2007年09月12日

中共のチベット侵略3

脅迫下の協定署名

日本のマスコミ特に朝日は、安倍潰しのためには週間新潮で報道されているような、民主党に都合の悪いことはほとんど報道しません。またこのチベットの悲惨な事実も、中国共産党に都合の悪いことは報道しません。これが今の日本のマスコミの姿です。
こんなマスコミが政治を曲げたのが今回の参院選です。公平な情報を国民に隠蔽し、国民に偏った情報だけで判断させようとする卑劣なマスコミに我々の国が振り回されないようにしたいものです。

マイケル・ダナム著「中国はいかにチベットを侵略したか」から、抜粋引用してみます。
この中共の侵略手法をよく把握しておくことは、今の日本にとっても重要なことではないでしょうか。尖閣諸島などでの中国の行動と重ね合わせて、国民が危機感を持っていることも大切でしょう。
写真はリウォチェから南へ移動する中共軍
tibet03.jpg

引用開始
「・・・・ その時はまだ中共軍は町を占領しようとはしていなかったにしろ、デンゴはじめ目障りな存在はすべて、つまりカム全体をその年の冬までに押える積もりだったのです」サイクロンはいった。
 一方、国際メディアにも邪魔をされず、自分たちの東チベットがどうなっているのかとんとご存じないラサ政府をいいことに、中共軍は続々とチベットに侵攻していた。・・・・
 1950年10月、中共軍は東チベットに襲いかかった。
 同時に三方から四万の軍隊が西へ向って進撃した。
 一方サイクロンは、リウォチェ僧院の屋上から中共軍が谷間に雪崩れ込んでくるのを見守っていた。・・・
「本当にびっくりしました。ちょっとした小競合はありましたが、町は直ぐ中共軍に制圧され、最後まで抵抗したチベット兵は捕えられてその場で処刑されました。中共軍はリウォチェには見向きもせず、蝗の大群のように襲来したかと思うと南の方へと去っていったのです」サイクロンはいった。・・・・
 国連は再度チベットからアピールを受け取ったが依然としてその扱いに戸惑っていた。
 ダライ・ラマは国際政治を理解しようとしたが、理屈でどうなるものではなかった。チベットのような無力な国を守ろうとしない国連なんか何のためにあるのだ? 若い君主は国連の奇妙な機構に幻滅を感じた。
「正義の支えとして国連を信頼していたのに、我々の問題がイギリスによって棚上げにされたと聞いた時には驚いた。インド代表の態度にも同様に落胆した。インド代表はこういった。“平和的解決がなされるものと確信している。そしてチベットの独立は守られよう。これを確かとする最良の方法は国連総会でチベット問題を議論しないことだ”これには、誰も我々を武力で助けてはくれないということを知った前回以上の無力感を感じた。今や、友人たちは我々の正義への訴えを代弁しようとさえしてくれないのだ。中共軍の大群の中に置き去りにされたように感じた」(『チベットわが祖国――ダライ・ラマ自叙伝』)・・・・

 1951年5月23日、北京の旧日本大使館で行われた中共チベット会議で、ダライ・ラマに派遣されたアボ・ジグメたち代表の前には中共政府の突きつけた“十七箇条協定書”が置かれていた。彼らは否応なくその文書に署名させられた。
 アボは、ダライ・ラマから全権を委任されてもいなければ国璽も託されておらず、ただ交渉しにきたに過ぎなかった。いきなり突きつけられた“十七箇条協定”をどうしたらいいか考えあぐねつつ、代表たちは孤立無援の中で中共との会談をつづける他なかった。しかし会談とは名ばかりで、脅迫や、がんがんテーブルを叩く罵声など、話し合いの雰囲気など微塵もなかった。
「わが代表団は、協定の内容にどんないい換えも示唆も加えることを許されなかった。彼らは侮辱され、罵られ、暴力を振るわれ、チベットを軍隊で占領してやると脅迫されつづけたのだ」(『チベットわが祖国――ダライ・ラマ自叙伝』)・・・・

 協定の内容は、例えば、チベットは自国から帝国主義勢力を駆逐し、祖国の大家族に復帰すること(祖国=中国の一員として復帰するという文言は、正にチベットの独立を失うばかりではなく、チベット人が中国の少数民族として扱われることを意味する、と歴史家ウォーレン・スミスは解説している)。
 チベットは中国人民解放軍を中央チベットに招き入れ、ラサで国防を固める。チベットは中国共産党の指導の下に独立を享受する権利を有する。他に、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの地位、機能、権力は今後も変更はない。仏教、信仰、チベット人の風俗習慣は尊重する。僧院は保護される。僧院の収入に干渉しない。チベット軍は再編成され、人民解放軍に吸収される。チベット語とチベット人の学校教育は奨励される。チベットの改革は中国側の強制によらない。改革はチベットの指導者と話し合って決定される(ウォーレン・スミスがいうように、現実の改革は、チベット人民によってではなく、中国側の欲するままに行われた)。

 北京政府がチベットの外交を扱う。協定の実行を確かなものとするため、北京政府は中央チベットに軍事、行政委員会を設置し、チベット軍事司令部を設ける。ラサのチベット政府は食糧、飼料その他日用必需品の購入・輸送において人民解放軍を支援する。
 協定は署名、捺印後、即刻効力を発揮する。などなどといった内容であった(訳者注:現実にはチベット国内にあった七千の僧院の90%以上が破壊され、財宝は中国に持ち去られ、チベット語は第二市民的地位に落とされ、高等教育は中国語で行われている。さらに深刻なのはチベットの総人口600万をはるかに上回る中国人が移住してきたことだ。チベット人が、社会、経済、政治生活のいたる所で片隅に追いやられているのは周知の事実である)。
 協定書の署名に当って、中共側は代表に捺印を求めた。アボたち代表団が国璽も各自の印も持参していないというと(これは彼らが協定に調印する権限を与えられていない、という明白な理由があってのことだったが)、中共側は直ちに偽の国璽と判を作って署名させた。
引用終わり
posted by 小楠 at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 共産主義の実態
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