2007年08月16日

ベルツの日記8

日露戦争前年:明治36年

 ドイツ人医師エルヴィン・ベルツは、官立東京医学校に生理学兼内科医学教師として、明治9(1876)年6月、27歳の時に来日しました。彼の日記が「ベルツの日記」として出版されています。その中から
日露戦争前年の日記を引用してみます。
写真中央はクロパトキン将軍、右が寺内正毅陸軍大臣(日露戦争古写真帖より)
balz8.jpg

引用開始
9月15日(東京)
 二ヶ月この方、日本とロシアの間は、満洲と韓国が原因で、風雲険悪を告げている。新聞紙や政論家の主張に任せていたら、日本はとくの昔に宣戦を布告せざるを得なかったはずだ。だが幸い、政府は傑出した桂内閣の下にあってすこぶる冷静である。政府は、日本が海陸共に勝った場合ですら、得るところはほとんど失うところに等しいことを見抜いているようだ。・・・・

10月20日(宮ノ下)
 外交上は相変らず何の決着もない。・・・だがしかし、もし日本が本当に韓国を占有する意志なのであれば、行動に出るのは今だ。ロシアが永住的に満洲に腰をすえるのを黙って見ておれば、韓国も失ってしまうだろう。こんなことは日本の誰にも判っているのだ。だから、何のために依然として談判を続けているのか、全く不可解である。一日一日がロシアにとっては有利、日本には不利となるのだ。・・・

12月14日(東京)
 ローゼン男(爵)は困難な時局に当面している。・・・男は非常に親日的と見られており、事実またその通りである。だがその男も、今ではやはり日本の主張に腹を立てて、英国が同盟の力を認めることにより日本人の頭を狂わしたものと称している。「われわれは徹頭徹尾平和的で、決して侵略的ではない」と男はいった。そこで自分は一言さしはさましてもらったのである。――とにかくロシアは、他国の眼にはすこぶる侵略的に感じられる、満洲占領は日本人から大いに侵略的な行動と見られていると。すると男は沈黙し、ただ肩をすくめるばかりで、何だか口の中でつぶやいた。

12月21日(東京)
 政治的に一向からっとしない空模様である。戦争はますます不可避だ。ロシアは日本をなめてかかっている。戦備は整えるし、韓国と清国では勝手気ままのし放題という有様で、しかも一方ヨーロッパには、極めて平和的な報道をばらまいているのだ。

12月23日(東京)
 ロシアが最後の瞬間にでも譲歩しない限りは戦争だ、とは誰もが信じているところだ。ロシアは、全くのところ愚弄的というより他に表しようのない態度で、徹頭徹尾日本を取扱っていた。
 日本側の申出に対しては、まる六週間も全然回答を寄せない有様で、その口実たるや、例えば、皇帝が目下ペテルブルグに居られないから――だとか、皇后が中耳炎を患っておられるから! ――などと、空々しい極みである。しかもその期間を利用して、絶えず軍隊と軍艦を東亜に派遣していたのであって、これがためその艦隊は、現在既に日本側の勢力と同一程度にまで達してしまった。
 その間に露帝はドイツとオーストリアから、東亜の紛争に乗じて漁夫の利を占めるような行動に出ない旨の言質を得ていた。他方においてフランスは、日本を一そう孤立せしめるため、イギリスと親交関係を結ぶよう示唆されたらしい。確かに抜け目のない政策だ! ロシアは、日本側から止むを得ず宣戦を布告するように仕向けようと思っているのだ。しかも日本としては、好戦的との評判を免かれる必要上、このように自国側からまず宣戦を布告することこそ、絶対に避けたいところなのだ。・・・

12月27日(東京)
・・・ペルシャの一要人が来訪した。前宰相である。イギリス側では氏に非常な好意を示している。しかしロシアの方でもまた、氏のために便宜を計るよう指令を受けている。
 氏は表向きは単に遊覧の目的で来訪したとのことであるが、内実は日本の事情が、英露両国間の板ばさみになっている氏の興味をひいているのだ。何しろ全アジアにおいて、現にヨーロッパの支配下にあるか、またはその支配下に立つ虞れのある民族の間には日本の名声、すなわちヨーロッパ人から同権と認められており、外国が全然征服の意図を有しないアジア唯一の国家、民族としての日本の名声が普くひろがっているからだ。
 この前の冬は、シャムの皇太子が来訪された。皇太子が日本の姫君との結婚を望んでおられた由のうわさには、バンコックで事情に通じているはずのツェルニヴィ大佐自身の認めた如く、確かに真実の点があったのだ。しかしながら、皇太子は空しく帰国された。・・・
 次いでインドの学生と仏教の僧侶が来訪し、つい最近にはカプルタラの大王の来訪をみたが、その主な目的は、日本の美少女は別として、何が故にアジアにおいて唯一日本のみが、このように独立自主であるかの真相を知るにあった。
 王は繰り返し自分にこの点を質し、露国公使ローゼン男にも同じことを尋ねた。自分はそれに答えて強調した――日本人は(千年以上にわたり築き上げられた、栄誉ある武門の流れをくむ点は別としても)割拠主義のインド人とは大いに異なり、顕著な異身同体の国民的感情を持つもので、しかも国民全体がそうなのである。この国民には、国家の危急存亡のときを弁える顕著な天性がある。そしてそんな場合には、匹夫といえども、自己並びに一家のあらゆる欲望を我慢することが出来るのである。
 これに加えて甚だ重要なのは、自覚を以て新日本を建設した、一部の有力な政治家の極めて達観的な政策である。・・・・
引用終り
posted by 小楠 at 07:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 外国人の見た日本B
この記事へのコメント
ペルシャの要人、シャムの皇太子、インドの学生と僧侶、カプルタラ(どこだかわかりませんでした)の大王と、まぁ文字だけでも壮観ですね。日本は歴史に誇りを持って良い!と改めて思いました。
Posted by milesta at 2007年08月16日 21:58
milesta 様
この頃は日本精神がまだしっかり全体に行き渡っていたのですね。そして敗戦までは。
戦後政策でアメリカの都合のよい国にされてしまったのでしょう。
反米左翼の連中がこれに加担しているのですから、どうしようもない。
Posted by 小楠 at 2007年08月17日 07:36
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