務者、歩行者、駕籠かき――が、強い臭いだが、やわらかい、さわやかな湯にとび込むと、一箱の黄燐マッチの悪臭であっても、満足に楽しむ人たちの様子や気分が現れてくる。・・・・・

 そばを通ると多くの家から、とくに夕方には、チントンシャンと鳴る三味線や強い音の琴の爪弾く音が聞えてくる。家ごとに三味線、日本の三つの弦をもったギターをもっているようだ。それは長く、黒い色の首になっていて、フレットはなく、共鳴する胴は四角くネコの革でぴんと張られている。日本女性のだれもが三味線の弾き方を知っているようだ。うまいへたは別にして、実際これを弾くことは少女たちの教育の一部である。これのもっとも主要な人たちは芸者かそれにかかわる人である。楽譜は印刷されたものはなく、学ぶのに困難な訓練があるにちがいないが、すべて伝統と確実な練習によって秀でた技量になるまで教えられる。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:15| Comment(6) | TrackBack(2) | 外国人の見た日本A
この記事へのコメント
連日拝読させて頂いております。
江戸・明治時代等に訪れた欧米人の記録を見ると、日本人を形容して、“高貴”“上品”“優雅”という言葉が意外に多いですね。当時の写真もけっこう残っていますので、今度は“いつも上品で、時には絶対的に魅力的”な日本女性の手に注目してみようかと思います。目指せ、手美人!
Posted by みっけ at 2007年09月28日 22:49
みっけ様
コメント有難うございます。
当時来日した多くの欧米人は、世界でも独特の文化をもつ日本を詳細に観察し、日本人では気づかないようなことを逆に教えてくれます。
特に日本女性については、ほとんどの欧米人が大変いい印象を書いていますね。
このような美点を大切に守っていきたいものです。
Posted by 小楠 at 2007年09月29日 07:19
 ご無沙汰しております。

 この絵は、、、、素晴らしいですね。
 私は芸術は解りませんが、素人の感性に響く物は、やはり芸術品なのでしょうか?
 当時の生活風土というか、ある意味記録映画よりリアリティを感じます。

 飴屋の実物は、私の幼少の頃にも見た記憶がありますが、挿絵解説にあるようにまさに、手品でしたね。

 
Posted by tono at 2007年10月02日 10:00
tono 様
>>飴屋の実物は、私の幼少の頃にも見た記憶がありますが

そうでしたか、私も子供の頃にはよくこの屋台が来ていました。主に動物の形などが多かったようですが、あっと言う間に出来上がるのを見て、喜んだ記憶があります。
相当な修行が必要だったのでしょうね。
Posted by 小楠 at 2007年10月02日 10:14
読めなかった期間中の記事も少しずつ拝見しています。
飴屋は、お祭りの時だけですが、私も見たことがあります。柔らかい飴を伸ばしたりはさみでちょんちょん切ったりして鶴とかウサギとか作っていくんですよね。私の子供の頃って、まだそうした江戸時代の残像みたいな部分が残っていたので、子供達に話すとものすごく羨ましがります。
だんだん、しんこ細工の飴屋はなくなり、型に流すべっこう飴になり、そのうちそれもどこかで作られた完成品を売るようになりました。確かに子供は昔が羨ましく思えるでしょうね。
Posted by milesta at 2007年10月23日 11:53
milesta 様
この飴屋さん、私も懐かしいです。こんな器用なことの出来る人が全国に何人もいたのがちょっと考えられないですね。
これ、今の食品規制だったら完全にこの商売はできませんね。
Posted by 小楠 at 2007年10月23日 12:53
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