2007年08月23日

ベルツの日記14

対馬沖海戦(日本海海戦):明治38年

 ドイツ人医師エルヴィン・ベルツは、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として、明治9(1876)年6月、27歳の時に来日しました。彼の日記が「ベルツの日記」として出版されています。その中から
日露戦中の日記を引用してみます。(最終回)
写真は降伏したニコライ一世を点検する日本軍係官(日露戦争古写真帖より)
balz14.jpg

引用開始
5月5日(東京)
 日本の新聞が、フランスの中立違反振りに興奮しているのも無理はない。ロゼストウェンスキーはインドシナの諸港を利用し、しかも外国の船舶までそこからの出港を差止めている有様だ! 
 典型的なのは、この危機に当って、『タイムス』その他の英紙のそらぞらしい態度だ――すなわちいわく「フランスがいかにデリケートな立場にあるかを、日本も顧慮すべきである!」と。得手勝手な話だ!
 フランスの態度により、日本の立場は極度に脅かされているのだ。ロシア艦隊としては、フランスの港に逃げこんでじっとしていることによってのみ、国外にありながら、日本軍の攻撃をうける危険を、一時は免れ得るわけである。しかも、事が死活に関する重大問題であるというこの場合、日本に感傷的な顧慮をせよと称するのだ。フランスは公然とその同盟国を助けているが、イギリスはきこえぬ風をしている。だが日本としては、それがどんなに辛くとも、平気な顔をしておらねばならない。なにしろ、やがて再び金が要ることはわかっているのだから、英人の機嫌を損じてはならないのだ。

5月10日(東京)
 東京在留の全外国人は大騒ぎだ。かつて永年にわたり東京のフランス公使館付武官を務め、今はフランスの大会社の代理店をやっている退役陸軍大尉ブーグァンが、義理の息子F・ストランジと共に、ロシアのスパイとして逮捕されたのである。・・・ブーグァンのように世間で知られ、ことに以前は日本の武官のあいだで非常に人気のあった男に対して、こんな手段をとる以上、政府は極めて確実な証拠を握っているに相違ない。・・・しかも、かれには財産がなく、収入はまことに微々たる有様であったから、家族の将来に見透しがつかなかったのだ。こうして、かれは誘惑に敗れ、危険と知りつつ破滅の一歩を踏み出したのであった。・・・

5月27日(東京)
 ロシア艦隊に関して、奇怪きわまる消息が伝えられている。あるいは、まだインドシナの領海内にとどまっているとか、あるいはまた、フィリピンの近海に居るとか。なおまた、戦艦五隻と輸送船三隻は上海に向って航行中であり、戦艦二隻は上海よりさらに北方へ進航しているとの噂もある。
午後――
 号外――ロシア艦隊は対馬の近海に現れ、海戦が行われていると。今し方、自分のところに居ったグリスコング米国公使の話しによると、この報道が真実である旨の情報を、公使はうけていると。
 こうしておそらく、自分が今これを書いている最中に、世界歴史の重要な一ページが決定されているのだ。

5月28日(東京)
 正午、アルコ伯爵のもと。伯は、新婚の寺島伯爵と、すこぶる美しいその夫人(実家は京都の三井家)のため、厳かな宴を張ったのである。
 海戦――それが進行中であることはわかっている。だが、政府は沈黙している。もっとも、宮中からすぐ自分のところへ来た岡の話によると、経過は満足すべきものがあり、少なくとも六隻の露艦が撃沈されたが、日本側の損害は不明であると。
 日本人が、その歴史の上で重大なこの危機に際して、落着き払っているのには、どの外人もみな感心している。

5月29日(東京)
 対馬沖における日本海軍の稀有の大勝。海戦は二日間続いた。露艦は二十六隻だったが、うち十三隻は撃沈され、五隻は拿捕された。日本側は、一隻として大型艦を失わなかった。三笠は損傷を受けたが、戦闘には差支えない状態だった。水雷艇数隻が沈没した。勝利があまりにも圧倒的なので、もし公報があらゆる詳細な点を伝えていなかったならば、誰もほとんど信じなかったろう。
 午前中はすっかり、号外! 号外! だった。勝利の後でも、日本人は悠然と構えていた。一時間の後には、自分のいるホテルのおびただしい日本人従業員たちは、平日と変らぬ穏やかな様子だった。もう戦争の話は出なかった。うれしいときのこのような悠揚さに、われわれ外人は皆、感服せざるを得ない。

8月29日(ザルツブルグ)
 講和! 自分にとって、この報道は全く思いがけなかった――なにしろ、日本があらゆる点で簡単に譲歩するとは、とうてい信じられなかったからである。しかも、日本はそれをしたのだ!
 戦費賠償は受取らないし、抑留船舶は取得しないし、樺太の半分は無償で引き渡すというのだ! こうも本来の要求とかけ離れているのには、重々もっとも至極な理由があるに相違ない。でなければ、日本がこのような条件に応ずるはずがないと、自分は確信する。だが日本の為政者は、要求緩和の挙に出るのが賢明であるわけを、確かに承知しているのだ。
 口やかましい政論家連中がなんとさけぼうと、内部ですでに頂点まで出しきった力を、尽き果てるまで酷使すれば、しょせん後にはたたりが残るではないか。それに、他日、友邦イギリスからそでにされた場合、よくうわさにのぼったことのあるロシアとの将来の同盟を、かれら為政者が考えていないとは誰がいえよう。・・・・
 かくてまたもや世界歴史の一ページが――それも、現在ではほとんど見透しのつかない広大な影響を有する一ページが――完結されたのである。今や日本は陸に、海に、一等国として認められた。われわれが東アジアにおいて、徐々ではあるが間断なく発展するのを観たその現象が、今や近世史の完全な新作として、世界の注視の的となっている――アジアは世界の舞台に登場した。そしてこのアジアは、ヨーロッパ諸国の政策に、従ってわれわれの祖国の政策にもまた、共通の重大な影響を及ぼし得るのであり、また及ぼすはずだ。ヨーロッパだけの政策は、もはや存在しない。世界政策があるのみだ。東アジアの出来事は、もはや局部的な意義をもつものではなく、今日ではわれわれにとって極度に重要な関心事である。これらすべての意義を、世人はいまだに気づかないが、しかし時がこれを教えるだろう。・・・
引用終り
posted by 小楠 at 07:32| Comment(2) | TrackBack(1) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
ベルツさんは、さかんに日本人は落ち着いていると書かれていますが、ベルツさんご自身も大変冷静に分析していますね。ドイツ人だからか、イギリスやフランスの態度も批判したりして、公平な目でご覧になっているようですね。

けれど、日本人が落ち着いていると言っても、講和条約の結果には不満が爆発して大騒ぎしていますけど・・・。それについては書かれているのでしょうか?
Posted by milesta at 2007年08月23日 12:41
milesta 様
>>それについては書かれているのでしょうか?

ベルツは6月10日に横浜を出帆して、帰国しているんです。
講和会議は確か8月10日頃に始まったと思いますので、講和内容に憤慨した当時の日本人の様子は観察していなかったからでしょう。
Posted by 小楠 at 2007年08月23日 21:13
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