2007年09月17日

中共のチベット侵略7

ダライ・ラマのラサ脱出

マイケル・ダナム著「中国はいかにチベットを侵略したか」から、抜、粋引用してみます。
この中共の侵略手法をよく把握しておくことは、今の日本にとっても重要なことではないでしょうか。尖閣諸島などでの中国の行動と重ね合わせて、国民が危機感を持っていることも大切でしょう。
写真はポタラ宮殿の麓で中共に抗議するチベット国民
tibet07.jpg

引用開始
 1955年3月17日,ノルブリンカの庭に砲弾が炸裂したのと同時刻、「ラサの騒動に関するニュースはまったく当てにならない。チベット問題はむしろ人びとの心と心の衝突であり、武力衝突ではない」などとネール首相はインド議会で喋っていた。彼の答弁は翌日、内外の新聞を飾った。が、それがネールのチベットに関する嘘っぱちの最後となった。三日後の3月20日、中共軍の大砲はラサのど真ん中にあったインド領事館を吹き飛ばしたのである。
 一方、3月17日の脱出組は幾つかに分かれて出発した。第一陣は法王の母、末弟のテンジン・チョイギャルと姉のツェリン・ドルマ。・・・第二陣は上級職員のグループで、防水布で覆われたトラックに分乗し脱出した。最後はダライ・ラマ、パーラ侍従長、僧院長、法王の義兄の親衛隊長クスン・デポン一行だ。・・・・ダライ・ラマは国璽をしっかりと握ったまま出発の準備を調えた。・・・・
 歴史家の中にはダライ・ラマのラサ脱出を計画し、実際に手を貸したのはCIAだという者がいるが、ロジャー・マッカーシーは強硬に否定する。それが真実でないからというだけでなく、もっと大事なこと、あの最も困難な、中共を騙し通すという離れ業をやってのけたのがチベット人なのだと主張した。・・・・

 チベット軍兵士だったキルティ・ルンドプ。彼のいた軍は何年か前に解散させられたため、ミマン(チベット語で“人民代表”の意。反中共活動組織)に加わっていた。
「ラサ市民は自分たちの無知に気づき始めていた。この何年かミマンはラサ市民に、中共に協力していればいつか必ずチベット全土を破滅させられると警告しつづけてきた。今やっと人びとはその意味を理解してくれた。法王の行方が分からないのが一番の理由であった。法王なしではラサ市民も他のチベット人と少しも変らないからだ。以前、彼らはカンパやアムド、ゴロク族たちを見下していたが、今になって同胞たちがどんな道を歩いてきたのかを知ったのだ」と彼は語った。・・・・
 中共側とてダライ・ラマの消息がつかめないでいらいらしていた。譚将軍は外国領事館に逃げ込んだのかもしれぬと、インド、ブータン、ネパール領事館に家宅捜索を申込んだが、体よく断られた。・・・・

 1959年3月20日、中共軍は法王の居所が分からぬまま再びノルブリンカ離宮を攻撃した。前回と異なり、今度は明け方までつづく一斉射撃であった。その夜は誰も眠らなかった。もし、ダライ・ラマがまだ脱出していなかったとしたら? 明け方、市民は皆町へ出た。・・・・
 彼らの知らない間に、一夜にして大量の中共軍が町の南北にバリケードを展開し、ラサを二分してしまっていた。ノルブリンカを取り巻いている民衆と、キルティのように後から加わる人間を合流させないようにしていたのである。・・・・

「道を曲がったとたん、両側から一斉射撃を食らった。あわてて他の道へ入ったが、そこで仲間と別れ別れになった。幼い弟と他の僧侶とともに向った先は中共軍司令部に近い所で、物々しい警戒振りだった。知り合いの男に呼び止められ、バリケード作り手伝ってくれと頼まれた。大きな家にバリケードを築いていたが、中にはライフルや弾薬がしこたま積まれていた。暫く仕事を手伝っていると、側にいた女性の頭に弾が当り、弟も左肩を撃たれた。弟はひどい出血だった。近くの店に入ると老婆が出てきて布をくれた。それで弟の傷口を押さえ、出血を止めようとした。
 突然外で爆発音がした。何事かと外へ出てみると、さっきバリケードを築いていた家が炎上していた。どうすることもできなかった。近くで屋根の上から中共兵がこちらを狙い撃ちしているのだ。火を消そうとしていた女性たちが射殺された。一緒にいた男に手榴弾を持っているというと、裏に回って狙撃兵たちをやっつけようといった。裏口の扉は開け放しになっていた。一発投げ込んだが不発だった。二発目をほうり込むと直ぐ爆発し、自分も一緒に吹き飛ばされたけれど、まあまあ無事だった。別の男が自家製爆弾を中共兵の潜んでいる場所に投げ込んだ。悲鳴が上がり狙撃兵や他の兵士が転がり下りてきた。仲間が連中を次々に撃ち殺していった。他にも咳き込みながら下りてきたが、罠に気づいて階上に駆け上がった。最後の三発目を仲間が隠れ場に見事にほうり込んだ。家の前部は崩れ落ちぺしゃんこになった。上にいる連中はどうなったんだろう、ちらとそんなことが頭をかすめた。
 外に出、戦いに加わろうとし、自分の怪我に気づいた。手榴弾の破片が当ったらしい。相当の出血だったが、弟の返り血だと思っていたのだ。仲間がカタで傷口を縛ってくれた。さっきの火災を起こしている家では何人もの人間が懸命に消火活動をしていた。周りに数人の屍体が転がっていた。負傷者もいたがどうしようもなかった。一人の女性の腹から大量の血が流れ、内臓がはみ出していた。まだ意識があり、早く自分を撃ち殺してくれと訴えた。誰かがその通りにした」キルティは顔を歪めた。

 同じような虐殺は町のいたる所で行われていた。3月20日だけで三千人のチベット人がこうして殺されたといわれる。駐車場近くを行進していた、何の武器も持っていない女性と子供を中共兵が機銃でなぎ倒し数百人が殺された。このような狂気は双方にのりうつり、無差別射撃があちこちで繰り広げられた。
引用終わり
posted by 小楠 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産主義の実態
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